表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢に転生したら公開処刑前夜でした ~吸血神の力で転生聖女を世界の果てまで追い詰めます~  作者: 1009


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/18

第十四話「束の間の午後」

紅茶の湯気が、午後の光の中を、ゆっくりとほどけていった。


 高い硝子窓を透かして、柔らかな陽が帝城のバルコニーへと差し込んでいる。磨き抜かれた白亜の手すりの向こうには、いくつもの尖塔を戴いた帝都エーレンフェストの街並みが、午睡でもするようにまどろんでいた。風は微かに花の匂いを含み、遠くのどこかで、鐘の音が一つ、また一つ、のんびり時を告げている。石畳を行き交う人々の影も、今日はどこかゆったりとして見えた。


 その光の只中に、一人の令嬢が、籐椅子へ深く身を預けていた。


 エレオノーラ――否、その白い皮膚の内側にいるのは慧である。彼女は、両手で包み込んだティーカップの温もりを、まるで初めて触れる不思議な宝物のように、そっと味わっていた。


(……平和だわー。やっぱりのんびりできるっていいよねー)

 胸の裡でひとりごちて、慧は、ふっと口元をゆるめた。


 思えば、この世界へ落ちてきてから、こんなふうに何もせずに座っていられた瞬間が、一度でもあっただろうか。身に覚えのない罪を着せられ、処刑台目前だったし――気がつけば吸血神として国を一つ焼き払い、二人の勇者を退け、帝国そのものを内側から作り変えていた。走って戦って飛んで。転生してからまともに息を吐く暇さえ、なかったように思う。


 それがどうだろう。今はただ、紅茶が冷めていくのを眺めているだけでいい。誰に追われるでもなく、誰を追うでもなく、ただ陽だまりの中に座っている。その手持ち無沙汰が、たまらなく心地よかった。


(……たまには、こういう風にゆっくりするのも、人間には大切だと思うのよー)


 眼下に広がっているのは、彼女がその手で作り変えた帝国だった。獅子を掲げ、狼のように立ち回ってきた武の国は、いまや夜の血脈に統べられ、しかし表向きは驚くほど穏やかに回っている。血に飢えて暴れるでもなく、恐怖に怯えてすくむでもなく、ただ静かに。慧はその光景を、我が事ながら少し不思議な心地で見下ろした。壊すだけなら、あの日いくらでもできた。けれどこうして「回るもの」を残したことのほうが、ずっと自分らしい選択だったような気もいまはしている。


 そのしみじみとした気分の傍らで、彼女は卓上に置かれた小瓶へと手を伸ばした。琥珀色の液体が、光を受けてとろりと輝いている。アイテムボックスの奥で何十本も死蔵していたエリクサーだった。


 小さく息をつき、封を切って一息に呷る。


 喉を滑り落ちた温かなものが、身体の芯まで染み渡っていくのを、慧はじっと感じ取っていた。この回復の恩恵は、エレオノーラに戻っている時にだけにしか、当然効果がない。だからこそ、こうしてログアウトし、令嬢の姿で茶を啜るこの時間そのものが、彼女にとっては、戦いの合間のかけがえのない養生でもあった。


(……うん。もう、どこも痛くない。ちゃんと治っているわね)


 指先を握ったり開いたりして、その感覚をそっと確かめる。罪人として牢獄に入れられていた時に痛めつけられた身体は、本来あるべき姿を取り戻した。エネオノーラを大切にすることは、結局のところ、慧自身を大切にすることでもある。


「――エレオノーラ様。おかわりをお持ちいたしました」

 背後から、遠慮がちな、それでいて心のこもった声がかけられた。


 振り返るとひとりの若い侍女が、真新しいポットを捧げ持ち、しずしずと歩み寄ってくるところだった。名をニナという。つい先日まで、この城でごく当たり前に立ち働いていた娘である。だが、いまはその白い首筋に、うっすらと、常人とは異なる夜の気配を纏っていた。オーランドが己の血を分け与え、下位の眷属としたのだ。公爵級のデイウォーカーとなった彼には、そうして新たな夜の眷属を生み出す力も備わっていた。


