玖拾参
櫻花楼とは、四季の国の流通のすべてを扱う大店である。
表向きは食料品や日用品、衣装や装飾品といった様々な物を扱う店を経営している。
帝一族や高位から中流の貴族、市井の民に至るまで、櫻花楼の世話にならない者はこの国に存在しないほどだ。
裏では、国が認めた遊郭では働けない幼い者を商品として扱う、違法な遊郭を経営していた。
摘発されれば多くの身寄りのない者が路頭に迷うと、半ば黙認されている裏路地の店である。
櫻花楼の主である凛慈は、朱夏を休ませている部屋を辞し、現在一番の稼ぎ頭である遊女の個室へと向かった。閉じられた扉を軽く叩き、返事も待たずに開ける。
「おや、楼主さまじゃないか。お話し合いは終わったのかい?」
鏡台の前に座っていた女が、鏡越しに凛慈に視線を向けた。白の単を纏い、襟元を大きく開いて香油を塗っているところだった。まだ成人を迎えたばかりといった年の頃の、艶っぽい女人である。
「ああ。舎利に頼みがある」
「珍しいこと。あたしにできることなんて、それほどないと知っておいでだろうに」
舎利と呼ばれた女は、唇に紅を差してから凛慈に向き直った。
「仙螺の若君に、熱烈な文を書いてもらいたい」
凛慈の言葉に、舎利の目が丸くなる。群青の瞳に、窺うような色が乗った。
「なんだって、そんなこと……」
「日嗣宮さまを、正しい場所へお戻しする」
「……」
舎利の目の前まで近寄った凛慈が、その場にしゃがんで座る舎利を見上げた。
「俺は、あの親王さまに賭けることにした」
「……へぇ」
「まだ若い。ご立派な理想を掲げているところなど、青臭くて笑ってやりたくなるほどだ」
「……」
舎利の瞳が鋭くなる。何故、そんな相手を危険を冒してまで、櫻花楼に匿ったのかとその表情が語っていた。
「だが、民のことを知ろうとし、よりよく国を治めようという気概はある。それに……」
「それに?」
「迦陵が、その命を懸けてまで守ってほしいと願った男だ」
「っ!」
膝の上で握りしめた舎利の拳が、力を入れすぎて白くなった。
迦陵。親に捨てられ行き倒れていた舎利を拾った、命の恩人。
唇を噛みかけて、紅が落ちると舎利は耐えた。じっと凛慈の金瞳を見返す。
「正しく帝位を継いでいただき、迦陵の名誉を回復してもらう」
「それと、あのぼんくらに文を送るのと、何の関わりがあるんだい?」
「仙螺のお坊ちゃんは、日嗣宮さまを陥れた政敵の一人だ。迦陵の仇の一人でもある」
凛慈の言葉に、舎利の頭に血が上った。
「迦陵姐さんの、仇……」
「日嗣宮さまを宮中に戻してやるためには、仙螺のぼんくらを籠絡して、あちらが押さえている証拠とやらを手に入れなければならん」
瞳と同じ群青の髪を乱暴に掻き、舎利は凛慈を睨みつけた。
「それで、文で呼びつけろってわけかい」
「そうだ。お前から会いたいなどと文が届けば、だらしない顔をして飛んで来るだろうよ」
馬鹿にしたような凛慈の声に、舎利の口角も上がる。
「首を絞められるのは嫌なんだけどねぇ。まあ、何とか書いてみるさ」
「仙螺の者だけあって、あのお坊ちゃんは薬には馴らされているからな。外国由来の強力な媚薬でも用意するか」
「それより、手っ取り早く言うことを聞かせられるような、便利な毒はないのかい」
くつくつ笑いながら、舎利は鏡に向き直り髪を結い始めた。その背に、凛慈の声がさらに掛かる。
「呆気なく殺してしまっては、この楼の花たちの気が済まないだろう?じわじわと、追い詰めてやらないと」
それもそうかと頷き、髪を結い終えた舎利は文机に向かった。
「ああ見えて、風流なことが好きだからねぇ。紙にお好みの香りでも吹きつけてやろうか」
「精々媚を売って、何をさておいても駆けつけるような、熱烈なやつを頼む」
筆を取る舎利を残して、凛慈は部屋を出た。
悪巧みの詳細は、朱夏には明かせなかった。あの側近には、話しておくべきだろうか。
だがあの烏という親王の側近は、櫻花楼にいる間朱夏の側を絶対に離れないだろう。書きつけでも手渡すか。
頭の中で様々に考えを巡らせながら、ひとまず文を書かせていることを知らせるために、凛慈は朱夏の待つ部屋へと足を踏み出した。




