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悪役令嬢に転生したら公開処刑前夜でした ~吸血神の力で転生聖女を世界の果てまで追い詰めます~  作者: 1009


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第二十二話「悪運の吹き寄せ」

 どこまでも続く荒涼とした岩の大地へ、一条の影が、長い尾を引きながら墜ちていった。


 オーランドである。


 疑似神と化したベラフィアのたった一撃によって戦場から遥か彼方まで弾き飛ばされた彼の体は、幾度も宙で回転しながら、乾いた岩肌へとしたたかに叩きつけられていった。


 折れた漆黒の翼が力なく地を掻き、その口からは絶え間なく赤いものが零れ落ちている。岩の稜線に幾度も打ちつけられ、そのたびに骨の軋む音を体の内側で聞きながら、彼はようやく砕けた瓦礫の只中でその動きを止めた。全身は焼けるように痛み、指の一本を持ち上げることさえ、いまの彼には容易ではない。まぶたを開けているだけで気が遠くなりそうなその中で、彼はなおも、途切れかけた意識を懸命につなぎ止めようとしていた。


 遠く耳の奥で自分の心臓が打つ音だけが、やけに大きく響いている。その鼓動のひとつひとつが、まだ自分は生きているのだという、頼りない証のようでもあった。


 それでも霞んでいく意識の底で、彼が何よりも先に悔いていたのは、この身の傷などではなかった。


(……母上。申し訳、ありません……。この身はこんなところで……)


 母のために確かに「使える」存在であると証明する——固く胸へ誓ったその言葉を、彼はあの化け物の前で無様に中断させられてしまった。あの御方をあんな怪物と二人きりに残したまま、自分だけがこんな役立たずの姿で地に転がっている。


 その痛恨は、砕けた体の痛みよりもなお深く彼の胸を灼いた。あの御方は、灰へと消えかけていた自分をこの世へと呼び戻してくれた恩人であり、いまや、この命のすべてを捧げると誓ったただ一人の主でもある。その母のために何ひとつ役に立てぬまま、こんな荒野で朽ちていくなど、彼にとっては死そのものよりも、よほど耐えがたい屈辱だった。


 立ち上がらねばと、せめて母のもとへ戻らねばと念じて身を起こそうとするたびに、四肢は鉛のように重くのしかかり、暗く滲んでいく視界が彼の意志を無情に押しとどめる。それでも歯を食いしばり、震える腕でどうにか上体を起こしかけたそのとき、なおも霞んでいく視界の片隅に、彼はふと、二つの人影が佇んでいるのを認めたのだった。


 *


 オーランドが墜ちたその岩場のすぐ傍らには、朽ちかけた廃屋が一軒、身を潜めるようにひっそりと建っていた。そして、その崩れた壁の陰にこそ、追われる身となった二人の男女が息をひそめて潜んでいたのである。


 勇者マーカス・ヴェイルハートと、歌の聖女エリス・フォン・クライン。


 かつては聖女と勇者として人々に傅かれた二人も、いまや帝国全土に懸賞金をかけられ、街道という街道を追われ続けた末に、帝国の外れのこんな辺境にまで逃げ延びてきていた。


 日ごとに募る飢えと疲労、そして背後から迫る追っ手の影に、二人の神経は、とうに限界まですり減らされている。だが、考えてみれば、これは決してただの偶然などではなかった。


 オーランドが墜ちる場所など、この広大な大地のどこであってもよかったはずである。それにもかかわらず、彼がよりにもよってこの二人の眼前へと墜ちてきたことには、動かしがたい理由があった。


 ほかでもない、エリス・フォン・クラインという女がその身に宿した、度し難いほどの悪運である。ヒロインの宿命なのか?イベントを引き寄せずには、起こさずにはいられない…その呪われた星回りが、こうして自らを裁くはずの者すらも、みすみす己の膝元へと招き寄せてしまったのだ。


 エレオノーラを陥れ、聖王国を滅びへと導き、いまや自らの身をも滅ぼしかけている——エリスがその足で踏みしめてきた道のりは、今や災いばかりを撒き散らす悪運の軌跡そのものだった。


 無論、二人がたまたま同じ帝国の周縁へ逃げ込んでいたという地理の巡り合わせも、そこには重なってはいた。だが結局のところ、この皮肉な邂逅を手繰り寄せた真の糸は、ほかならぬエリス自身の悪運にこそあったのである。


