捌拾玖
遊郭では、遊女たちが昼の間に体を休める。
夜通し客の相手をし、日が昇って客が帰っていった後で、ようやくゆっくり眠ることが許されるのだ。
昨夜は店を閉めていたという櫻花楼では、楼内のあちこちで単を纏っただけの女たちが歩いていた。彼女たちの姿を朱夏の視界に入れたくないのか、烏が朱夏を庇うように廊下を進む。
そのことに苦笑し、朱夏は凛慈に通されて最上階の客間へと入った。
外国風の曲線的な調度品が並ぶ部屋で、中央の長椅子に腰を下ろし朱夏は息を吐いた。凛慈が遊郭で働く者に淹れさせた薬草茶に、朱夏が手を伸ばす前に烏が横から取り上げた。
一口含み、眉を顰めた烏に朱夏が尋ねる。
「どうした?」
「……ああ、いえ。毒ではありませんが、不思議な味というか」
「不思議な味?」
首を傾げた朱夏の前に茶器を戻し、烏が凛慈を睨んだ。
二人のやり取りを黙って見ていた凛慈が、くすっと笑いを漏らす。
「外国渡りの茶葉を使っておりますのでね。まだ、宮廷にも献上していないお品です」
凛慈の説明を聞き、朱夏は茶器を持ち上げた。薄黄色の半透明の液体が、ゆらゆらと揺れている。
朱夏の知る薬草茶とは、香りも少し違うようだ。首を傾げながら、朱夏はぐいっと茶を飲み干した。
「……っ、ごほっ」
口の中いっぱいに広がった苦みに、朱夏は咽せた。慌てて、烏がその背をさする。
「お口に合いませんでしたか?」
穏やかな問いに首を振り、朱夏は凛慈を見やった。
「いや、驚いただけだ。不思議とすっきりとした後味だな」
初めに感じた苦みを打ち消すような、清涼な香りが鼻の奥を擽った。これまで味わったことのない薬草茶だ。
「珍しいものを口にできたな」
満足げに頷き、朱夏は居住まいを正した。じっと、向かいに座った凛慈を見つめる。
「それでは、話を聞かせてもらいたい」
「今、朝餉を用意させています。召し上がってからになさっては?」
「時が惜しい」
「……かしこまりました」
朱夏の瞳を真っ直ぐに見つめ返し、凛慈が頷いた。
「まずは、昨夜のことから聞こうか」
「本宮の部屋から、貴方さまをお連れしたことですか」
頷いた朱夏から、凛慈は烏に視線を移す。
「側近どのは、どこまで探れましたか」
己が問われると思っていなかった烏は、意外そうに目を見開いた。ちらりと朱夏に視線を向け、主君が首肯するのを確かめてから口を開く。
「吾は、本宮においでの第二室さまの部屋を窺っていた。そして仙螺の企みによって、輝山の大臣や日嗣宮さまが捕縛されたことを知った。第二室さまと侍女が話されていたからな」
「成る程。では、今上帝さまへの毒については?」
凛慈の言葉に朱夏は目を剥いた。帝が毒に倒れたなどと、決して外に漏れてはならないことだ。何故、凛慈が知っているのか。櫻花楼の情報の網というものは、一体どこまで奥深く広がっているのか。
腕をさすりだした朱夏に、凛慈が苦笑してみせた。
「よろしいですか、日嗣宮さま。大抵、高貴な方々の情報というものは、そこで働く最下層の者たちの噂話から得られるものです」
「最下層?」
「日嗣宮さまがおいでだった本宮でしたら、高貴な方々のお部屋を清掃する者。客間の寝具を整える者。厨で料理に使う水を汲む者、などです」
一本ずつ指を立てて説明する凛慈に、朱夏は不意をつかれた。これまで宮廷で働く者たちとは、文官や武官、身の回りの世話をする侍女たちとしか関わりがなかったのだ。
「これが、今上帝さまがお過ごしの籠宮や、ご側室さまたちの奥宮となるとまた、違ってきます」
「どう違う?」
「そちらは、高貴な御方のご寝所がありますから。朝になって、乱れた敷布や脱いだ着物を整えていたのは、誰だと思われます?」
「侍女、ではないということか」
答えた朱夏に頷き、凛慈は続ける。
「有り体に言ってしまえば、汚れ仕事ということです。高貴な方々のお身の回りの世話をする侍女どのは、それなりにご身分の高い方々でしょう。洗濯や掃除などといった下々の者がするような仕事は、なさらないのです」
「……」
「ですが、そういった者たちには、秘密を守るという概念が薄い。大きな敷布を洗いながら、夕餉に出すための野菜の皮を剥きながら。仕事の合間のお喋りこそが、彼ら彼女らにとって唯一の楽しみなのです」
一口薬草茶を含み、凛慈は再び口を開いた。
「私どもは、そういう下働きの者たちが集まる場に、度々出向きます。高貴な方々のお買い物が終わった後で、御用聞きという建前でね」
「……そこで、そうして情報を得るのか?」
「勿論、昨夜のような大きな動きは、下働き程度では知り得ません。集めた膨大な噂話や人の動きから、私どもが推測して、先んじて動くようにしているのです」
思わず、朱夏は唸った。さすがは国一番の大店の楼主というべきであろうか。
朱夏には予想もしていなかった情報の集め方で、それでも朱夏や烏が掴んでもいなかった仙螺の動きを、あらかじめ予測して店まで閉めていたのだ。
扉が叩かれ、湯気の立つ膳が運ばれてきた。
詰めていた息を漏らし、朱夏は凛慈に向き直る。
「それでも、父上がお倒れになったことは、外に漏れるはずはなかったのだが」
「勿論です。私どもの推測だ、と申し上げましたでしょう」
柔らかく微笑んで、凛慈は運ばれてきた朝餉の膳を指した。
「さあ、召し上がってください」
昨夜から、何も食べていなかった。そのことに、朱夏はようやく思い至った。




