漆拾玖
本宮には、罪人を入れておくための地下牢とは別に、罪を犯した高貴な者を軟禁するための貴人牢がある。
帝の執務室から、籠宮とは反対側に進んだ建物の最奥。貴人牢へと続く回廊を朱夏は無言で歩いた。一歩後ろを、迦陵も黙ったままで続く。さらに後ろに見張りの武官が続き、重たい沈黙が流れている。
執務室に残った輝山の大臣が、仙螺へ調査に出す人員を選んでいる。朱夏は祖父を信頼し、後のことを任せてきた。経験豊富な輝山の大臣ならば、第二室派閥に証拠を潰させる真似はしないだろう。
幾度か角を曲がり、貴人牢の入口が見えてきた。扉の横で、出入りを管理する文官と武官が一人ずつ立っている。真っ直ぐに進んだ朱夏は、文官の前で足を止めた。
「第六室どのを、貴人牢にお入れする。私が内までつき添う」
「日嗣宮さま御自ら、でございますか」
「そうだ。父である今上帝さまへ害をなした疑いだ。日嗣宮たる私が、見届けねばなるまい?」
困惑したような文官を急かし、扉を開かせた。
「其方たちは、ここで待て」
振り返った朱夏の言葉に、つき従ってきた武官が慌てたように首を振る。
「なりません。危険です」
「第六室どのの身は検めさせただろう。武器など何もお持ちでない。か弱き女人が、私に何かできると思うか?私はそれほど頼りないか?」
「しかし……」
鍛えている朱夏と、力を入れて触れれば折れてしまいそうな細い迦陵。両者を見比べて、武官は迷うように文官を見た。
「……それでも、間違いが起きてはなりません。お世話をする侍女はどうなさいました?」
「断られた」
「では、私がご一緒に……」
「不要だ」
短く言い捨てて、朱夏は迦陵に視線を向けた。
「第六室どの、私とこちらへ」
「……はい」
「日嗣宮さまっ」
なおも言い募ろうとする文官を視線で黙らせ、朱夏は迦陵を促した。
人の気配のない静かな廊下を進み、一番奥の部屋の扉を朱夏は開いた。牢とは言っても、貴人用のここは外に出られないように見張りのついた居室のようなものだ。
迦陵を室内に入れ、置かれていた椅子に座らせる。清掃も行き届いており、しばらく過ごすだけなら快適な部屋であった。壁際に置かれた水差しから、杯に水を注いで迦陵に差し出した。
「……」
受け取らない迦陵に溜息を吐き、朱夏は卓に杯を置いた。立ったまま、俯く迦陵のつむじを見つめる。
「不自由はあろうが、父上がご回復されるまでのことだ。我慢してもらおう」
「わたくしは、死罪となりますか」
ようやく口を開いた迦陵から飛び出した言葉に、朱夏は目を剥いた。彼女の前に回り、その肩に触れそうになって手を引っ込める。
「何故、あんなことを言った?」
「え……っ?」
「其方が父上に毒を盛ったなどと。あれで、第二室どのを勢いづかせてしまった」
責めるような口調になった朱夏に、迦陵の眉が下がる。顔を上げて、朱夏をじっと見つめた。
「日嗣宮さまを、巻き込んでしまいました」
「そんなもの、第二室どのが勝手に言っていただけだろう。私は関与などしていないのだから、毅然としていればいいだけのことだ」
困ったように微笑み、迦陵は首を振った。
「お疑いを向けられるだけでも、日嗣宮さまにとってよいことではありません」
「それは……」
「わたくしは、もう疲れてしまったのです」
「第六室どの?」
諦めたような笑顔など、見たくないと朱夏は強く思った。何故、彼女の瞳はいつも、これほど悲しそうなのか。
「帝の寵愛深い第六室どのが、何を……」
「寵愛などっ」
思わず、といった風に叫んだ迦陵は、はっとして口を閉じた。だが、悲鳴のようなその声に朱夏の表情が曇る。
「……何か、辛いことがあるのなら……」
私に言え、とそう言葉にしかけて朱夏は思い留まる。ここにいるのは、父の妻なのだ。息子である己が、踏み込んではならない。間違いが起こらないようにと言った文官の言葉が思い出された。
溜息を吐いて、朱夏は迦陵の前にしゃがみ込んだ。下から、薄桃色の瞳を覗き込む。
「とにかく、日に三度の食事は運ばれる。外に出られるようになるまで、ここで過ごしてもらう」
「……」
「私はもう行くが、何か入用の物があれば遠慮なく言ってくれ。食事を運んできた者に伝えてくれればよいから」
立ち上がり、部屋を出ようとした朱夏の耳に、小さな小さな呟きが入った。
「……わたしは、死罪でもよいのです」
ばっと振り返り、大股に迦陵の元へ戻った朱夏は、堪えきれずに細い手首を掴んでいた。
「何を……」
揺れる薄桃色が、朱夏を見上げる。泣いてしまいそうだと、それは嫌だと朱夏の心が叫んだ。
「誰かの代わりに抱かれることなど、もう耐えられない」
「……え?」
「わたしは、迦陵でも『ひいらぎ』でもないわ」
きつく眉を寄せた迦陵の顔を、朱夏は手首を掴んでしまったまま呆然と眺める。
「お願い……わたしの名前を、呼んで……」
縋るような声に、朱夏の動きが止まる。目の前にいるのは、父に深く愛される側室の顔をした迦陵ではなかった。泣くのを我慢する、心細そうな瞳の少女の面影が重なる。
「……琉兎」
心の奥底にしまっていたはずの名を絞り出した朱夏に、迦陵の瞳から涙が一筋零れた。