「ありがとう、ニナ。……あなたの淹れてくれるお茶は、本当に美味しいのね」

 エレオノーラが柔らかく微笑んでそう言うと、ニナは、ぱっと頬を染めて、嬉しそうに目を伏せた。


「もったいないお言葉です。あの……エレオノーラ様にそう言っていただけるのが、私にはなにより喜びでございます」

 その初々しい様子に、慧は内心でくすりと笑う。

(いい子だなぁ。……エネオノーラになってから、みなに酷い扱いを受けてきたから余計にそう感じてしまう)


 考えてみれば、奇妙な取り合わせだった。

 国を一つ滅ぼした吸血神と、「母上」と呼ばれる公爵級の元勇者、そして血を分けられたばかりの若い侍女。本来なら同じ屋根の下で過ごすはずのない三人が、いまは穏やかな光に包まれ、静かな時間を共有している。あの血の記憶を思えば、そのちぐhぐさがけいにはいっそおかしかった。


 けれど――悪くない。このいびつでどこか温かな居場所は、たしかに悪くはないと思えた。


 湯気を立てる新しい紅茶を注いでもらいながら、彼女は、ふと…この束の間の情景を、胸に焼きつけておこうと思い立った。理由は自分でもうまく言葉にできない。ただ、こういう穏やかな時間というものが、そう長くは続かないのだと――なんとなく…そう感じてしまった。


 だから、いまだけは……

 このなんの変哲もない午後の光を、余すことなく味わっておこう。


 卓の斜め後ろでは、その青年が、影のように静かに佇んでいた。オーランドである。護衛の任にあるとはいえ、この平穏な午後に彼だけは一度たりとも気を抜いてはいなかった。その澄んだ双眸は、談笑するでもなく寛ぐでもなく、ただ絶えず遠い空と街の気配とを、静かに見張り続けている。


「オーランド。あなたも少しは座って休んだらどう?」

 エレオノーラが振り向いてそう声をかけると、オーランドは、わずかに目元を和らげ、けれど静かに首を横に振った。


「お気遣い痛み入ります。ですが――母上のおそばにあって、母上をお守りすること。それこそが、いまの私に赦された、たった一つの役目にございます。この誇りだけは、どうか私に持たせておいてください」


 律儀な言葉に、けいは小さく肩をすくめた。生前の記憶と人格を残して蘇ったこの吸血鬼は、本当に生真面目で頑固だ。かつてはその誠実さを利用され尽くされた男が、いまはそれを唯一の誇りとして真っ直ぐに胸に秘めている。


(本当に不器用な人。……でも、そういうところ、嫌いじゃないな)

 ――と。

 そう思った、まさにそのときだった。


「母上」

 その青年の声が、ふいに低く鋭く変わった。先ほどまでの柔らかさとは明らかに異質な、研ぎ澄まされた緊張が、その一言には滲んでいる。


「悪意の塊が複数体。こちらへまっすぐ近づいてきております」

 その一言で、まどろんでいた午後の空気が、ぴんと張り詰めた。


 紅茶を注いでいたニナの手が、びくりと止まる。だがエレオノーラは、少しも動じなかった。彼女はカップを静かに卓へ置くと、しとやかに椅子から立ち上がり、遠い空の彼方へとその澄んだ瞳を向けた。


「そう。……わかりました」

 声に乱れは微塵もない。むしろその口調は来るべきものがようやく来た、とでも言うようにどこか凪いでさえいた。


(――はぁ。やっぱり、そうそう甘い顔ばかりは、させてくれないか)

 名残惜しさを、そっと胸の奥へと押し込めて、慧は、静かに意識を切り替える。


 ログイン。


 その瞬間、儚げな令嬢の輪郭が、内側から迸る深紅の光に、陽炎のように溶けた。たおやかだった肢体が、しなやかで力強いものへと変わり、闇色の髪が、血のように鮮烈な紅へと染まっていく。纏う空気そのものが一変した。可憐な令嬢は、もうそこにはいない。代わりに立っていたのは、見る者すべてを圧してやまぬ吸血神――


 吸血戦姫クルエンタ・フレイヤ、その魔神であった。


「さて。せっかくのお茶の時間を、わざわざ邪魔してくれるなんてね。どこの誰かは知らないけれど……ずいぶんと、いい度胸をしているじゃない」


 紅い唇が、酷薄な弧を描く。怯えるニナを庇うように一歩前へ出たオーランドの傍らで、クルエンタは悠然と、近づきくる来訪者たちの気配を待ち受けた。


  *


 ――時を同じくして。


 帝都の遙か上空、雲を裂いて北から迫る、九つの影があった。


 その先頭を、常に地を踏むことを潔しとしない傲慢の魔王ルシフェル・ゼニスが、漆黒の機械翼を微かに広げ、音もなく滑空している。すぐ後ろには、蛇鱗のドレスを翻す嫉妬のレヴィア・カインと、全身から溶岩を滴らせる憤怒の巨人イグニス・ブラッド。そしてさらにその背を追うように、随行を許された六体の魔王種が、思い思いの姿で、夜気を裂いていた。


