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悪役令嬢に転生したら公開処刑前夜でした ~吸血神の力で転生聖女を世界の果てまで追い詰めます~  作者: 1009


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第八話「レーヴェンガルド帝国進軍」

 朝靄の晴れきらぬ広大な軍営に、無数の兵士たちが整然と列を成していた。

 鉄兜が朝日を照り返し、槍の穂先が林のように空を突く。数千の男たちが息を潜めるその静寂の中、ひとりの青年が、組み上げられた木の台の上へと歩み出た。


 勇者オーランド・レーヴェンガルド


 背には、対をなす二振りの神剣。長剣〈ヴェリディス〉と短剣〈フィデス〉。すらりとした長身に、戦場で鍛え上げられた確かな芯を宿し、中性的とすら言える端整な面差しには、そのくせ、どこか野に生きる獣のような精悍さが同居していた。

 

 彼が台上に立っただけで、ざわめいていた兵たちの間に、自然と静けさが降りていく。誰もが、この誠実な勇者の言葉を待っていた。


 オーランドは、居並ぶ兵士たちを、ひとりひとり見渡すように、ゆっくりと視線を巡らせた。そして、腹の底から響く、澄んだ声を上げる。


「我がレーヴェンガルドの、勇敢なる将兵たちよ」

 その一言が、朝の冷えた空気を震わせた。


「いま、我々の前には、二つの道がある。ひとつは、国境の壁の内へ引きこもり、隣国から聞こえてくる悲鳴に耳を塞ぎ、嵐が過ぎ去るのを、ただ怯えて待つ道だ。そしてもうひとつは——武器を手に取り、境界を越え、蹂躙される人々を救うために、戦う道である!」

 彼は、そこで一度言葉を切った。兵たちの視線が、痛いほど彼に集まっている。


「我々が選ぶのは、断じて、前者ではない!」

 その声に、初めて熱がこもった。


「隣国で暴虐の限りを尽くす、魔王の存在はすでに周知し、皆も知るところだろう。『他国の出来事だ』と、笑って見過ごせる者が、この中に一人でもいるか。否だ。なぜなら、隣国の崩壊は、そのまま我が帝国の破滅へと直結するからだ。今日、隣国で流されている血は——明日、我々の家族が流す血に、なるかもしれないのだぞ!」

 どよめきが、さざ波のように兵の列を伝っていった。


「この遠征は、単なる他国への施しではない。我々自身の未来を守るための、絶対の防衛戦だ! 敵は強大であり、これから向かう戦場は、想像を絶する過酷を極めるだろう。恐怖を感じることは決して恥ではない。だが——思い出してほしい」

 オーランドの声が、ふと優しく和らいだ。


「君たちの後ろには、君たちの帰りを待つ平穏な故郷がある。そして君たちの横には、生死を共にする、信頼すべき戦友がいる。我々は孤立してなどいない。我々の正義は、いま恐怖に震える隣国の民の、祈りとともにあるのだ!」


 彼は、腰の長剣をすらりと抜き放ち、朝日に向かって高々と掲げた。刃が、まばゆい光を弾く。

「全軍、武器を掲げよ! 隣国を魔王の呪縛から救い出し、我々の未来を、この手で掴み取るのだ。我が軍の正義と不屈の闘志を——世界に示せ!」


 しんと張り詰めた一瞬の後。

「ウォォォォッ——!!」

 地の底から突き上げるような、雄叫びの奔流が、軍営を揺るがした。

「魔王を討て!」

「隣国を救え!」

「我らに勝利を!」

 ——数千の声が、ひとつの巨大なうねりとなって、朝の空へと立ちのぼっていく。


「全軍、進軍開始!」


 誰もが、涙すら浮かべて剣を掲げ、拳を突き上げていた。オーランドの言葉は、嘘偽りのない、彼の魂そのものだったからだ。彼は本気で、隣国の民を救えると信じている。本気で、これが正義の戦だと信じている。そのあまりに純粋な信念が、兵たちの胸を打たずにはおかなかった。


 ——だが。

 その熱狂の坩堝を、酷薄な目で眺めている者が、二人いた。


 ひとりは、隊列のずっと後方に、気だるげに佇む男。

 勇者マーカス・ヴェイルハート。


 オーランドと同じく、神剣に選ばれし勇者でありながら、その佇まいは、あまりにも対照的だった。片手にだらりと提げているのは、無骨な鎖鎌〈ハーヴェスト〉。彼はそれで爪の間の垢でも掃除するように、退屈そうに分銅をもてあそんでいる。


