玖拾漆
扉を開けると、蠱惑的な香りと酒精の香りが漂ってきた。
部屋の奥に置かれた寝台の上で、一人分の膨らみが上下に動いているのが見て取れる。
烏に手渡された布で口元を隠し、頭巾で髪を隠した朱夏はゆっくりと寝台に近づいた。奥に進む度に、酔いそうな香りが強くなる。
たどり着いた寝台で、掛けられた布を剥ぎ取った。両手足を寝台の四方に拘束された仙螺の黄駕が、だらしなく口を開けて鼾を掻いている。粗末な単を纏わされただけの、無防備な姿だった。
「……」
赤らんだ顔をしばらく眺め下ろし、朱夏は寝台の脚を蹴りつけた。びくん、と黄駕の体が跳ねる。
「起きろ。仙螺の黄駕」
低く声を掛けるが、酒と薬で酩酊した黄駕は瞳を閉じたままだ。
軽く息を吐き、朱夏は酒臭い黄駕に顔を寄せた。耳元で、小さく囁く。
「このまま、情けない姿を晒したまま、息を引き取るか?」
小さな呻き声が朱夏の耳に届いた。
「私はどちらでも構わないぞ。古くより続いた旧家の嫡男が、遊郭で死ぬなど末代までの恥となろうな」
「……ぐ、ぅ」
「烏、水を」
控えていた烏に手を差し出すと、ぐっしょりと湿らせた手巾が渡された。水を絞ってもいない手巾から、ぽたぽたと雫が垂れている。
そのまま、水浸しの手巾を黄駕の口を覆うように乗せた。
「そら。起きなければ、遊女の寝台で溺死だぞ」
一つ、二つと数を数え、六つまできたところで黄駕の体が大きく跳ねた。その拍子に、口に乗せた手巾がずり落ちる。
「……っ、ごほっ。ぐ……ぅ」
ぶるりと震えた黄駕の瞳が、ようやく開いた。焦点の合わない視線を、うろうろと彷徨わせている。
「……ここ、は」
掠れた声を無視し、朱夏は落とされた手巾を再び手に取った。
「誰、か……いるのか」
「……」
濡れた手巾を黄駕の目元に乗せ、視界を塞いだ朱夏は口を開く。
「訊かれたことに答えよ」
「だ、誰だ……」
「そちらに尋ねる権利はない」
意識がはっきりしていないせいか、口元を布で覆い声がくぐもっているせいか。黄駕には朱夏の声が聞き取れないようだった。
「仙螺の黄駕。企みごとをすべて、ここで吐いてもらう」
「たく、らみ……」
「今上帝に毒を盛り、寵愛する側室を首謀者として捕縛したな。そして輝山の大臣を陥れ、日嗣宮を不当に捕らえた」
黄駕の喉がこくりと鳴った。その喉元に、朱夏はそっと手を置く。
「日嗣宮が暮らす夏の宮に火を放ち、正室である煌姫を連れ去った。国家を揺るがす、重罪だな」
「……あ、何を……」
「認めるならば、今ここで命を取ることはしない。正直に答えろ」
朱夏の言葉に震えだした黄駕が、身を捩って暴れようとした。がたがたと音を立てる寝台の脚を、朱夏は再び蹴りつける。
「大人しく答えろ。まずは捏造した帳簿についてだ」
「し、知らな……」
「国庫の帳簿を捏造するなど、即死罪でも構わないほどだ。だが、冤罪で陥れた輝山の大臣を、貴人牢から解き放たねばならんからな。証拠は正しく揃えねば」
がくがくと唇を震わせ、黄駕は不自由な動きで必死に首を振る。
「答えたくないならば、質問を変えよう。今上帝に盛った毒は、どこで入手した?どのような毒を使ったのだ?」
「……っ」
「薬に強い仙螺が、独自に調合したものか?それならば、仙螺家を探れば出てくるだろうか」
独り言のように呟く朱夏に、黄駕が涙声を出す。
「ぁ、待て……わ、私をか、解放すれば、お前も悪いようには……」
「……まだ酔っているようだな。極上の女と酒の味は、どうであった?」
「っ!」
額に噴き出した汗を拭うこともできず、黄駕の顔を大量の汗が伝った。
「私は暴力は好きではないのだが。素直に答えてもらえないのならば、拷問もやぶさかではない」
淡々とした朱夏の口調に恐怖を感じたのか、手巾の下で黄駕の顔色が青くなる。烏がすっと、朱夏に懐剣を差し出した。
鞘を抜き、刃を黄駕の頬に当てる。
「ひっ」
「どこを切ってやれば、素直に答える気になるだろうな」
「や、やめ……」
「櫻花楼の花たちも、暴力などやめてほしかったであろうな」
低く呟き、朱夏は黄駕のよく手入れされた肌に小さく傷をつけた。
甘やかされて育った傲慢な若君の、衣を引き裂くような絶叫が部屋に響き渡った。




