漆拾捌
「……っ、わた、わたくしが……やりました」
か細い声が静まり返った執務室に響く。
我に返った朱夏が、床に座り込んだままの迦陵に視線を戻した。
「第六室どの……?」
怪訝な朱夏の声に答えず、迦陵は真っ直ぐに蓮黄を見つめる。
「わたくし、が……今上さまに、ど、毒を……日嗣宮さまは、何の関わりもございません……!」
「まあ」
わざとらしく目を丸くしてみせた蓮黄が、緋扇を開いて口元を隠す。だが、その目元に隠しきれない笑みが浮かんだ。
「潔い者は嫌いではなくてよ。では、牢に入ってもらわなくてはね。日嗣宮さま、よろしいですわね?」
「ま、待て……」
「こうして自ら罪を認めたのですもの。第六室さまのお気持ちを、汲んでさしあげなくては」
ふふふ、と笑いを漏らし、蓮黄が武官に目配せをした。それを受けた武官が、震える迦陵の細い肩に再び手を掛ける。
「お立ちいただきます」
「せめてもの温情に、手枷は嵌めずにいてさしあげるわ。牢も、貴人用の牢に入れてさしあげる」
「何故、第二室どのが決める」
迦陵を強引に立ち上がらせた武官を睨みつけながら、朱夏の喉から低い声が漏れた。
「まあ。今この場において、最も高い位にいるのはわたくしですもの。それとも、日嗣宮さまがその権限でお決めになるの?」
挑戦的な蓮黄の言葉に、朱夏は唇を噛む。父帝が不在の今、罪を犯した者への判断を勝手に下す力は己にはなかった。だが、このまま迦陵を捕らえさせることも正しいとは思えない。
「……第二室どのが目撃したことが事実でも、第六室どのが確かに毒を盛ったとわかるまでは、貴人牢でお過ごしいただく」
絞り出すような朱夏の声に、蓮黄が面白そうに目を細めた。
「第六室さまは、ご自分がやったと仰せでしょう?何を迷うことがありまして?」
「では、その毒入りの茶はどこだ?第六室どのが淹れたという、茶器と茶葉はどうした」
「えっ?」
きょとんと目を丸くした蓮黄に、朱夏は詰め寄った。
「第六室どのの罪の証となる、毒入りの茶はどうした?まさか、大事な証拠を勝手に処分したなどとは、言われまいな?」
「っ、も、勿論ですわ!わたくしが連れていた侍女に、その場で取り上げさせました」
「それは、今どこにある」
逃がさないというように蓮黄の瞳を睨む朱夏から、たじろいだように蓮黄の視線が逸らされる。
「第二室どの」
「ちっ、父上さまに、調べるようにお願い致しましたわっ」
「仙螺の大臣に?」
朱夏の眉が顰められた。迦陵の存在を忌々しく思っていたであろう第二室派閥の、長である仙螺の大臣の手に渡ったとなれば、証拠を握り潰される恐れがあった。
「我が家は古来より、薬に詳しく研究する者も一族に多くおります。一体どこの何の毒を今上さまに飲ませたのか、厳しく調べてもらうようお願いしてありますわ」
「……随分手回しがよいようだな」
「なっ!」
疑わしげな表情を浮かべた朱夏に反論しようと口を開いた蓮黄は、冷たい青灰色の瞳に押し黙った。
「仙螺家だけに調査を任せるわけにはいかぬ。輝山からも人を出してもらうように、輝山の大臣に私から頼もう」
「何を……」
「それと、我が父を害したやもしれぬ相手だからな。第六室どのは、私がこの手で貴人牢までお連れする」
蓮黄に背を向け、朱夏は武官に腕を掴まれている迦陵に歩み寄った。そっと声を掛ける。
「第六室どの。父上がご回復されるまで、申し訳ないがそのお身柄を預からせていただく。其方からの話は、輝山と仙螺、両大臣が揃った場で改めて聞かせていただこう」
「……」
「その手を離せ。私がお連れする」
朱夏から視線を向けられた武官は、迷うように蓮黄を窺った。緋扇を握りしめ、きつい眼差しで朱夏を睨んでいた蓮黄は、諦めたように頷いてみせた。
「罪人を逃がさないのならば、日嗣宮さまにお任せ致しますわ。わたくしは奥宮へ戻ります」
「……申し訳ないが、第二室どの。其方にも見張りをつけさせていただく」
「は?」
帝の執務室から出ていこうとした蓮黄の背に、朱夏が冷たい声を掛けた。勢いよく、蓮黄が振り返る。
「どういうことですのっ?」
「父上がお倒れになった時、この場にいたすべての者に、監視をつける」
「何の権限で……っ」
「日嗣宮さまの権限でございますよ、第二室さま」
開かれた扉から、輝山の大臣が入ってきた。夏勢帝が倒れたとの一報に、これまで駆け回っていたのか額に汗が浮かんでいる。
「今上帝さまがお倒れの今、政を動かすのは我ら大臣でございますが。代わりのご裁可は日嗣宮さまがなさいます。ご存知ありませんでしたか」
「……っ」
「近衛から見張りをつけます。第二室さまには、奥宮ではなく表宮の客間にお入りいただきたい」
悔しそうに唇を噛んだ蓮黄の後ろに、大臣が連れてきた女性の武官が立った。
「第二室さま、ご案内致します」
「……わかりましたわ」
つん、と顔を上げて蓮黄は執務室を出て行った。慌てたように、室内にいた彼女の護衛の武官が続こうとする。その動きを許さず、輝山の大臣は連れていた別の武官に指示を出す。
「其方はこちらだ。第二室さまとは別の場所で過ごしてもらう」
「こちらへ」
短く告げられ、蓮黄と反対の方向へ連れて行かれる武官の姿を見送って、朱夏はようやく息を吐いた。
「よい間であった、輝山の大臣」
「ご立派なご判断でございましたな、日嗣宮さま」
「本宮の貴人牢へ、彼女を連れて行く。侍女はつけてもよいのだったか」
立ちすくんだ迦陵に痛ましげな目を向けた輝山の大臣が、困ったように眉を下げる。
「お世話をする者を、一人だけはつけてよい決まりですが……」
「必要ございませんわ」
ぽつり、と迦陵の細い声が執務室に響いた。