 轟音とともにすぐ間近の岩場へ何かが激しく墜ちてきたとき、廃屋に潜んでいた二人は、びくりと身を強張らせた。追っ手かと身構えたマーカスだったが、瓦礫の中に見えたのが翼を折られて動けずにいる一人の顔見知りだと知るや、その警戒はたちまち、下卑た好奇へと変わっていった。


「……おいおい。こいつは驚いたな」


 崩れた壁の陰からぬうと姿を現したマーカスが、地に伏したオーランドを見下ろしながら、その口元を下卑た笑みに歪めた。手には、あの禍々しい鎖鎌——神滅剣〈ハーヴェスト〉が、じゃらりと重い音を立てて握られている。


「オーランド、なんでお前が生きてる?。あの魔王に確かに胸を貫かれたはずなんだかなぁ」

「まぁ、いい。こんな満身創痍で、俺たちの目の前へのこのこ転がり込んでくるとはなぁ。……くくっ、世の中ってヤツは、まだまだ捨てたもんじゃねえ」


 かつてこの男は、共に戦ったはずのオーランドを、あろうことか敵の前へ盾として突き出し、そのまま平然と見殺しにした張本人である。卑劣という言葉がこれほど似合う男も、そうはいないだろう。そのマーカスの目にいま爛々と宿っているのは、手負いの獲物を前にしたハイエナのような、あさましい光だった。


 じりと一歩、マーカスが間合いを詰める。その足取りには、勝利を確信しきった者だけが持つ、余裕と酷薄さとが滲んでいた。地に伏したまま身動きもままならぬ元勇者を前に、この男はいたぶるように、ゆっくりと鎖鎌の柄を握り直した。


「今度こそ…間違いなく、お前を殺してやる。すぐ楽になれると思うなよ。……こっちは逃げなきゃならん立場になって、ずっとむしゃくしゃしてたんだからよぉ!」


 その聞くに堪えぬ嘲弄が、地に伏したオーランドの耳にも確かに届いていた。


(……手負いのいまなら、この神滅剣の一撃で、確実に仕留められる)


 狡猾な男の下卑た計算は、すでに始まっていた。相手が生きて動けるうちに、この目障りな勇者を確実に始末しておく。かつて危険な相手には決して正面から挑まず、隙を突いて確実に刈り取ってきた。


 それがこの男の一貫した卑しい流儀だった。そして、その傍らではエリスもまた、追い詰められた獣のような目で油断なく状況をうかがっていた。


(……あいつ、レーヴェンガルドの勇者よね。あの女とも繋がってるのかしら?……もしかしたら使えるかもしれない。こいつを人質にとれば、逃げ切れるかも)


 自らが招いた破滅であることなど露ほども思い至らぬまま、この期に及んでもなおエリスの頭の中は、いかにしてこの状況を自分ひとりの利益へと変えるか、その一点だけで埋め尽くされていた。


 この期に至ってすら、他人の生き死には、彼女にとってはどこまでも他人事でしかない。手負いの者ですら、この女にとっては、我が身可愛さのために利用する便利な道具のひとつに過ぎなかったのである。


 束の間、二人の視線が宙で交わった。互いに、相手を心の底では信じておらず、いざとなれば躊躇なく切り捨てる腹づもりでいる。そんな薄氷のような共犯関係の上で、この男と女は目の前に転がり込んだ獲物を前に、それぞれの思惑を静かに巡らせていた。


「……おい、聖女様よ」

 マーカスが、オーランドから目を離さぬまま、低く声をかける。


「余計な手出しは、するんじゃねえぞ。こいつの始末は、この俺がつける。……あんたはせいぜい、そこで大人しく見てるんだな」


「ふん。言われなくても、そうするわよ」

 エリスは鼻を鳴らして応じながらも、その内心では、まるで別の算段を抜け目なく走らせていた。この乱暴者が勇者と勝手に潰し合ってくれるなら、それはそれで、こちらには好都合だ。


 漁夫の利をさらうのは、いつだって賢しく立ち回る自分のほうなのだから——と。


 *


 ちょうど同じ頃、帝都の空を、一条の深紅の影が、風を切って翔けていた。クルエンタである。ベラフィアとの死闘にようやく決着をつけた彼女は、いま、行方知れずとなったオーランドの姿を求めて、天を駆け巡っていた。


