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悪役令嬢に転生したら公開処刑前夜でした ~吸血神の力で転生聖女を世界の果てまで追い詰めます~  作者: 1009


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第十話「クルエンタVS勇者オーランド」

 火花が、闇を裂いて散った。


 双剣がうなりを上げるたびに、耳をつんざく剣風が廃村の空気を震わせ、その衝撃が大気そのものを軋ませる。青白い光をまとった双剣が、残像を引いて幾条もの弧を描き、そのひと振りごとに、返り血とも火花ともつかぬ煌めきが、宙に飛び散っていった。


 もはや周囲の兵たちは、誰一人として動けずにいた。

 いや、動けるはずもなかった。彼らの目の前で繰り広げられているのは、人の理を遥かに超えた、神域の斬り合いだったからだ。介入することも、援護することも叶わない。ただ、固唾を呑んで見守ることしかできなかった。


 勇者オーランド。

 〈誓約〉の権能によって研ぎ澄まされたその双剣は、もはや鉄壁を通り越して暴風だった。長剣〈ヴェリディス〉が唸りを上げて大気を薙ぎ、その一撃をクルエンタが躱すや否や、間髪を容れず、短剣〈フィデス〉が死角から喉笛を狙って滑り込んでくる。攻めと守り。豪と巧。二つの刃が、寸分の隙もなく連携し、女神を四方から追い詰めていく。


「当たらなければ、どうと言うことはない——」

 クルエンタは、防戦一方だった。

 あのゲーム時代には無敵を誇った吸血の女神がである。彼女ですら、この勇者の剣を前にしては、反撃の一手を差し込むことすら、容易には許されない。少しでも足を止めれば、その刹那にあの神を殺す刃が、彼女の心臓を貫くだろう。


(——重い。速い。そのうえ崩れがない。人族にしてはほんと凄い!)

 ゲームで対峙したボスクラス並みに、この相手は厄介だった。パターンを読み寸前で躱し、なんとか凌いではいる。だが、それだけだ。攻めに転じる、その一瞬の隙が、どうしても見つからない。オーランドの剣は、それほどまでに完成されていた。


 彼女は、血人形を盾に呼び出した。数体の深紅の兵が、二人の間に割って入る。だが、それも一瞬の時間稼ぎにしかならなかった。オーランドの長剣が横薙ぎに一閃すると、血人形はまとめて上下に両断され、崩れ落ちていく。その斬撃の勢いのまま、彼はさらに深く踏み込んできた。慧は舌打ちして、崩れかけた石壁の陰へと跳び退く。壁を背にして、背後を取られる危険だけは消す。


 だが、逃げた先の壁ごと、〈ヴェリディス〉の一撃が、何の障害もないかのように断ち割った。

「——さすが創世級ジェネシスね!」

 慧は、間一髪で身を投げ出す。彼女がついさっきまでいた場所を、青白い剣閃が薙ぎ払い、古びた石壁が、轟音を立てて崩落した。土煙が舞う。その白い煙を裂いて、追撃の短剣〈フィデス〉が、正確に彼女の眉間を狙って突き込まれてきた。


 紙一重。首をひねって、その切っ先を髪の毛一本の差で逃がす。頬の横を冷たい鉄の感触が、確かにかすめていった。

(この距離で、この精度……!)

 並の相手プレイヤーならとっくに十回は死んでいる。彼女が避けられ続けていられるのは、ひとえに吸血神としての身体能力と、ゲーマーとしての異常なまでの反応速度、その二つが噛み合っているからにすぎない。しかし、それでも——攻めに転じられない。


 しかし、それは()()()()()()()()()での話である。彼女はこの紙一重の攻防をプレイヤーとして楽しんでいた。


 オーランドの剣には、一切の無駄がなかった。

 力任せに振り回しているのではない。一撃一撃が、寸分の狂いもなく急所を狙い、しかも外した後の隙がほとんどない。長剣で崩し短剣で仕留める。

そのリズムは、まるで精緻な仕掛けのようでいて、そこに確かな魂の熱が宿っている。守るべきものを守るという揺るぎない信念の熱が。


 慧は、あえて反撃を捨て、回避と受け流しに徹した。まともに打ち合えば、神滅剣の前に、こちらの得物ごと断ち切られる。だから、いなす。柳のように水のように、その剛剣の力を殺し逸らし受け流す。斬撃の軌道の外へ外へと、身を置き続ける。


