第十五話「看破」
帝都の上空で、九つの影はいまだ石像のように凍りついていた。
ほんの数瞬前、地上のただ一点から突き上げてきたあの途方もない気配。それを肌に浴びてからというもの、傲慢の魔王ルシフェル・ゼニスをはじめとする一党は、警戒も露わにじりじりと空中で身構えていた。あの尋常ならざる波動の源を、いったいどこに、どう見極めればいいのか――ルシフェルが忌々しげに眼下の帝城へと視線を落とした、まさにその刹那のことであった。
彼らのすぐ目の前の虚空が、ぐにゃりと歪んだ。
まるで静かな水面に石を投げ込んだかのように、何もなかったはずの夜気がゆらりと波打ち、そこから深紅の残光が音もなく滲み出す。そして次の瞬間にはもう、二つの影が当たり前のような顔をして悠然と宙に浮かんでいた。
血のように紅い髪をなびかせた、深紅の女神。そしてその傍らに、漆黒の翼を広げて付き従う公爵級の吸血鬼。
クルエンタとオーランドだった。
「なっ……!!」
嫉妬のレヴィア・カインが、思わずといった風に掠れた声を漏らす。
「転移……だと? 詠唱も魔法陣もなしに…跳んだというのか……!」
魔王たちの間に、隠しようもない動揺が走った。空間そのものを跳躍する術は、彼ら魔族にとってすら決して容易く扱えるものではない。それをなんの予兆も、なんの気負いもなく、こうまであっさりとやってのける。ただその一事だけで、目の前に現れた女が尋常な存在では断じてないことが、否応なく分かってしまった。憤怒のイグニス・ブラッドですらその仮面の奥でぐるりと喉を鳴らし、突然すぎる出現にわずかに身を沈めて構えを取っている。
だが、当のクルエンタはそんな彼らの驚愕などまるで歯牙にもかけていなかった。むしろ面白がるように紅い唇を吊り上げると、彼女はゆっくりとその双眸へ、静かに力を込めていく。
「スキル――天眼」
彼女がそっとそう囁いた、その瞬間だった。紅い瞳の奥に、幾重もの光の紋様が環を描いてくるくると回りはじめる。
世界のありとあらゆる事象を情報として捉え、解析してみせる――超越的な認識の権能。その眼の前では、いかなる者の底ももはや隠しおおせるものではない。九つの異形の名もその能力も、彼女の視界の中で次々と輪郭を結んでいった。
その紅い眼に見据えられた魔王たちは、我知らずぞわりと総毛立った。あの眼はただ姿かたちを映しているのではない。肌の下を骨の髄を、これまで隠し通してきた手管の全てを、まるで透かすようにずかずかと覗き込んでくる。見られている――それも、逃れようもなく根こそぎに。そのおぞましい感覚に、常なら誇り高いはずの魔王たちでさえ、思わず身を強張らせずにはいられなかった。
(……へえ。なるほどね。ずいぶんと多彩な面子を揃えてきたじゃない)
胸の裡で、彼女はまるで慣れ親しんだゲームの敵情報でも眺めるようにすいすいとそれを読み下していく。そして彼女は、あえてその手の内を声に出して暴いてやることにした。相手の切り札を真正面から言い当ててやる――それがどれほど深く心を抉り、戦う前から相手の膝を折るものであるかを、彼女は経験としてよく知っていたからだ。
「まずは……そこのいかにも偉そうにしているお前。傲慢の魔王、ルシフェル・ゼニス」
名を呼ばれた銀髪の魔王が、びくりと機械の翼を強張らせた。
「神墜とし(ゴッド・フォール)。狙った相手のステータスを、問答無用で半分にまで叩き落とす。相手が格上だろうが神話級だろうがおかまいなし。……ふふ、ずいぶんといやらしい能力ね。自分より強い者を無理やり自分の高さまで引きずり下ろすなんて。あなたのその捻じ曲がった性根が、透けて見えるみたいだわ」
「なっ……!? き、貴様、なぜそれを――」
常に他者を羽虫と見下し、超然と構えてきたこの男にとって、己の内をこうまで無造作に暴かれることは、それ自体が耐えがたい屈辱であった。羽虫に値踏みされている。その事実が、彼の傲慢な矜持をじりじりと灼いた。
