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四季帝(しきのみかど)、愛のゆくえ  作者: 紫月 京
一の章 許婚の姫君と、裏路地の少女

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月明かりだけが照らす暗がりを、足早に駆ける黒装束の青年。

漆黒の上下を身に纏って髪を黒い布で覆い、顔の下半分も同じ布で隠している。仕える主君が少女と出会った裏路地を、一目散に駆ける。

家々の陰に身を潜め、人影がないかを確かめながら進む足取りに迷いはなかった。

今頃、主君は明日の支度を終えて床に就いたところだろう。誕生したばかりの従妹姫のご機嫌伺いに行く予定が立てられている。

側を離れるのは心配だが、帝一族に仕える影の護衛は優秀だ。さっさと調査を済ませて戻りたかった。


静まり返った都の大通りを抜け、破落戸や物乞いが住まう裏路地へと烏は足を踏み入れた。

立ち並んでいる襤褸小屋と言っても差し支えない民家から、ほんのりと明かりが漏れ出ている。木戸や窓に隙間があるため、屋内の明かりはどうしても外へ漏れる。

足音を立てないように歩き、琉兎と名乗った少女が蹲っていた場所で足を止めた。

「……」

あの娘がいたのは、他の家よりは多少大きな構えの建物の裏手だった。木戸はぴたりと閉じられ、何の物音も聞こえてこない。

壁に当てていた耳を離し、烏は一歩後ろに下がって建物を眺めた。

三階建てらしい建物の壁を伝う樋に目を向ける。足場にするには不安定だが、よじ登れないこともなかった。

呼吸を整え、辺りを窺う。人の気配はない。今ならば、誰にも見咎められずに忍び込めるだろう。

樋に手を置き、壁に固定している小さな金具に足を掛けた。

爪先を引っ掛け、体を持ち上げる。そのまま、綱登りの要領で一息に上まで上がった。軒に手を掛け、屋根に体を上げる。

ふう、と息を吐き体重を掛けないように屋根の上を歩いた。瓦を使ってはあるが、随分年季が入っているようで、あちこちひび割れている。少し躓けば大きな音を響かせるだろう。

慎重に端まで進む。瓦がわずかに軋み、背筋を冷たい汗が伝った。

手入れのために屋根に設けられている出入口をそっと開ける。物音も気配もないことを確かめ、するりとその身を屋根から滑り込ませた。

音を立てないように出入口の蓋を閉め、屋内の様子を探る。


屋根裏にあたるこの場所は、窓もないため真の暗闇だ。少しずつ目を慣らしながら、烏は建物の内を進む。

壁に手を沿わせ、黒の地下足袋で足音を殺す。

屋根裏部屋の扉がうっすらと見えてきた。人の気配を探りながら烏は取っ手に手を掛けた。

きいっ、と扉が音を立て舌打ちが漏れそうになる。やはり古い建物のようだ。少し触れるだけで大きな音を立てるとは。

ほんの少し開いた木戸から外を窺う。やはり誰もいないようだ。

安堵の息を漏らし、烏は廊下に出て木戸をぴたりと閉じた。己が忍び込む前と同じ状態にしておかなければ、侵入に気づかれるかもしれない。

ようやく見つけた窓から、月明かりが差し込んでいる。影を縫うように廊下を進んでいると、階段を見つけた。ここまで運よく、誰にも見咎められずに来られたが、この先はわからない。

この建物に、あの琉兎という少女を見知った者がいるかどうかは賭けだが、慣れ親しんだ場所からそれほど離れて蹲っていたとは考えにくい。まずは、この建物がただの民家なのかどうか、調べるつもりだった。

階下を窺う。屋根裏とは違って、蝋燭の明かりが漏れ出ていた。誰かがいるということだ。

顔を覆う布を目のすぐ下まで引き上げ、息を殺して壁に近づく。階段を使うのは危険だった。指先につけた吸盤のような器具で、天井近くの壁に飛び上がって張りついた。

周囲を警戒しながら、少しずつ下の階へ降りる。


ようやく三階部分の床に足を下ろした時には、少し汗ばんでいた。隠密として訓練されたこの体は、大量の汗を掻くことはないが、それでも動きが鈍ることに変わりはない。

額の汗を拭い、烏は手前の部屋の扉に近づいた。

ほんの少し、細く細く扉を開けて隙間を作った。誰もいないようだ。

そっと体を滑り込ませ、しっかり扉を閉めてから床に膝をつく。

階下の明かりが床板の隙間から漏れていた。懐から小さな釘抜きを取り出し、隙間に引っ掛けて板を少し上げた。ぼそぼそと、話し声が聞こえてくる。

「……それで、あの子はまだ帰ってこないのかい?」

叱責の色を乗せた嗄れた声が聞こえた。

「申し訳ございませぬ。今宵は大切な御方がおいでだと、きつく言ってあったのですが。どうも、愚かな女が己のお客に色目を使ったと、私に隠れて折檻していたようでして」

対する男の声は、相手に阿るように猫撫で声だ。

「その女の処罰は?」

「無論、手配しております。あの子にしたのと同じように食事を抜き、反省するまで地下牢に繋いで男たちの相手をさせます」

「それならよい。

 早く探し出しておくれ。あの子をこの手で磨くのを楽しみにして来たんだ」

「貴方さまのような高貴な御方に湯殿で洗ってもらえるなど、身に余る光栄でございましょう。きっと、琉兎にもその素晴らしさはわかるはずでございます」

男の口から発せられたその名に、聞き耳を立てていた烏は息を呑んだ。己の勘働きは正しかったようだ。

だが、次の瞬間聞こえてきた会話の内容に、烏は反吐が出そうになった。

「あの子はね、湯殿で磨くとまるで高貴な姫君のように美しいのだよ」

「ははぁ。あの色味は、噂に聞く高貴な御方と同じに見えますからなぁ」

「ふふふ。まだ最後までは手を出せないが、高い金子を払っているんだ。必ずあの子の水揚げは、私に任せてもらうよ」

「無論のことでございます。店の者総出でお探ししますので、もうしばらくお待ちを」

そこまで聞いて、烏はそっと床板から耳を離した。

琉兎の境遇は朧気に掴んだ。問題は、主君にどこまで伝えるべきかだ。



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