 鋼が空を裂く音。踏み込む足が地を蹴る音。二人の影が、廃村の広場を、目にも留まらぬ速さで縦横に駆けめぐる。それは、もはや戦いというより、命を懸けた、苛烈な舞踏だった。見守る兵たちは、瞬き一つできず、ただその圧倒的な応酬に、気圧されるばかりだった。


「あ、あんなの……人間がどうにか出来る存在じゃない……」

 誰かが、掠れた声で漏らした。味方であるはずのオーランドの剣にすら、兵たちは戦慄していた。そして、それをことごとく凌いでみせる、あの女神には、もはや畏怖に近い感情を抱きはじめていた。


 後方の白馬の上では、聖女エリスが、青ざめた顔で、その拮抗を凝視している。祈るように組んだ指が、小刻みに震えていた。早く。早くあの女を殺して。彼女の唇が、声にならぬ言葉を必死に紡ぎ続けていた。


(本当に、大した相手だわ。プレイヤースキルも高い……)

 慧の紅い瞳が、すう…と細められた。

 ここまで彼女は、あえて「素」で戦っていた。神を殺す刃を持つ勇者が相手とはいえ、所詮は人の身。本来ならば、接戦になること自体がおかしいのだ。それでも彼女がこの拮抗を選んだのは、ひとえに、この世界の勇者という存在を、その目で確かめるため。ギリギリの攻防を、じっくりと味わうためだった。


 そして——観察は、もう十分だった。この世界の勇者がどういう存在か、その底は、大体見えた。

「——それに、もう飽きた」

 その退屈を告げるような一言を合図にして、オーランドの繰り出した渾身の斬撃、その切っ先が捉えていたはずのクルエンタの姿が——ふっと、掻き消えた。


「——なにっ!?」

 オーランドの目が、驚愕に見開かれる。

 彼の剣は、確かに女神の胴を薙いだはずだった。それなのに手応えがない。斬った先にあるはずの体がない。まるで最初からそこには、幻を斬っていたかのように。


 その理解の追いつかぬ刹那。

 彼の脇腹を、凄まじい衝撃が、真横から襲った。

「——がッ!?」


 防ぐ暇など、あろうはずもなかった。見えなかったのだ。何が起きたのかすら認識できない。オーランドの巨躯が、まるで木の葉のように吹き飛ばされ、背後の石壁へと、轟音を立てて叩きつけられる。壁は、その衝撃に耐えきれず、内側から爆ぜるように砕け散り、濛々と土煙が舞い上がった。


 その崩れた壁の傍らに。

 拳を突き出した姿勢のまま、クルエンタが静かに佇んでいた。

「……やっぱり、スキル『神速』を使えば、反応すらできないか」

 彼女の声には、失望と確認めいた響きだけがあった。


「生物としては、たしかに規格外。でも——所詮、その枠を超えてはいない。人の理のその内側にいる存在。それがこの世界の勇者ってわけね」

 彼女が用いたスキルは「神速」。認識の埒外から一撃を叩き込む神の域の速度。人の反応速度では、決して捉えることのできない絶対の先制。今の一撃で、この勝負は決したはず——彼女はそう確信していた。


 ところが。

「——があああああッ!!」

 崩れた瓦礫の山が、内側から爆発するように吹き飛んだ。

 咆哮とともに、そこから這い出してきたのは、他ならぬ、オーランドだった。口の端から、つう…と血を流し、肩で大きく息をしている。満身創痍。それでも——彼は確かに立ち上がっていた。


「……嘘でしょう?」

 思わず慧の口から驚きの声が漏れた。

 彼女の視線は、オーランドの脇腹へと釘付けになっていた。今の一撃を受けたその鎧。そこには拳大の大きな穴。そして、そこから放射状に走る無数のひび割れ。——だが、それだけだったのだ。


(今のは、私の全力のパンチよ? ドラゴンだって、まともに喰らえば、頭ごと吹き飛ぶ一撃。それを、まともに受けて……この程度のダメージ?)

