捌拾参
夏勢帝の第二室、蓮黄は得意の絶頂にいた。
表宮の一室に押し込められ、最低限の世話をする侍女しか周りにいないが、そんなことはどうでもよかった。貴人牢に忍んで行かせた信頼する侍女から、喜ばしい報告を受けたからだ。
傍らに立たせた侍女の言葉を、ゆったりと茶を口に含みながら蓮黄は聞く。
「そしてこちらが、遊郭上がりの女に書かせた物ですわ。蓮黄さまがお確かめになられたなら、あの女の枕辺に戻しておきます」
得意げに胸を張り、迦陵に書かせた書状を蓮黄に差し出した。
「まあまあ。よくやったわ、彩里。約束通り、其方の望む家へ嫁げるように、あの家のご正室に仙螺の美酒を届けてやりましょう」
「光栄にございます、蓮黄さま」
上機嫌に書状を広げ、蓮黄は中身を確かめる。流麗な文字で、蓮黄が指示した通りのことが書かれていた。
緋扇で顔を扇ぎ、蓮黄はくすくすと笑いを漏らす。
「お父上さまは気弱であられるから、此度の計画にあまり乗り気ではなかったけれど。こうして上手く運んだのだから、よい加減に腹を決めていただきたいこと」
「左様でございますね。流石は蓮黄さまと、黄駕さまでございます」
「仙螺を継ぐには、兄上はまだお若いからと反対していた老臣たちも、これでようやく代替わりを認めるかしらね」
目論見通りの書状を丁寧に畳み、きっちりと第六室の封蝋をした蓮黄は侍女に突き返した。迦陵の使用していた印章は、籠宮に入らせていた侍女に盗ませてあった。
「恩義あるお相手だからと、遊郭の楼主に宛てた文も書いておりましたわ」
「おかしなことは、書いていなかったでしょうね?」
「はい。検めましたが、最後の祈りのようなものでしたわ。蓮黄さまに命を絶たれたといくら訴えたところで、遊郭の楼主ごときに、何か成せるはずもございません」
口角を吊り上げ、蓮黄は機嫌よく差し出された水を飲む。
「今上さまは意識が朦朧となされ、ご正室の美紘さまは奥宮のお部屋から出てこられない。あちらも、そろそろ命の火が尽きかけておいでの頃かしらね」
歌うように囁き、蓮黄は侍女に目を向けた。
「其方のよき働きによって、あの忌々しい側室も片づいた。あの時、今上さまを訪ねてあの女が来たのは、運が良かったわね。ここまで長い時がかかったけれど、無事に成し得たのだから良しとしなければね」
ふふっと笑い、蓮黄は立ち上がって窓に近づいた。眼下に広がる都の景色を眺める。
「あとは、ご正室腹の親王を追い落とせば、この世のすべては仙螺のもの」
「輝山の大臣には、国庫の着服と宝物殿の目録偽証の疑いがかかっておいでですものね」
口元を手で隠し、蓮黄の腹心の侍女である彩里がにやりと嗤う。
「慎重で疑り深い輝山のご当主だから、これまで上手く網にかかってくださらなかったのだけど。やはり、今上さまのことで動揺なさったのかしら」
「あちらの油断を誘った、黄駕さまが素晴らしかったということでは?」
蓮黄と彩里は視線を交わし合い、くすくすと笑いながらこれからの未来を楽しげに夢想していた。
天井裏に、政敵である朱夏親王の腹心の隠密が、潜んでいたことにも気づかずに――。
表宮の別の一室に軟禁されている朱夏は、椅子に座り目を閉じて、じっと待っていた。
扉には外から鍵がかけられ、仙螺の子飼いの屈強な武官が見張りについている。ここで感情的に暴れても、事態は改善などしない。
今の己には考えることしかできないのだからと、朱夏はじっくりと思考した。
始まりは、宝物殿の目録からであったのだろうか。ただの嫌がらせかと思っていたが、冬の宮に隠されているかもしれないという考えに、冬廉に文を出した。
冬の宮への訪問を許されず、弟を夏の宮へと招き入れることとなった。朱夏が不在の時を狙ったかのように、父帝が毒に倒れた。そして、その犯人として迦陵が捕らえられることとなる。
夏勢帝の意識が回復しない限り、迦陵の潔白は証明されないだろう。
本宮でその処理に立ち動いていたところへ、夏の宮の火災と煌姫の移動の知らせ。
高貴な身分である黄駕が冬廉親王を連れていることで、夏の宮の武官たちは抵抗することができなかった。
冬の宮へ煌姫の奪還に向かおうとしたところで、現れた黄駕によって朱夏自身が捕らえられてしまった。
ぎり、と奥歯を噛みしめ、朱夏は目を開けた。
どれだけの時間と労力を使って、仙螺はこれほどのことを計画していたのか。朱夏の母に毒を盛ったとされる五年前から、すでに罠に嵌められる用意がなされていたのか。
朱夏を捕縛する書状に、輝山の大臣の署名があったことも気にかかる。どうにかして、会えないものか。
考え続ける朱夏の耳に、かたり、と天井から小さな音が届いた。
「……来たか、烏」
「はっ」
聞き漏らしそうなほど密かな声が聞こえた。
「今、どうなっている」
「やはり仙螺の陰謀かと思われます。このまま本宮に留まっては、親王さまの御身が危ういやもしれませぬ」
「そうか」
天井の板が一枚外され、漆黒の装束で全身を固めた烏がするりと飛び降りてきた。殴られたらしい痣は赤黒く腫れ、切り傷も痛々しく残っているが烏に気にする様子はない。
「一度、御身を本宮からお逃がしした方がよろしいかと」
「それでは、罪を認めたようではないか」
「これより、籠宮や奥宮も探って参ります。結果次第では、御身をお隠しになられるべきです。潔白など、お命さえご無事なら、証明する機会もございましょう」
「……」
烏の言葉に朱夏は考え込む。仙螺が権力を握っているのなら、問答無用で朱夏が処刑されることもあり得る。帝の不在に、先に片づけてしまおうという腹か。
「其方が探ってくるのを、ここで待つ」
「迅速に、調べて参ります」
音もなく天井へと飛び上がり、烏の姿は闇に消えていった。




