捌拾壱
帝の執務室に戻った朱夏は、輝山の大臣の報告を受けた。
「仙螺家には輝山から調査のための人を送りました。それと、中立派閥の文官も連れて行かせましたので、ご安心を」
「頼もしい祖父上だな」
「今上さまのご寝所へも、薬師をさらに投じました。どういった毒を盛られたのか、特定を急がせます」
差し出された報告書に目を通していると、慌ただしく文官が駆け込んできた。
「日嗣宮さまに申し上げます!」
「何の騒ぎだ」
「夏の宮にて、火災発生とのことです!」
「何だと!?」
音を立てて立ち上がり、朱夏は鋭く尋ねた。
「火の元は!?煌は無事か!?」
「建物の裏手とのことですが、詳しくはわかりかねます。火番の衛士たちが鎮火に当たっております。ご正室さまは、折よくおいでだった冬廉親王さまとともに、冬の宮へとご避難された模様……」
「なっ!」
執務室を飛び出そうとする朱夏の背に、輝山の大臣の声が掛かった。
「こちらはお任せを」
「頼んだ!」
本宮の廊下を駆け、朱夏は夏の宮へ急いだ。何故、己のいない時に。冬廉はまだ夏の宮に留まっていたのか。烏が帰したはずではなかったのか。
だが、煌姫を無事に逃がせたのなら、僥倖だったのかもしれない。
唇を噛みしめながら、朱夏は一心に駆けた。
夏の宮までの距離が遠い。
息を切らして駆け戻った朱夏の目に、己の暮らす宮が火に包まれているのが映った。武官たちが桶から水をかけ、火が広がるのを食い止めようとしている。
素早く視線を走らせ、烏や煌姫の護衛たちの姿を探す。すべて煌姫について行ったのなら、それで構わなかった。だが、建物の陰に数人の武官が倒れているのを朱夏の瞳が捉えた。烏の姿はない。
駆け寄ろうとした朱夏を、火から逃れたのだろう侍女たちが押し留める。
「親王さま!」
「莉羅!煌は冬の宮かっ。何があった!?」
「せ、仙螺の若君がっ、おいでになって!」
莉羅の言葉に朱夏の眉が吊り上がった。仙螺の若君ということは、蓮黄の兄で仙螺の嫡男だろう。
「何故仙螺の嫡男などが……」
「烏どののご指示で、冬廉親王さまにお帰りいただこうと思っていたところ、お迎えに来たと仙螺の若君がいらっしゃったのです」
青い顔をして、それでも必死に起きたことを語る莉羅の話を朱夏は頭の中で纏めた。
冬廉の迎えに仙螺の嫡男がやって来た。
そして、宮を辞そうと挨拶を交わしていたところ、建物の裏手から火の手が上がった。
火の元と思われる裏庭にほど近いところに煌姫の私室はあった。安否を確認すると言い張り、仙螺の嫡男が冬廉親王を連れて押し入ろうとした。
そこで、私室を護っていた烏と言い合いになり、仙螺の嫡男が剣を抜いた。
高貴な相手に、烏は武器を抜くことができず、防戦一方となった。
騒ぎを聞きつけたのか、煌姫が私室を出てきた。仙螺の嫡男の護衛に斬りつけられたところだった烏が、床に倒れ込むのを見て煌姫が駆け寄ろうとした。
その煌姫に、「火の手が上がって危険だから」と言い募り、冬廉親王とともに冬の宮へ攫うように連れて行った。
そこまで奥歯を噛みしめながら聞いていた朱夏は、握った拳で地を叩いた。何故、これほど一気に仙螺が動いているのか。
父帝への毒から迦陵の自白、そして夏の宮に火の手。冬廉の訪れすら、第二室派閥の策略であったのか。
宮を空けたことを悔いている場合ではない。一刻も早く冬の宮へ行き、煌姫の安否を確かめねばならない。
「烏はどこだ?」
「傷の手当てを申し出ましたが、己の失態だと、お一人で冬の宮へっ!」
「ちっ!私も行く。其方はここで、鎮火を手伝ってやれ」
踵を返しかけた朱夏の耳に、どさり、と鈍い音が聞こえた。
振り返った朱夏は、大勢の武官を引き連れた若い男が立っていることに眉を顰めた。そして、地面に転がされた己の腹心の姿――。
「烏っ!」
あちこち斬りつけられ、衣も破れている。殴られたような痣も見られる。
「日嗣宮さま、この無礼者は貴方さまの子飼いですな?」
厭らしい笑みを浮かべた仙螺の嫡男、黄駕が妹にそっくりなねっとりとした視線を向けてきた。
「無礼はそちらであろう、仙螺の黄駕。私は、其方の訪れを許した覚えはない」
朱夏の言葉を無視し、黄駕はにやにやと嗤ったままで、蹲る烏の体を踏みつけた。
「貴様っ」
「私は、仙螺の大臣の名代でこちらへ参りました。日嗣宮さまには、第六室さまとの密通の疑いがかけられております。今上帝へのご謀反でございますなぁ」
「何を……」
妹と同じように芝居がかった動きで、黄駕が肩を竦めて首を振ってみせた。
「いやはや。己が父の細君と通じ合うとは、恐ろしくて私にはとても真似できませんなぁ」
わざとらしく溜息を吐き、黄駕が背後の武官に目配せする。
「さて、今上帝さまへの恐ろしい企み事は、捕らえた後でゆっくりとお聞きしましょう」
「日嗣宮たる私に、仙螺の嫡男ごときが手を触れてよいと思うか?」
「おやおや。ご謀反を起こされたのですから、貴方さまはもはや、日嗣宮ではいられないでしょう」
反論しようと口を開きかけた朱夏に、仙螺家の武官たちが縄を手に歩み寄った。
「寄るな、無礼者」
「大臣の署名の入った、正式な書状も持参しておりますよ」
「捕縛の書状には、両大臣の署名が必要なはず。仙螺だけでなく、輝山の大臣の署名がされていなければ、無効だぞ」
相変わらず、自信たっぷりといった表情のまま、黄駕が嗤う。
「ご心配なく。きちんと輝山の大臣の署名も入っておりますよ」
「馬鹿な……」
呆然と呟いた朱夏の腕に、無骨な手で縄が打たれた。