「――しかし、度し難いな」

 滑空しながら、ルシフェル・ゼニスが心底うんざりしたように呟いた。


「この私が、わざわざ地を這う羽虫どもの国まで、足を運ばねばならぬとは。真魔皇様の御下命でなくば、とうの昔に引き返しているところだ」


「あら。あなたは、飛んでいるだけで、足なんて一度も使っていないでしょうに」


 嫉妬のレヴィアが、片目を細めてくすりと嗤う。その声には、どこか刺々しい棘が含まれていた。彼女の眼は始終、落ち着きなく虚空を彷徨っている。この世に自分より優れたものがあるかもしれない――ただそれだけの可能性が、彼女の胸を常にちりちりと灼き続けているのだ。


 その二体のやりとりを、憤怒のイグニスは、まるで意に介さなかった。ただ仮面の奥で獣めいた低い唸りを漏らし、視界に入るものすべてを灰に帰さずにはいられぬ衝動を、辛うじて押し殺している。その足元からしたたり落ちる溶岩が、通り過ぎる雲をじゅうと焼き焦がした。


「――なあ。本当にこんな辺境の人族の国なんかに、俺たち以上の存在とやらが、いるっていうのかよ」

 退屈そうに、そう口を挟んだのは、群狼の魔王種ネビア・カルドだった。


「聖王国を一夜で滅ぼした存在が、このレーヴェンガルド方面へ飛び去った――真魔皇様のもとへは、そう報告が上がっているんだとさ」


 砲群のギルヴァ・ロアが、全身に散った無数の眼を、ぎょろりと巡らせて、淡々と応じる。だが、その言葉の途中で、彼は、ふと…妙な胸騒ぎを覚えたように眉根を寄せた。

「……しかしなんだ、この感じは妙な奴が、やけに多く混じっちゃいないか?」


「お前も感じたか」

 刃翅のザイル・グレンが、薄刃の翅を不快そうに、ざわりと震わせる。


「この国は……たしか、ただの人族の国だったはずだよな?」

「あぁ。そうだったはずだ」


 だが、いま眼下の帝都から立ちのぼってくる無数の気配は、彼らのよく知る、脆く儚い人間のそれとはまるで違っていた。夜に深く馴染んだ、別の何か。まるで国じゅうの民が、そっくりそのまま、別の種族へと入れ替わってしまったかのような、名状しがたい違和感が、街のすみずみに満ちていた。ほんの数日前まで、確かに人の匂いがしていたはずのこの巨大な帝都が、いまはまるごと一つ、夜の側へと寝返っていた。


 魔王種たちが、揃って訝しげに口を噤む。


 その直後のことだった。

 地上のただ一点から、突如として途方もない力の奔流が、天を衝いてまっすぐに突き上げたのである。


 深紅の――それでいて、神々しいまでに澄みわたった、圧倒的な存在の気配。


 そのあまりにも隔絶した波動を肌に浴びた、その瞬間。先頭を征く三体の魔王が、まるで見えぬ壁にでも阻まれたかのように、弾かれてぴたりと空中で静止した。


「――ッ!!?」


 常に酷薄な嗤いを湛えていたはずの傲慢のルシフェルの美貌が、初めて強張る。

 嫉妬のレヴィアの片目に宿る光が、獲物をようやく見つけた獣のように、ぎらりと揺れる。

 憤怒のイグニスの仮面の奥からは、地を這うような唸りが、いっそう低く長く漏れた。


 ――見つけた。

 あるいは見つかった、と言うべきなのか。


 いずれにせよ、あの穏やかで優しい束の間の午後の平和は、いまこの瞬間、確かに終わりを告げたのだった。

 

 第十四話 了

ご拝読ありがとうございました。


皆様の日々の応援が、執筆の最大のモチベーションになっております。もしよろしければ、画面下方のブックマーク登録や評価(★★★★★)にて、作品を応援していただけますと幸いです。今後とも本作をよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