 ありえない。人の身で「神速」の一撃を受けて、なお立っている。その事実に、彼女の中の常識が、きしみを上げた。あの一撃で無傷とまではいかずとも、致命傷にすら至っていない。何かがおかしい。


 彼女の思考は、即座に一つの可能性へと辿り着いた。武器だけではない。この鎧もまた——。

「——スキル、天眼」

 クルエンタの紅い瞳が、淡い光を帯びる。視ることに特化し、あらゆる物のその本質と真価を見抜く鑑定の権能も持ち合わせているスキル。その眼で、彼女は、オーランドのまとう鎧を、まっすぐに射抜いた。

 そして次の瞬間、彼女は絶句した。

「……嘘。その鎧、神話級ゴッズ……!?」

 信じられない、という声だった。


「『Regenesisリジェネシス Fantasyファンタジー Onlineオンライン』の理で言えば、あなた程度の勇者クラスが、そんなもの装備できるはずがない。神々が振るったとされる神器の一つ。それを人族の身でまとっている……?」


 武器は創世級の神滅剣。鎧は神話級。そのどちらもが本来、人の階級では扱えぬはずの規格外の代物。にもかかわらず、この勇者は、そのすべてを当たり前のように、身に帯びている。

 慧は静かに息を吐いた。頭の中の「常識」を、書き換えるように。


「……なるほどね。この世界の勇者は、クラスなんて関係なしに、あらゆる階級の装備を扱える。そう考えたほうが、よさそうだわ」

 ゲームの常識はもう通用しない。この世界の勇者とは、ゲームの枠をはみ出した、文字どおりの規格外。彼女はその事実を、ようやく正しく飲み込んだ。


 ぼろぼろになりながらもオーランドは、双剣を構え直し、なおも女神と対峙する。折れぬ闘志。その姿は、皮肉にもいっそう彼の誠実さを、際立たせていた。

 クルエンタは、ふと自らの拳へと目を落とした。

 オーランドを殴りつけた…その拳。そこには血が点々と付着していた。


 彼女は、なんの気なしに——あるいは、吸血神としての本能に導かれるように、その血へとそっと舌を這わせた。

 その刹那。


 鉄錆びた味とともに、それは奔流のように、流れ込んできた。

 オーランドの血の記憶が。

 クルエンタ・フレイヤは、血から記憶を読み取る。オーランドの血を舌に含んだ瞬間、この誠実な勇者が、なぜエレオノーラを憎むに至ったのか——その魂の奥底が、慧の内側へとなだれ込んできたのだ。


 そして、慧は——見た。


 エレオノーラが断罪されるより、遥かに前。魔族の軍勢が、聖王国アルディアへと雪崩れ込んだ、あの侵攻の記憶を。

 当時、オーランドは、聖王国の救援要請を受け、レーヴェンガルド帝国から聖王国へと馳せ参じていた。そして、その苛烈な戦いのさなか、一人の少女が覚醒する。


 歌の聖女、エリス。


 彼女の紡ぐ聖歌に守られ、オーランドは獅子奮迅の働きで、ついに魔族の侵攻を退けたのだ。並んで死線をくぐった二人の間には、確かな戦友の絆が芽生えていた。


 だが——その侵攻の裏には、おぞましい真実が隠されていた。


 魔族を密かに手引きし、聖王国に壊滅的な打撃を与えた、真の黒幕。それは、レーヴェンガルド帝国の特命全権大使、ヴィクトルその人だった。もしこの事実が露見すれば、両国の全面戦争は避けられない。自国の失態が露見するのを恐れた帝国は聖女エリスに近づいた。エリスは事件のすべてを一人の女に押つけることを提案。帝国はその筋書きに乗った。

 この惨劇を引き起こしたのは、亡国の悪女エレオノーラの陰謀なのだと——巧みに狂言を仕立て上げたのである。


 オーランドは、それを微塵も疑わなかった。

 共に血を流した戦友の言葉を、どうして疑えよう。彼の目には確かな正義の光があった。国を守るために戦った、その裏でこんな凶悪な陰謀を巡らせた女がいた——その事実に、彼は心の底から憤った。エレオノーラという女は、決して許してはならぬ、稀代の魔女なのだと。誠実であるがゆえに、彼は、突きつけられた偽りの物語を疑うことを知らなかった。


「……なるほど、そういうこと」

 流れ込む記憶を受け止めながら、慧は心の奥で静かに得心した。この男は共犯者ではなかった。むしろ逆だ。あまりに誠実で、清廉だったからこそ、たやすくエリスに騙された一人となったのだ。彼の正義感そのものが、帝国とエリスに都合よく利用された——最も上質な無自覚の駒。


 だからこそ後の断罪でも、彼は疑いなく「悪女は裁かれるべきだ」と信じ込んでいた。


 その理解と同時に、胸の奥から、また別の残響が滲み出してくる。

 エレオノーラの声にならない叫びだった。それは恨み言ではなかった。魔族から国を救った、あの誠実な青年ですら偽りを信じ自分を憎んだ。たった一人でも「彼女は無実だ」と声を上げてくれたなら、救われたかもしれないのに。そのあまりに深い絶望の残響が、慧の胸を浸していった。