「はっ。正義、正義ときたもんだ」

 マーカスは、オーランドの演説を鼻で嗤った。


「よくもまあ、あんな綺麗事を恥ずかしげもなく並べられるもんだぜ。おい、それより聞いたか。滅んだ聖王国にゃ、金銀財宝が唸ってたって話だ。魔王だか何だか知らねえが、そいつを片付けたあとの分け前——おれは、そっちのほうがよほど気になるね」


 スラムの最底辺から、神剣に選ばれてしまった男。忠誠も名誉も正義も、彼にとってはすべて「一文の得にもならぬ綺麗事」でしかない。彼が信じるのは、己の懐に入る利と、己の身の安全、その二つきりだった。


 進軍を前にした軍議の席でも、彼のその本性は、隠しようもなく滲み出ていた。

「マーカス殿。貴殿にはオーランド殿とともに、先鋒を率いていただきたいのですが」

 作戦を預かる老練な将軍がそう切り出すと、マーカスは露骨に顔をしかめてみせた。


「冗談じゃねえ。なんでこのおれが、真っ先に敵とぶつかる貧乏くじを引かなきゃならねえんだ。先鋒なんざ、第七王子様に任せときゃいいだろう。おれは後方で、じっくり戦況を見極めてやるさ。……そのほうが、いざってときに『役に立つ』ってもんだぜ」


 もっともらしい理屈を並べてはいるが、要は、危険な前線に立ちたくないというだけの話だった。神剣の担い手ともあろう者が、真っ先に敵前で命を張ることを、あからさまに嫌がる。将軍が呆れて言葉を失う横で、オーランドは、ただ静かに目を閉じた。抗議も侮蔑もしない。ただ、この男とは決して分かり合えぬのだという諦めにも似た確信を、いっそう深くしただけだった。


 一方の隊列の先頭近くを進むオーランドは、そんなマーカスのほうを、ただの一度も振り返らなかった。

 嫌悪していたのだ。骨の髄から。清廉を極めた魂は、卑賤を極めた魂を、生理として受けつけない。


 同じ勇者と呼ばれ、同じ神剣を背負う身でありながら、二人は道中、ただの一言も言葉を交わすことはなかった。誠実な男と、不実な男。水と油。


 この決定的な断絶が——共に戦うべき二人が、決して背中を預け合えぬというこの致命的な亀裂こそが、やがて訪れる悲劇の…静かな伏線となっていることを、まだ誰も知らない。


 軍は、大地を踏み鳴らして進んでいく。

 数千の軍靴が刻む地響きは、まるで巨大な生き物の鼓動のようだった。頭上には、帝国の象徴たる獅子の旗が、風を孕んではためいている。汗と鉄と馬の匂いが、隊列の上に濃く立ちこめていた。


 その隊列の中に、まだ年端もいかぬ、ひとりの若い兵がいた。

 初めての大きな戦を前にして、その顔は蒼白で、槍を握る手は、傍目にもわかるほど小刻みに震えている。ふと、そんな彼の傍らに、馬を寄せてくる者があった。オーランドだった。

「……怖いか」

 不意に声をかけられ、若い兵はびくりと肩を跳ねさせ、慌てて姿勢を正そうとする。だが、オーランドは穏やかに首を振ってそれを制した。


「よい、楽にしろ。恐怖は恥ではないと言ったはずだ。震えているのは、お前が失うのが惜しいものを、ちゃんと持っている証だ。故郷に待っている者がいるのだろう」

「は……はい。母と妹が……」

「そうか」


 オーランドは、静かに微笑んだ。中性的な美貌が、そのときばかりは、ひどく優しく綻んだ。

「ならば、必ず生きて帰れ。俺が前に立つ。お前は、俺の背中だけを見ていればいい。——約束しよう。この命に代えても、お前たちの一人でも多くを、故郷に帰してみせる」


 その言葉に嘘の匂いは微塵もなかった。だからこそ、若い兵の目には、みるみる涙が盛り上がった。勇者オーランドとは、そういう男だった。名もなき一兵卒にすら礼を尽くし、その命を己の命と同じ重さで背負おうとする。彼の誠実は飾りではない。心底そのものだった。


 ——その誠実がいずれ彼自身を、最も残酷な結末へと導くことを思えば、それはあまりにも痛ましい美徳であったのだけれど。

 そして、その大軍の中ほど、一頭の白馬に清楚な聖衣の女がまたがっていた。


 聖女、エリス・フォン・クライン。


 彼女が、すうと息を吸い、澄んだ歌声を紡ぎはじめると、行軍の空気が一変した。

 それは聖なる守護の聖歌だった。歌が兵たちの体を包むたび、彼らの足取りは軽くなり、疲れが抜け、瞳には新たな闘志が宿っていく。


 歌の聖女——それが、エリスの持つもうひとつの顔だった。彼女の歌声は、確かに軍全体を包む力強い加護となって、兵たちの士気を天井知らずに押し上げていた。

「聖女様の歌声がある限り、俺たちは負けやしねえ!」

「なんと、ありがたい……!」

 兵たちは、口々に彼女を讃えた。慈悲深く清らかで、自分たちのために祈りを捧げてくれる、聖なる乙女。誰の目にもエリスはそう映っていた。


 ——だが、その完璧な聖女の仮面の裏で。

(うふふ。うふふふふっ)

