玖拾壱
膳が下げられた卓の上に、烏が地図を広げた。
「これは……宮中の配置図でございますね?」
凛慈の言葉に、朱夏も図面に目を落とす。中央に本宮の広大な建物が描かれ、四方を囲むように離宮が描かれている。朱夏の暮らす夏の宮は、本宮の南に位置していた。
「昨夜、籠宮と奥宮を探ろうとしましたが、阻まれました」
「阻まれた?」
首を傾げた朱夏に、烏は眉を下げて頷いた。
「恐らく、仙螺の隠密たちでしょう。こちらは吾一人でしたから」
悔しそうな表情を隠さず、烏は図面の本宮を指さす。
「今上帝さまのご様子は探れませんでした。輝山の大臣は、貴人牢に入れられたと思われます」
「貴人牢か……」
難しい顔で腕を組んだ朱夏に、烏が続ける。
「宮廷の権勢を二分していたはずの輝山家ですが、やはりご正室さまのご不調のあたりから少しずつ、仙螺の毒手が伸びていたのでしょう」
「……」
美紘が奥宮から出てこないようになってから、第二室蓮黄の権力は増していた。そのことで、仙螺家が力をつけていたということか。
「ご正室さまの御身にこれ以上何かあれば、そして輝山の大臣を失脚させられれば。朱夏親王さまを追い落とし、冬廉親王さまを日嗣宮の地位に就けることができると考えたようです」
「私の後ろ盾として、力を失うということか」
「それと、煌姫さまの存在です」
烏の言葉に朱夏は目を見開いた。
「帝一族の血を引く正統な姫君。尊き血筋の姫宮は他におりませんから。冬廉親王さまの正室として奪えれば、仙螺の権勢はさらに強くなります」
ぎり、と朱夏が奥歯を噛む音が烏にも聞こえた。
「仙螺は、数年前の一揆の影響で力を落としていたと思うが」
「それすら、策略だったやもしれません」
「策略?」
組んでいた腕を解き、朱夏は烏の顔をまじまじと見る。
「どういうことだ?」
「仙螺の領地で一揆が起こり、宮廷から鎮圧の兵を送られました。ですが、輝山や中立派からの兵は送られなかったのです」
朱夏は記憶を辿った。日嗣宮となった初めの年、煌姫との成婚の儀の翌朝に参加した朝議。仙螺の有する西領で起きた民による一揆。知らせてきたのは、仙螺の大臣その人ではなかったか。
「仙螺家による、自演だったということか?」
「少しずつ領地に兵を送り、宮中を手薄にしたように見せかけ、仙螺の力が一揆のために削がれていると思わせたかったのではないでしょうか」
朱夏が険しい視線を凛慈に向けた。
「品物の入手が難しくなった第二室どのの元へ、其方は度々足を運んでいたのではなかったか」
問われた凛慈は静かに首肯した。
「左様です。我が店から買いつけてくださった品々で、あの方のお部屋は埋まっていたはずですよ」
「派手好きで贅沢好きの第二室どののことだ。策略であっても、質素な暮らしには耐えられなかったのか」
再び烏に目を戻し、朱夏は口を開く。
「そうして、私や輝山の油断を誘ったということか」
「はい。そこへ、今上帝さまへの毒、第六室さまの捕縛へと繋がったのではないでしょうか」
「父上から裁可の力を奪い、寵愛していた琉……第六室どのを引き離した」
考え込んでいた朱夏は、茶を注ぐ音に視線を上げた。
向かい側の卓で、凛慈が新たな薬草茶を淹れているところだった。
差し出された茶器を、躊躇わずに朱夏は手に取った。今更、毒の疑いなど持ったところで仕方がない。一口含んで息を吐く。
「私が本宮に駆けつけている隙に、夏の宮に火を放ち煌を連れ去った。よくもまあ、それだけのことを計画して、やってのけたものだな」
恐らく、計画したのも実行したのも、仙螺の大臣ではないだろう。あの気弱な男に、大それたことができるとも思えない。
朱夏の脳裏に、狡猾に笑う黄駕の顔が浮かんできた。蓮黄とそっくりの、燃えるような赤い髪と榛色の瞳が忌々しく思い出される。
「輝山の大臣にかけられた疑いは、国庫の横領と宝物殿の目録偽証です」
烏の言葉に我に返る。余計なことを考えている時ではない。
「証拠はあったのか?」
「国庫の二重帳簿と、当代の目録が輝山の大臣の執務机から見つかったとのことです」
「いくらでも、誰にでも紛れさせることができるな」
鍵をかけられた密室で政を行っていたわけではないのだ。輝山の大臣が席を外した僅かの間にでも、捏造した帳簿など抽斗に入れることができる。
「ただ、それを押さえているのが仙螺の人間だということが、問題です。帳簿を手に入れられさえすれば、筆跡を見てもらうことも可能だと思われますが」
再び腕を組んだ朱夏に、烏が続ける。
「そこまでしか調べられず、それでもお知らせしようと、親王さまが押し込められていた部屋に向かったのです」
「すでに私はいなかった、か」
「はい。吾が部屋に着いたのと同じ頃合いに、仙螺の人間と思われる武官どもが、武器を手に押し入ってきました」
烏の言葉に朱夏は目を剥いた。凜慈に脱出させてもらっていなかったなら、丸腰の朱夏は仙螺の者の手にかかっていたかもしれない。
「それは……間一髪であったな」
「はい。ですが、宮中を出てしまいましたので、ここからどのように証拠を押さえ、仙螺に対抗するかが……」
難しく眉間に皺を寄せた朱夏に、それまで黙っていた凛慈が口を開いた。
「仙螺のご嫡男がお相手ならば、やりようはございます」
朱夏と烏の視線が同時に凛慈に向けられた。にっこりと、櫻花楼の主は微笑んでみせる。
「仙螺の黄駕さまは、我が楼の上得意客でございますから」