「本当にバカな男」

 勇者の必死の斬撃を、クルエンタはただ最小限の動きで躱し続ける。傍目にも二人の力量差は開く一方だ。児戯をあしらうように敵を処理する、圧倒的な女神がそこにいるだけだ。


 だが。

 双剣を見切り、その懐へ潜り込みざま、慧の拳が、いつもよりわずかに鋭くうなった。まるで、胸の奥で軋む何かを、勇者に叩きつけようとするかのように。


 込み上げかけたその何かを――同情なのか、憐憫なのか、もっと違う何かなのか、確かめることすら拒んで、彼女は静かに飲み下した。感傷に浸ることを己に許さない。いま為すべきことを為す、ただそれだけだと言うように。


 けれど、その頑なさそのものが、かえって彼女がこの誠実な男の哀れな姿に、確かに心を動かされている何よりの証だった。


 一方、その神域の死闘を——後方から、ずっと冷たい目で眺め続けている男がいた。

 勇者マーカス。


 彼は相変わらず、安全な後方に陣取ったまま、鎖鎌の分銅を、退屈そうにもてあそんでいた。同僚が、命を賭してあの恐るべき女神と切り結んでいるというのに、その表情には焦りも加勢しようという意志も、微塵も浮かんではいない。


 彼が計算していたのは、ただ一つ。

(……ふん。勢いがあったのは最初だけ、後は全く擦りもしなくなったな。第七王子様、もうしばらくは粘ってくださいよ)


 どちらが勝つにせよ、自分が最後まで無傷でいられれば、それでいい。二人が相打ちにでもなってくれれば、なお都合が良し。漁夫の利。この男の頭にあるのは、その一点だけだった。彼は味方であるはずのオーランドの死すらも、自らが生き延びるための「機会」として、冷徹に値踏みしていたのである。


 いや、それどころか——。

(あの魔王、今まで対峙した魔王の中でも、とんでもねえ強さをしてやがる。底がまるで見えねぇ。まともにやり合えば、やべえ……となりゃあ…な)

 マーカスの濁った目の奥で、一つの悪しき算段が、静かに形を成しつつあった。


 もしもの時。


 あの魔王が、こちらへ牙を剥いたその時。自分が助かるためには、どうすればいいか。何をあるいは、誰を差し出せばいいか。彼はまだ生きて隣で戦っている同僚を眺めながら、その「使い道」を、もう冷ややかに勘定に入れはじめていた。


 救いようのない卑劣さの化身。それが勇者マーカス・ヴェイルハートという男の本性だった。


 剣戟は、なおも続いていた。

だが、永遠に続くかに思われたその一方的な攻防に、ついに終わりが見え始めた。

 オーランドの猛攻。その幾万と繰り出されてきた斬撃の、ほんの一瞬の呼吸の狭間。〈誓約〉の力をもってしても生身の人間である以上、その連撃には、どうしても澱みが生まれる。息継ぎにも似た刹那の停滞。


 そして、その瞬間が訪れた。

(——もう、限界ね)

 オーランドの斬撃から、ふっと精彩が失われる。〈誓約〉を振り絞った双剣が、目に見えて鈍りはじめていた。どれほど神器をまとおうと、その身は人。神を相手取り続けるには、そもそも器が違いすぎたのだ。埋めようのない力量差が、いま、はっきりと表れはじめていた。


 クルエンタが動いた。

 空を薙いだ長剣の…その内懐へ。まるで吸い込まれるように滑り込む。あえて受けに回っていた女神の明確な攻めだった。息もつかせぬ斬撃で、隙という隙を埋めてきた双剣。その鉄壁の連携についに生じた、たった一つの綻び。


 がら空きの勇者の胸元へ、時が引き延ばされたように、緩慢に流れた。


 白い拳がまっすぐに伸びる。

 オーランドの瞳が大きく見開かれた。


 躱せない!!

 彼自身、誰よりも早くそう悟っていた。渾身の斬撃を、逆手に取られた。この体勢では、どうやっても、あの拳は防げない。


 誠と信義の双剣を掲げた勇者のその胸へ。

 神の一撃が、吸血の女神の拳によって——いままさに、叩き込まれようとしていた。

 その刹那、慧の胸であの軋みが疼いた。それでもその腕は止まらない。あの神滅剣こそ、神たる自分をも殺しうる唯一の脅威。この男さえ除けば、脅かすものはない。ならばここで終わらせる。それが最も理に適っていた。


 銀光が勇者の胸を確かに捉え——


 第十話 了

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