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悪役令嬢に転生したら公開処刑前夜でした ~吸血神の力で転生聖女を世界の果てまで追い詰めます~  作者: 1009


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第三話「亡国の魔女、公開処刑」

 その朝の空は、残酷なほどに晴れ渡っていた。

 聖王国アルディア、王都の中央広場は、見渡す限りの人、人、人で埋め尽くされていた。


 石畳の上にも建物の窓辺にも、屋根の上にさえ、人々がひしめき合っている。誰もが、今日という日を待ちわびていた。広場の中央に組まれた真新しい処刑台。その周囲には油の沁みた薪が、うずたかく積み上げられている。乾いた木と獣脂と大勢の人いきれ。それらが混じり合った匂いが、初夏の陽射しに炙られて、むっと立ちのぼっていた。


 歓声とも怒号ともつかぬざわめきが、潮のように広場全体を満たしている。


 そのすべてを──慧は、誰の目にも映らぬまま、遥かな上空から静かに見下ろしていた。

 透明インビジブルな観測者となった戦姫の身に、風の感触はあっても温度はない。眼下に広がる人の海は、慧にとって現実味を欠いた一枚の絵のようでもあった。けれどその絵の中心へ、一台の粗末な荷車が、ゆっくりと引き出されてきた瞬間、慧の意識は、否応なく現実へと引き戻された。


 荷車の上で、鎖に繋がれ項垂れているのは──エレオノーラだった。


 いや正確には、慧が昨夜こしらえた血の人形。けれど、その姿は痩せて白く絶望に染まりきった、紛れもないエレオノーラ・ヴァン・ローゼンベルクそのものだった。乱れた金の髪が、力なく頬に張りついている。虚ろな瞳は何も映していない。


 その姿が群衆の目に入った途端、広場の空気が一変した。

「魔女だ!」

「亡国の魔女が出てきたぞ!」

「殺せ! 殺してしまえ!」


 憎悪が地鳴りのように、広場を揺らした。どこからともなく石が、腐った野菜が、分体めがけて投げつけられる。罵声はもはや言葉の体をなしておらず、ただ巨大な剥き出しの悪意の塊となって、痩せた少女の身に容赦なく浴びせかけられた。老いも若きも男も女も、誰もが顔を憎しみに歪め、こぶしを振り上げ、声を限りに叫んでいる。


 慧はその光景を上空から、じっと見つめていた。

 胸の奥でエレオノーラの感情が、痛みとなって疼く。これほどの憎悪をたった一人で受け止めてきたのか。記憶のない慧にはその日々の重みを、想像することしかできない。けれど想像するだけでも、息が詰まりそうだった。


 ふと慧の視線が、群衆から少し離れた、一段高い貴賓席へと向けられた。

 そこにあの…醜悪な女がいた。


 エリス・フォン・クライン。


 純白の聖女装束に身を包んだエリスは、八人の美しい青年たちに、ぐるりと囲まれていた。第一王子アレクサンデルをはじめとする、この国の中枢を担う、選ばれた者たち。乙女ゲーム『聖乙女のロンド』で、攻略対象と呼ばれた男たちだ。彼らは皆、慈しむような、あるいは心配そうな眼差しを、エリスへと注いでいる。その中心でエリスは、片手を口元に当て痛ましげに眉をひそめていた。


「ああ……なんて、おそろしいこと……」

 風に乗ってエリスの声が、慧の耳にまで届いた。

「あの方も、もとは……ご立派な公爵令嬢でいらしたのに。どうして、こんなことに……。わたくしは悲しくて……」

 声を震わせエリスは、そっと目を伏せる。頬に涙が伝った。傍らのアレクサンデルが、その肩を労るように抱き寄せた。なんと心優しい聖女だろうと、周囲の青年たちの瞳が、いっそうの敬慕に潤む。

 けれど、慧は──上空からはっきりと見ていた。


 伏せられたエリスのまつ毛のその下で。

 悲しみに歪んでいるはずの口元が、ほんの一瞬、くにゃりと緩んだのを。


 それは笑みだった。歓喜をどうしても抑えきれずに漏れ出た、醜く卑しい勝者の笑みだった。一瞬で、それはまた悲しげな表情の下へと巧みに隠された。誰も気づかない。アレクサンデルも群衆も誰一人として。空の上から見ている慧のほかには誰も。

 慧の中で冷たいものが、すうっと背筋を滑り落ちた。


「……本当に、救いようのない下衆ね」

 吐き捨てるように呟いて、けれど慧は、その怒りをぐっと奥へと押し込んだ。今はエリスではない。今この瞬間、自分が見届けなければならないのは別のものだ。

 処刑台の上で神官らしき男が、長い罪状を読み上げ始めた。エレオノーラの犯したとされる数えきれぬ罪。そのひとつひとつが読み上げられるたびに、群衆の憎悪は、油を注がれた炎のように、燃え盛っていく。


 そして──刑が執行された。

 それは、凄惨だった。あまりにも、凄惨だった。


 まず、四肢が断たれた。続いて変わり果てたその身が、煮え立つ油に沈められ、最後に積み上げられた薪の炎が、すべてを呑み込んでいった。人ひとりが、この世から消し去られるまでの一部始終を、慧は、瞬きもせずに見届けた。一つひとつの過程を語る言葉を、慧は持たない。ただ、人が人に対してここまで残酷になれるのだという事実だけが、見る者の心を芯から凍りつかせていく。


