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悪役令嬢に転生したら公開処刑前夜でした ~吸血神の力で転生聖女を世界の果てまで追い詰めます~  作者: 1009


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第十九話「神格」

 ――ぶつりと。

 あってはならないはずの鈍く湿った肉の裂ける音が、戦場の喧噪を瞬く間に鋭く切り裂いた。


 そして次の刹那。吸血神クルエンタのそのしなやかな片足が根元から断ち切られ、鮮血の尾を長く引きながら、くるくると天へと舞い上がっていた。


「――え?」

 自らの身に起きたことが、たっぷり一拍遅れて理解に追いついてくる。クルエンタの酷薄な美貌に、二度目となる素の驚愕がぽかりと浮かんだ。


 それはあの憤怒のイグニスとの灼熱の削り合いのちょうどさなかであった。彼女は「神速」を駆使して、二体――いや、ルシフェルを討ったいまや一体となった魔王の猛攻を、それこそ完璧に捌ききっていたはずだった。


 だというのに…まったく予期せぬ思いもよらぬ死角から、何か鋭利な刃のようなものが音もなくするりと滑り込み、その片足をいとも易々と刈り取っていったのだ。


「……なっ!? どこからこんなものが――!?」

 

 この戦場で、彼女の「神速」の動きにこうも易々と刃を届かせられる者など、そうそういるはずがなかった。手負いの魔王たちに、いまさらそれだけの余力が残っているとも思えない。ならば――いったい誰が……? ぞわりとうなじの毛が逆立つような、ひどく嫌な予感が、彼女の胸の裡を冷たくかすめていった。


 だが、その動揺もほんの瞬きひとつ分であっさりと終わった。


 断ち切られた足の断面から、間断なく深紅の血が噴き出す。次の瞬間にはその血がまるで意志でも持つかのようにうねり、みるみるうちに新たな足の形へと再構築されていった。再生を司る女神たる彼女の、規格外の高速再生。秒とかからぬうちに、クルエンタの肢体はまるで何事もなかったかのように、その完全な姿を取り戻していた。


(――足が一本持っていかれただけ。それ自体は、まあどうってことないけどね。……問題は“誰が”『どうやって?』それをやったのかよ)


 油断なく周囲へと鋭い視線を走らせる。だが、その正体を彼女がはっきりと見定めるよりも、ほんの少しだけ早く――。

 

  *

 

 戦場の暗い片隅。

 ベラフィアのその両の手の中には、いま、ずしりとした重みをもってあの神の片足が握りしめられていた。


 魔王へと覚醒し、その身に取り込んだ無数の力を束ねて編み上げた、一条の見えざる刃。それをあの死闘のほんの一瞬の死角へとそっと差し入れて――ついに彼女は切り取ってみせたのだ。あれほどまでに憧れ焦がれ渇望してやまなかった……魔神その人の肉の一部を。


「……取ったわ。ふ、ふふ……ついに、ついに……!」

 抑えきれぬ興奮に、その声がわなわなと震える。両手でベラフィアはその戦利品を、狂おしいほどにぎゅうと強く抱きしめた。


「これが……これこそが、あの魔神の力……! これをこの身に取り込みさえすれば……! あたしはついに、あいつをも……超えるのよ――!!」


 もはや一刻とて待ってなどいられなかった。

 ベラフィアは、その白く鋭い牙を女神の柔らかな肉へと深々と突き立てた。


 その瞬間のめくるめく恍惚。ついに手が届いた頂の味。ベラフィアはうっとりと目を閉じ、その至福の力が渇いた五体の隅々にまでじんわりと行き渡っていくのを、心の底から待ち受けた。


 ――だが。

 その瞬間のことだった。


「……ぁ」

 彼女の喉から、ひどく間の抜けた声が漏れ出す。


 女神の血肉がその体内へと流れ込んだ、まさにその刹那。ベラフィアを襲ったものは、あれほど渇望していた甘美なる力の奔流などでは――決してなかった。


 ――劇痛。

 それは、想像を絶する劇痛だった。


 全身の血管を内側から灼けた鉄の針でいっせいに掻きむしられるかのような。

 骨の髄のその一本一本が、ぐずぐずと音を立てて腐り溶けていくかのような。

 そして魂そのものを、無数の見えざる手で寸刻みに引き裂かれていくかのような。

 