「お次は、そこの色っぽいお前。嫉妬の魔王、レヴィア・カイン」
クルエンタの視線が、片目を黒い眼帯で覆った女へとすっと移る。
「羨望の模倣。人のスキルを丸ごと盗んで、より高い出力で焼き直す。おまけに他人の幸福まで吸い上げて、ちゃっかり自分の傷を癒やしてる。……そんなに他人のものが羨ましいのか? かわいそうに。お前の中には、きっと誇れるものが何ひとつ無いんだろう」
「――ッ、黙れ……! 黙れッ……!!」
まさに図星を突かれたのだろう。レヴィアの妖艶な美貌が、みるみるうちに屈辱でぐにゃりと歪んでいった。だがその胸の奥では、屈辱と入れ替わるように別の暗い焔がちろちろと燃えはじめてもいた。
この女は自分より優れている。ならば――壊さねば。奪って真似て、そのうえで壊してしまわねば。生来の執着が、彼女の理性をじわりと侵しはじめる。
「そして、最後は……そこのむさ苦しい大男。憤怒の魔王、イグニス・ブラッド。星砕き(ワールド・バーン)で、あたり一面を二度と草木も生えない焦土に変えてしまう。斬られても砕かれても、すぐにくっつくしぶとい再生持ち。……頭に血が上ると、もう前後の見境がなくなるタイプか。まあ、単純明快でそういうのは嫌いじゃない」
仮面の巨人は何も応えなかった。ただ、その全身から噴き出す溶岩がぶわりと一段と勢いを増しただけだった。理性の乏しいこの魔王には看破の屈辱すらまともには届かない。ただ、目の前の獲物を焼き尽くしたいという衝動だけがぐつぐつと煮え滾っていく。
――クルエンタの容赦のない看破はそこで終わりはしなかった。
「それから。後ろのほうで縮こまってる、魔王種たちも、まとめて見てやろう」
彼女の紅い眼が、六体の随行者たちをひと息に舐めるように捉える。
「刃翅のザイル・グレン――音すら置き去りにする、翅の高速斬り」
「鉄骸のドルガ・ヴァント――殴られれば殴られるほど硬く、重くなる鉄壁の盾役」
「砲群のギルヴァ・ロア――骨の砲門から魔力を撃ちまくる賑やかな弾幕係」
「群狼のネビア・カルド――無数の狼に散らばって群がる囮の名人」
「不朽のザラ・メレク――何度殺しても澱みから甦る、しぶとさだけが取り柄の子」
「そして……毒霧のシェスカ・ヴィレ。戦場をまるごと毒の沼に変えてしまう、実にいやらしい地形係ね」
一体、また一体とその底の底まで見透かされていくたびに、六体の魔王種はたまらずびくりと身を硬くした。互いにそっと視線を交わし合う。この女の眼からは何ひとつ隠しおおせない――その底知れなさへの怖気が、じわりと彼らの間に伝染していく。
「ああ、それと――お前たち六人、そろってとっておきの隠し球を持ってるだろう? 制限時間つきで魔王並みの力に化けられるスキル、魔王化…」
「ふふふ…お前らの手の内なんて、全部全てまるっとどこまでもお見通しだ!」
そのあまりにも寸分違わぬ看破を前に、その場の空気がしんと痛いほどに凍りついた。
「……お、おい」
ようやく砲群のギルヴァ・ロアが、喉の奥から掠れた声を絞り出す。
「こいつ……俺たちをまとめて丸ごと鑑定しやがった。この俺たち魔王を…見られるレベルの鑑定スキルだと……? そんな、そんな出鱈目なもの、俺は聞いたことがねえぞ……!」
「ふーん」
クルエンタは彼らのそんな戦慄など、どこ吹く風とばかりに軽く受け流してみせた。それどころかその口ぶりは、どこか感心しているようですらある。
「にしても、魔族ってずいぶんと気合を入れて寄越してくれたのねー。魔王が三体に魔王種が六体だなんて。……あららら。これはちょっと、あたしも本気を出さないと案外ヤバいかもしれないわね」
「……そうおっしゃる割には、母上」
傍らに控えていたオーランドが静かに、けれどどこか怪訝そうに口を挟んだ。
「母上からは随分と余裕が感じられます。とても本気を出すべき相手を前にしているようには……お見受けできません」
「あー、それはねぇ」
クルエンタは悪戯を打ち明ける子どものように、くすりと笑ってみせる。