 分体が、痛みを感じぬ作り物であることが、せめてもの救いだった。もしこれが本物のエレオノーラの身に起きていたらと思うと、慧は想像することすらできなかった。広場のあちこちで歓声が、悲鳴のように上がる。けれどそれは恐怖の悲鳴ではなく、歓喜の悲鳴だった。


 残酷な見世物に酔いしれた人々の熱狂の声。

「もっとやれ!」

「いいぞーー!!」

「それでこそ、魔女の末路にふさわしい!!!」


 慧は目を逸らさなかった。

 逸らしたくて、たまらなかった。透明な拳を爪が食い込むほど、固く握りしめた。それでも視線だけは、決してその場から動かさなかった。なぜなら慧には、確かめなければならないことが、あったからだ。

 胸の奥でエレオノーラの感情が、最後の祈りのように、ひとつのことを求めている。


 ──誰か。


 慧は広場を、隅から隅まで必死に見渡した。この憎悪に酔いしれた群衆の中に。この熱狂の海のどこか片隅に。たった一人でいい。たった一人でいいから──


「待ってくれ」と声を上げる者はいないか?

「彼女は本当に、そんな人間だったのか」と、立ち止まる者は?

「これはおかしい」と、眉をひそめる者は?


 エレオノーラは、誰よりもこの国を想っていた。家のため王家のため民のため。自分という人間を擦り減らしてでも尽くそうとした。いつかこの国の母となる者として、それが己の務めだと信じて疑わなかった。だからこそ彼女は、最後の最後にほんのわずかでも、信じていたかったのだ。自分が命を懸けて守ろうとした、この国の人々の中に。ただの一人でいいから、自分を人として見てくれる誰かが、残っていることを。


 そのたった一人さえいれば。

 エレオノーラは救われた。きっと救われたのだ。


 慧は見つめ続けた。祈るように縋るように、群衆の顔のひとつひとつを。


 けれど。

 どこにもいなかった。


 広場を埋め尽くす無数の顔は、そのすべてが、憎しみにあるいは熱狂に歪んでいた。


 立ち止まる者などいない。

 眉をひそめる者すらいない。


 誰一人として。本当にただの誰一人として。あるのはただ「魔女を殺せ」という、底のない悪意の合唱だけだった。


 慧の中で何かが、静かに崩れ落ちた。

 いや──それは、慧の感情ではなかった。エレオノーラが最後の最後まで、心のどこかで消せずに抱えていた、ひとかけらの希望。それがいま、確かに打ち砕かれた音だった。すがるべきものは何ひとつ、残されていなかった。エレオノーラが守ろうとしたこの国は、その民は最後まで彼女を人として見ることはなかったのだ。


 これが答えだった。

 残酷で、一片の救いもない答え。


 慧はゆっくりと瞼を閉じた。そして、もう一度開いた。その瞳の奥から迷いや戸惑いといった、温度のあるものが、音もなく消え失せていく。あとに残ったのは、底の見えない冷たく凪いだ、暗い湖のような静けさだった。


 胸を灼いていたエレオノーラの憎悪は、もはや借り物ではなかった。それは確かめ尽くした事実の上に立つ、慧自身の揺るぎない決意へと姿を変えていた。


 わかった。

 もう、わかった。


 エレオノーラ。あなたが何を望み何に絶望したのか。あなたをこんな目に遭わせたこの国に、この国の人々にわたしが、何をすべきなのか。


 処刑台の炎が、最後の輝きを上げて、やがて静かに鎮まっていく。

 刑はすべて終わった。亡国の魔女、エレオノーラ・ヴァン・ローゼンベルクは、この世から完全に消え去った。──少なくとも広場のすべての人間は、そう信じていた。


 しん…と。


 束の間、広場を奇妙な静寂が包み込んだ。

 その静寂を破って貴賓席のさらに上、王城のバルコニーへと一人の人物が姿を現した。豪奢な衣装に身を包んだ、壮年の男。この国の頂点に立つ者──国王であった。

 国王は両手をゆっくりと広げた。その喉に淡い光が灯る。音響を広場の隅々にまで届かせるための、魔法だった。そしてその声は、勝利を高らかに謳う鐘の音のように、人々の頭上へと降り注いだ。


「我が、忠実なる国民たちよ!」

 群衆が、一斉にバルコニーを見上げる。

「聞け! 長きにわたりこの国を蝕んできた、災いの根はたった今、断たれた! 亡国の魔女は滅びた! もはや、我らを脅かすものは何もない!」


 ひと呼吸置いて。

 国王は、声の限りに宣言した。

「ここに我は宣言する! 我が王国の安全を! 我らは救われたのだ──!」


 その瞬間。

 広場が爆発した。


 万雷の拍手と地を揺るがす歓声が、天を衝いて湧き上がる。人々は抱き合い躍り上がり涙を流して、その勝利を祝福した。長かった悪夢は終わった。これからは平和な日々が続くのだと、誰もが信じて疑わなかった。


 貴賓席ではエリスが、八人の青年たちと喜びを分かち合っていた。アレクサンデルが、万感の思いを込めてエリスの手を握る。エリスは今度こそ、心の底からの満面の笑みを、惜しげもなく咲かせていた。


 勝った。

 すべては自分の思い描いた通りになった。これでこの世界は、完全に、自分のものだ──と。


 歓喜が絶頂へと駆け上がっていく。

 誰も知らなかった。

 その祝福の歓声のはるか頭上で。


 ひとつの影が、長くゆっくりとその身を起こし始めていることを。


 第三話 了

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

第四話は18時過ぎに公開します。


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