 生まれ落ちてこのかた、ただの一度として味わったことのない絶望的な苦痛が、彼女の全身を真っ黒な津波のように一息に呑み込んだ。


「あ……ぁ、が……がぁあああああああああああああッ――!!?」


 喉が張り裂けんばかりの絶叫。ベラフィアは地に転がり、のたうち回り己の身を掻きむしり、泡を吹きながら悶え苦しんだ。両の目からは血の涙がとめどなく溢れ、開いた口の端からは、どす黒い体液がだらだらと零れ落ちていく。


 喰らったはずの神の肉が、逆に内側から彼女のことを喰らいはじめていた。取り込んだばかりの力が暴れ狂う異物と化して、臓腑を血を神経を片端から無慈悲に灼き蝕んでいく。


 まるで獲物と捕食者とが、このほんの一瞬でそっくり立場を入れ替えてしまったかのようだった。あれほど焦がれ、渇望した力が、いまや彼女自身をその内側から殺しにかかっている。


 ――「終焉の晩餐ラスト・サパー


 それこそが、あの女神がその身の裡に秘めた恐るべき権能のひとつだった。彼女の血肉を、その力をあわよくば奪い取ってやろうと口にした、すべての「取り込む者」に対する絶対の報い。女神の肉は外なる者にとって、この世で最も甘美で――そして、この世で最も致死性の高い猛毒なのである。


 それを口にした者は、これまでただの例外もなく死んできた。


 その理の前で、ベラフィアもまたいままさに、その命の灯火を無慈悲に吹き消されようとしていた。

 生と死と。


 そのあまりにも細い境界線の上を、彼女の魂はぐらりと危うく揺れ動く。

「い……いや……! いや、だ……! こんなところで……! せっかくここまで来たのにーーーー!!」


 薄れゆく意識のなかでも、それでもベラフィアは決して諦めなかった。


 彼女の異能が――三体の魔王から掠め取ったあの力が。

 魔王化した魔王種からそっくり写し取ったあの力が。

 そして、たったいま魔王へと昇格したばかりのその真新しい“『格』が。


そのすべてが悲鳴を上げながら総動員され、体内を狂ったように巡る猛毒へと死に物狂いで抗いはじめた。それは、確率で言うならばほとんど奇跡に等しい抵抗だった。


 本来ならば断じてあってはならぬこと。

 だが――彼女がこの短い間に必死で積み上げてきたいくつもの偶然と、常軌を逸したその執念とが、この一瞬にだけ辛うじて生死の天秤を傾けてみせたのだ。


 それは、力と猛毒との壮絶を極める鬩ぎ合いだった。取り込んだ女神の肉が撒き散らす無数の死を、掻き集めたありったけの力で必死に押さえ込む。だが、押さえ込んだそばからまたあらたな死が、内側から際限なく湧き上がってくる。何度も彼女の心臓は、止まりかけた。そしてそのたびに、彼女はただ執念だけを頼りに無理やり、その鼓動を繋ぎ止めた。


 生きたい。生きて、生きて……この力をなんとしても我がものにしたい。そのたった一つの狂おしいまでの妄執だけが、いままさに崩れ落ちようとする彼女の魂を、辛うじてこの世へと繋ぎとめていた。


 いったい、どれほどの時が流れたことだろう。

 やがて――ベラフィアを苛み尽くしていた、あの地獄のごとき劇痛が、少しずつ引いていった。


 そして、その後に残されたもの。


 それは――。

「……あ、あは。……あは、は……」


 ゆらりとベラフィアの体が、地の底からゆっくりと立ち上がる。


 その体の内側からは、今やこれまで彼女が喰らってきた神や魔王のものともおよそ比べものにならぬ絶大な力が――堰を切ったようにこんこんと、際限なく湧き上がっていた。全身が、歓喜に打ち震えている。指の先の先まで漲りきった、この圧倒的なまでの充溢感。