「……まったく、あの子ったら。あんなに派手に吹き飛ばされちゃって。世話が焼けるんだから」


 口ではそう軽く零しながらも、その紅い瞳は真剣そのものだった。彼女は「天眼」の力で眼下の地上を隈なく見渡しつつ、それと同時に、己の血で結んだあの眷属との確かな繋がりを、そっと手繰り寄せていた。

 オーランドは、彼女が自らの血を分け与えた大切な眷属である。ゆえにその気配は、どれほど遠く離れていようとも、母である彼女には細い糸のように微かに感じ取れるのだった。


 とはいえ、その糸があまりに弱々しく、いまにも途切れそうに揺らいでいることが、彼女の内心をわずかに急かしてもいた。あの子は、確かに、私の血を継いだ強い眷属である。


 だが、いかに公爵級の身であろうと、あれほど遠くまで吹き飛ばされて無傷でいられるはずもなく、いまこうしている間にも命の灯が細っているのかもしれない。そう思うと口調こそ軽くとも、彼女は翼を打つ手を、いつしか速めていた。オーランドを、あんな最期にさせるわけにはいかない。


 自分の血を分け与えたときから、あの子は単なる手駒ではなく、確かに守るべき我が子となっていた。そう胸の内で呟く彼女の横顔には、常の余裕とはまた違う、母としての静かな険しさが滲んでいた。


(……こっちね。ええ、間違いない。この方角の、遥か向こう)


 その微かな血の感応だけを頼りに、クルエンタは進路を、帝国の外れに広がる荒野のほうへと定めた。眼下を流れていく大地は、どこまでも静まり返っている。


 その静けさの底に、我が子の気配だけが、灯火のようにぽつりと灯っていた。彼女はその灯を見失うまいと翼をひときわ強く打ち、まっすぐに荒野の彼方をめざした。


 だが、このときの彼女はまだ知らなかった。そのたどり着く先で、因縁浅からぬ相手たちが我が子を取り囲み、まさに牙を剥こうとしていることを。


 *


 薄れゆく意識の中で、オーランドは、目の前に立つ男の顔を、必死に見定めようとしていた。この下卑た笑みを浮かべた卑しい男。この顔をこの気配を、自分は確かに知っていたし、忘れられるはずもなかった。


 ――マーカス。


 その名が脳裏に浮かんだ瞬間、彼の記憶の底から、あの屈辱の光景が鮮烈に蘇ってきた。共に戦いに出向いていたにもかかわらず、己を平然と盾にしたばかりか、あのかけがえのない母上まで深く傷つけてみせた卑劣漢——そのすべてを、彼は死の間際にもはっきりと見ていたのだ。


 あの日、自分がなぜ死なねばならなかったのか。その理由のすべてが、いま目の前で笑うこの男に、集約されている。あのとき背に受けた同胞の刃の冷たさを、味方に見捨てられた瞬間の底なしの絶望を、彼はいまも体の芯で覚えている。それは、いくら生まれ変わろうとも、決して消えることのない、烙印のような記憶だった。


(……マーカス、またキサマか!!)


 すると不思議なことに、折れかけていたはずの心の芯へ、ふいに静かな熱が灯った。母のもとへ戻れぬ無念にうち沈んでいたその体の奥の奥から、ふつふつと、確かな戦意が湧き上がってくる。こんなところで無様に倒れているわけにはいかない。


 母上に害をなしたこの男を、この卑劣きわまる男を討たずして、どうして母の剣たるこの自分が、朽ち果てることなど許されようか。かつては誠実さゆえに欺かれ、この男に利用された。だが、同じ轍を、二度も踏むつもりは、もはや彼にはなかった。


 たとえこの身に、もう剣を握る力さえ残っていなかろうと。母の名にかけて、母の誇りにかけて、この卑劣漢だけは決してこのまま見過ごすわけにはいかない。その一念が、砕けた体の隅々にまで、じわじわと新たな力を通わせていくようだった。


 閉じかけていたオーランドの双眸が、ゆっくりと、しかし確かな光を宿しながら、再び開かれていく。その双眸に宿った光を間近に見下ろしていたマーカスが、ほんのわずかたじろいだ。死にかけていたはずの獲物が、いつの間にか静かな殺気を纏いはじめている。


 そのことに、この狡猾な男もまた、遅ればせながら気づきはじめていた。


 満身創痍の吸血鬼となった元勇者と、卑劣な神滅剣の担い手による宿命の一騎打ちの幕が、いままさに、静かに切って落とされようとしていた。


 第二十二話 了

最後まで読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m


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