「なんて言えばいいのかしらね。……こう、神々との戦いなんかと比べちゃうと、どうにもねー。緊張感ってものが、いまいち湧いてこないのよ」
(……まあ、その全部がゲームの中での話だけどね)
その最後の一言だけはしっかりと胸の奥へ仕舞い込んで、彼女は澄ました顔を決め込んだ。
(……とはいえ、ね)
その澄ました面の下で、彼女はひそかに冷静な算盤を弾いていた。魔王が三体に、魔王種が六体。ゲームで喩えるなら、ちょっとした軍団戦級の面子だ。これを一体ずつ律儀に相手取っていては、こちらの手札まで無駄に削られかねない。
ならば――最初にまとめて数を減らすに限る。小細工も様子見も一切なし。手数で押してくる相手には、それがいちばん効くのだと、彼女は戦いの果てに身に沁みて学んでいた。
だが――彼女のその何気ない一言は、魔王たちの間に思いがけぬほど深い、暗い動揺を呼び起こしてしまった。
「……神々との戦い、だと?」
傲慢のルシフェルが、その端整な美貌を今度こそはっきりと引き攣らせる。
(なんだ、こいつは。いったいなんなんだ、この女は……!)
魔王を丸裸にしてみせるあの鑑定の眼。なんの予兆もなく空間を踏み越えるあの転移。
そして――神々と戦いだと? そのことごとくが、彼らのよく知る「魔王」という格の枠をあまりにも大きく逸脱していた。魔王という存在を頂点と信じて疑わなかったルシフェルの世界像に、ぴしりと細い亀裂が走る。
…とその時である。嫉妬のレヴィアの脳裏に、ある報告がふいにまざまざと甦った。
(……まさか。あのベラフィアの報告……。天秤の外に立つ者。世界の理そのものを踏み越えた、桁外れの存在。――魔神。まさか、こいつが本当に…その……!?)
一度そう思い至ってしまえば、もうその考えを頭から追い払うことはどうしてもできなかった。彼女のしなやかな背筋を、氷のような怖気がつうと冷たく駆け上がっていく。
そしてその戦慄は声にならぬまま、他の魔王たちの胸の裡へも静かに、確かに伝播していった。
魔神。
神話の彼方に封じられたはずのあの理外の脅威が――よもや、いまこの目の前に。
「……ちいっ。魔神だと? 冗談も大概にしろ。そんなものは、魔族の知る魔神はただ…おひとり、いまだ封印されておられる御方のみよ!」
レヴィアが湧き上がる恐怖を必死に振り払おうとそう吐き捨てかけた、まさにその瞬間だった。
クルエンタのほっそりとした肢体が、その内側からふいにまばゆい光を放ちはじめたのである。
深紅の――ではない。それは、思わず目を灼くような荘厳な黄金の輝きだった。
彼女の纏っていた女神のドレスが、その光の奔流にしずしずと呑み込まれていく。まるで、あたたかな輝きの繭が彼女の全身をそっと包み込んでいくかのように。
そのかつて見たことのない光を前に、傍らのオーランドすら思わず息を呑んだ。母の背から立ちのぼるその圧が、これまで幾度となく傍らで見てきたあの深紅の戦姫のものとは明らかに桁が違っていたからだ。
膨れ上がっていく黄金の輝きに、六体の魔王種がたまらずじりっと後ずさる。その光はただ眺めているだけで、格の違いというものを否応なく思い知らせてきた。まるで夜の帳そのものが、たった一柱の太陽を前にして静かに、深々とひれ伏していくかのようだった。もはや誰の口からも、減らず口の一つとしてこぼれ出てはこない。
「さて、と。……せっかくそこまで気合を入れて来てくれたんですものね。だったら、私もほんの少しだけそれらしく応えてあげないとね?」
黄金の光が満ちていくその中で、クルエンタの紅い唇だけがそう、ぞっとするほど艶やかに嗤った。
――魔王たちは、まだ知らない。
このまばゆい光の繭の向こう側から現れ出るものこそが、彼らの貧しい想像を遙か彼方まで踏み超えた、真の災厄の姿であるということを……
第十五話 了
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