捌拾漆
激動の一夜が明けた――。
扉を叩く音に、棺の傍らに座り込んでいた朱夏は立ち上がった。開かれた扉から、凛慈が静かに入ってくる。
「これより、棺を埋葬致します」
「どこ、に……」
「遊郭の者は皆、都の外れの無縁廟へと葬られます」
凛慈の言葉に、朱夏は棺で眠る琉兎に視線を落とした。
「……髪、を……」
「はい?」
「形見に、髪を一房貰っても、いいだろうか」
朱夏の請いに、凛慈は黙って頷き懐から小刀を取り出した。
「貴方さまに持っていていただければ、彼女も喜ぶでしょう」
手渡された小刀の鞘を抜き、朱夏は琉兎に近寄った。優しく、薄茶色の毛先を指でつまむ。
さく、と小さな音を立てて彼女の髪を切り、懐紙で包んで朱夏はそっと懐にしまい込んだ。
「では、蓋を閉めます」
連れていた下男を棺の足元側に立たせ、凛慈が頭側に立つ。二人がかりで持ち上げられた棺の蓋が、ゆっくりと閉じられた。その様子を、朱夏は唇を噛んで瞼に焼きつける。
「我らの手で運びますが、日嗣宮さまはいかがされますか」
「最後まで、見送りたい」
朱夏の言葉に頷き、凛慈は用意していたらしい黒い装束と頭巾を手渡してきた。
「その濃紺のお髪は目立ちます。お瞳は隠せませんから、せめて頭をそちらの頭巾で」
「済まぬ」
何もかも凛慈に世話をしてもらう己が情けなく、だが今の自分の力では何もできないと諦めて、朱夏は頭巾で髪を覆い隠した。
「その装束は今お召しのものの上から羽織れます」
「ああ」
言われるがままに羽織り、朱夏は顔を上げた。二度と、下は向くまい。朱夏を救うために命を散らした琉兎の想いを、決して無駄にはしないと固く誓った。
黄褐色の棺が運び出される。
昨夜の朱夏には気づけなかったが、建物内の至るところで、遊女たちの気配が動いていた。運ばれる棺に、慕わしそうな視線が寄せられている。
「……皆、琉兎を見ているのか」
「そうですね。彼女は希望でしたから」
「希望?」
棺と並んで歩く朱夏は首を傾げた。
「必死に働いて借金を返し、真心を尽くしていれば、高貴な方に見初められて身請けされることも可能だと」
「……」
「現実はそう甘いものではないと、彼女も知っていましたがね。希望がなければ、過酷な勤めは果たせません」
櫻花楼の建物を、裏から出る。かつて琉兎と出会った、あの裏路地が朱夏の前に広がっていた。
「……十年前だ」
「はい?」
「この裏路地で、琉兎と出会った。物乞いだと、初めは思ったんだ」
棺を担ぐ凛慈の視線を感じたが、朱夏は返事を期待せずに続ける。
「生まれたばかりの従妹と同じ色の、不思議な少女」
「……」
「男子だと思っていてな。私の隠密に使えるかと、身勝手に宮へ連れ帰った」
ぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ朱夏に、凛慈は黙って歩き続ける。
「女子だとわかって。私の腹心が調べたところによると、違法な遊郭の者だと」
「……」
「救ってみせると息巻いていた私は、何と幼かったことか」
これまで誰にも語ったことのなかった話を、何故その違法な遊郭の主に話しているのか。
だが、止まらなかった。言葉を挟まず聞いている凛慈を、責めるつもりもなかった。ただ、琉兎との思い出を、誰かに聞いてもらいたいだけなのかもしれない。
「たった十日だ、ともに過ごしたのは。それなのに、私の心の奥に、鮮烈に焼きついて離れない記憶となった」
路地の角を曲がり、都の外れを目指す。朱夏の背に、昇った朝日の光が熱く当たっていた。
「先代の凛慈が、父上に奏上して私の宮まで琉兎を迎えに来た」
「……」
「目に涙を溜めて、懸命に泣かぬように我慢して。勤めを果たすと、私の手を振り払って」
誰とも口づけしないと、微笑んで離れていった琉兎の姿が脳裏に蘇る。
「閉じられた扉を呆然と、眺めるしかなかった」
ふう、と息を吐き、朱夏は凛慈を見上げた。
「父上は仰せになった。買う者がいるから、売る者がいる、と」
「真理ですな」
「いつか、違法な遊郭などなくしてみせると。青い理想を掲げていた」
凛慈の話していた無縁廟が朱夏の目に見えてきた。都の外れ、家々の影もないがらんとした広場に、薄汚れた白い建物が建っている。
「愚かで幼かった私のことを、琉兎はどう思っていたのだろうな」
棺を運ぶ凛慈の足が止まった。つられて、朱夏の歩みも止まる。廟までは、もうあと数歩だ。
「大切な口づけの君だと、以前に申し上げましたでしょう?」
「……」
琉兎が迦陵として奥宮に入った夜のことだ。つき添ってきた凛慈が、与えられていた客間で朱夏にそう告げた。
「貴方さまとの出会いがあったから。彼女は過酷な人生に耐えられた」
「……」
「私への文をお読みになったでしょう?貴方さまのことしか、書いていなかった」
日嗣宮さまを頼む、日嗣宮さまを守ってくれ。
流麗な文字で書き綴られていた、朱夏を思い櫻花楼の女たちを思う文面だった。
「彼女の想いを、否定しないでやってください」
「……」
「彼女を商品として、食い物にしていた私が言うのは、我ながら綺麗事だと思いますが」
小さく苦笑して、凛慈が無縁廟へと足を踏み入れた。