 天地の理さえ思うがままに捻じ曲げてしまえそうな――この途方もない全能感。


 その充溢に呼応するかのように、ベラフィアの姿もまたみるみる変貌を遂げていった。骸を喰らって歪に膨れ上がっていたはずのその体は、いまや恐ろしいほどに整い研ぎ澄まされ、まるで一柱の神を思わせる禍々しくも美しい威容へと作り変えられていく。かつての観測者の面影は、もはやどこを探しても残ってはいなかった。


「……あはははは! あっははははは――ッ!!」

 ベラフィアは天を高々と仰ぎ、まるで何かが壊れてしまったかのように狂おしく嗤った。


「これだ……! これよ、これ! あたしがずっと、ずうっと追い求めていたものは――結局のところ、これだったのよ――!!」


 その絶叫が、天をびりびりと震わせる。

「もう……あたしは誰にも従わなくていい! 真魔皇にも、その他の誰にも! ああ、そうよ……これからはこの力で……このあたしの力で何もかも、この世のすべてを従えてやるのよ――!!」


 ――疑似神。


 魔王の格を遥かに凌駕しながら、しかし真の神へはあとほんの一歩だけ届かぬ、いびつな神格。累々たる骸を拾い喰らい、そして簒奪して成り上がった歪な女神が――いまこの戦場に、その禍々しい産声を上げたのだった。

 

  *

 

 その途方もない気配の奔流を前に――戦場のすべてが、ぴたりと凍りついた。


 嫉妬のレヴィアとなおも激しく斬り結んでいたオーランドのその動きが止まる。相手であるはずのレヴィアさえも目の前の獲物を狩る喜悦をすっかり忘れ、うろたえたように背後を振り返った。憤怒のイグニスが上げていた獣めいた咆哮すらもふつりと途切れる。


 誰もが本能で悟っていた。いまこの戦場を支配していた力の均衡が、その根底から音を立てて覆されたのだと。手負いの魔王たちの顔にありありと浮かんだのは、もはやあの女神への殺意などではなく、ただ新たに立ち現れたこの得体のしれない存在に対する剥き出しの恐怖だった。


 そして――クルエンタもまた。

 ゆっくりと…その戦場の隅へと静かに視線を向けた。


 そこに立っていたのは、もはやあの崩れた尖塔の陰で瘴気を啜っていたべラフィアなどでは、断じてなかった。魔王の格すらも軽々と踏み越えた、禍々しく、それでいてどこか神々しくすらある圧倒的な『格』を纏った――


 一柱の神と思わしき存在。

 

 その『格』から絶え間なく放たれる無形の圧が、ずしりと戦場そのものへと重くのしかかった。周囲の大気がその圧の重みに耐えかねて、みしりと悲鳴じみた軋みを上げていく。すでに崩れかけていた尖塔が、ただその圧に晒されただけで、ぼろぼろと瓦礫を零しはじめた。ただそこに在るというだけで、世界の側がその存在のあまりの重さに軋みたわみ、悲鳴を上げる。それはまさしく神の名を騙るにふさわしいだけの威容だった。


(……へえ)

 その姿を認めて、クルエンタの紅い瞳がすっと細くなる。


(……あたしの足を刈っていったのは、お前だったのね。しかも……よりにもよって、私の肉を喰らってまだ生きてるだなんて。……ふうん。これはちょっとだけ本気で驚いたわ!)


 その驚きは、しかし恐れの色などでは決してなかった。むしろそこにはどこか冷めた、静かに相手を値踏みするような色が宿っている。取り込みによってあれほど急激に膨れ上がった…あの力。その正体に、彼女はすでにうっすらと心当たりを覚えていた。だが――いまはまだ、その考えをあえて口にするつもりは、彼女にはなかった。


 従属者は、もうどこにもいない。

 

 真魔皇の忠実な観測者であったはずの魔王種は、いまやその主すらも見限り、この世のありとあらゆるものを我が手中に収めんとする――底なしの野心を宿した、一人の簒奪者へと完全に変わり果てていた。


 運命の歯車が、いま、ここで地鳴りのような悲鳴を上げて回り出す。

 ――戦いはまったく新たな、そしてこれまでで最も危険な局面へと、まさに雪崩れ込もうとしていた。

 

 第十九話 了

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