 エリスの胸の内は、真っ黒な愉悦で満たされきっていた。

(見てなさい。アルディアを、わたしの居場所を、めちゃくちゃにしてくれたクソ女……あの化け物! 今度こそ勇者様たちが、あんたを八つ裂きにしてくださるわ。ざまあみなさい。報いを受けるがいいのよ!)


 馬上で祈るように目を閉じたその表情は、傍目には、敬虔そのものだった。誰ひとり彼女の内で渦巻く、これほどまでに醜い勝利の確信を、見抜くことはできない。

(そうよ。だって、この世界の主人公は……最初から、わたしだけなんだから)


 この世界が、かつて自分が夢中で遊んだ乙女ゲームの世界だと気づいたときから、エリスの中では、すべてが決まっていた。自分はヒロイン。攻略対象たちは、自分を愛し守るためだけに存在する駒。そして悪役令嬢エレオノーラは、無様に破滅し、自分を引き立てるためだけに用意された、噛ませ犬にすぎない。シナリオはそう決まっているはずだった。


 だから、あの女が処刑されたときも、当然の結末だと思った。国が滅んだのは想定外だったけれど、それすらも「ヒロインである自分が、悲劇のヒロインとして、より輝くための試練イベント」だと、彼女は都合よく解釈していた。


(かわいそうなわたし。祖国を失った、悲劇の聖女。でも大丈夫。だって物語は、最後には必ずヒロインが報われるようにできてるんだから!)


 勝った…と、エリスはすでに確信していた。


 無敵の勇者が二人。数千の大軍。歌の聖女たる自分の加護。負ける要素など、どこにも見当たらない。彼女はこれから始まる魔女への復讐劇を、特等席で観賞するつもりで、うっとりと勝者の顔をしていた。


 自らがその主人公の座から、無残に引きずり下ろされる運命にあることも知らずに。


 やがて、進軍を続ける軍の先頭が、旧聖王国領の最初の村へと差しかかった。

 だが斥候の報告どおり、そこに生きた人間の姿はなかった。焼かれてもいない。荒らされてもいない。ただ、人という人が、根こそぎ消え失せた、無人の廃村。異様な静寂が、朽ちかけた家々の間に、鉛のように沈んでいた。


 先鋒の兵たちが、警戒しながら村の中央広場へと足を踏み入れる。

 そのときだった。

「……なんだ、あれは」

 誰かが、掠れた声で呟いた。

 人の絶えた広場のちょうど真ん中。


 そこに——ひとりの女が立っていた。


 血のように赤いドレスを風になびかせ、まるで、ずっと昔から、彼らが来るのをそこで待ち受けていたかのように。悠然とただ一人。


 数千の軍勢を前にして、彼女には怯えも気負いも、何ひとつなかった。まるで道端に湧いた蟻の行列でも眺めるような静かな眼差し。その圧倒的なまでの静けさが、かえって兵たちの背筋を凍らせた。先頭の者たちが、思わず足を止め槍を構えたまま、じりと後ずさる。


「……!」

 馬上のエリスの顔から、すう…と血の気が引いた。あの赤いドレス。あの女。混乱の中で、この目に焼きつけた、忘れもしない姿。取り乱しながら皇帝に訴えた、あの「魔神」が——いま、目の前にいる。得意満面だった聖女の仮面に、初めて隠しきれぬ怯えの亀裂が走った。


 そして隊列の先頭。

 勇者オーランドの手が、静かに背の双剣の柄へと伸びていた。彼はまだ目の前の女が誰であるかを知らない。自分が救おうとしている「正義」の、その足元がいかに欺瞞に満ちているかも知らない。ただ、討つべき魔がそこにいると信じ、迷いなく戦意を漲らせていた。


 クルエンタ・フレイヤの紅い瞳が、迫りくる数千の大軍を静かに見据える。

 その中に立つ二人の勇者を。憎き聖女の青ざめた顔を。


 そして——ひとつ、彼女の口の端が、わずかに吊り上がった。

 狩りの時間だ…とでも言うように……


 第八話 了

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!


少しでも楽しんでもらえたら、下のブックマークや星(☆☆☆☆☆)をぽちっと押して応援してもらえると嬉しいです。次の話を書く元気がモリモリ湧いてきます!


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