漆拾伍
冬の宮から、今上帝の二の親王冬廉が、護衛を引き連れて夏の宮へとやって来た。
表向きは、兄弟の交流のための茶会である。
煌姫に私室から出ないように伝え、朱夏は宮の入口で弟親王を迎え入れた。
「久しぶりだな、冬廉」
「兄上、ごきげんうるわしゅう。本日はおまねき、ありがとうぞんじます」
以前は幼すぎて、声を張り上げて叫ぶようなところのあった冬廉だが、この数年で多少は落ち着いたようだ。後ろに控えていた護衛に持たせていた手土産の菓子を、こちらも控えていた朱夏の護衛に手渡している。
「暑い最中で疲れただろう。宮内で冷たい茶を淹れさせる」
先導する侍女の後に続き、朱夏、冬廉の順で廊下を歩き始めた。きょろきょろと、興味深そうに宮の内を眺めている冬廉を、朱夏はちらりと振り返る。
主の居室から一番離れた、だが大窓から庭を眺められる景色のよい客間に、冬廉を案内した。朱夏に仕え慣れている侍女たちは、皆煌姫の私室に控えさせている。年若い侍女が壁際で茶を淹れ始めた。
長椅子に座った冬廉の向かいに、朱夏も腰を下ろす。まずは、当たり障りのない挨拶から始めるつもりだった。
「兄上。煌……ご正室さまは、どちらにおいでですか」
「……」
季節の挨拶を口にしようとしていた朱夏の動きが、一瞬だけ止まる。扉脇に控えた護衛から、殺気だった視線が飛んでくるが手で制した。
「先の文でも知らせたろう?具合が思わしくなくて、部屋で伏せっている」
「では、お見まいさせてください」
「不要だ。其方が顔を見せては、煌が気遣って無理をするだろう」
朱夏の言葉に、冬廉が理解できないというように首を傾げた。
「母上は、わたしがびょうきの時には、しんだいで手をにぎってくださいます」
「……」
「そうすると、わたしはすぐに元気になるのです。だから、て……ご正室さまも、わたしがお見まいすればきっと元気になられます」
自信に満ちた瞳で、冬廉が必死に主張する。痛みだした頭を振って、朱夏は茶を出そうとして固まっていた侍女に視線を向けた。
「冬廉親王に、季節の冷茶を」
はっとしたように、若い侍女が茶器を乗せた盆を手に歩いてきた。卓に置かれた茶器に、朱夏の許しも待たずに冬廉が手を伸ばす。
「冷たくて、おいしいです!」
「それはよかった」
朱夏も茶器に口をつけ、ふっと息を漏らした。
思っていた以上に幼いままだった弟に、どう話を切り出すべきか。いや、この調子では、母親のことを聞いたなら何でも語ってしまいそうで心配になった。
「なつの宮では、このようにおいしいお茶をのまれるのですか」
「其方の冬の宮では、美味い茶は飲ませてもらえないのか?」
蓮黄が足繁く通っているのなら、冬廉の周囲は最高級の品で固められていることだろう。口にするものも、蓮黄が認めたものしか許されないはずだ。
首を傾げた朱夏に、冬廉が照れたように頬を染めた。
「わたしは、母上の言いなりだと、宮のじじょに言われました」
「……」
「おのこたるもの、けいあいする母上といえど、気に入らない時はそう言わなくてはと」
冬廉の耳にそんな言葉を入れるような者が、冬の宮に仕えているとは思わなかった。驚きに目を瞠る朱夏に、冬廉は勢い込んで続ける。
「母上のおあたえになるものばかりでは、わたしはりっぱな親王になれません」
蓮黄と同じ榛色の瞳を輝かせて、冬廉は兄の顔を正面から見つめた。
「ですから、今日は母上にないしょでまいりました!」
「……」
ちらり、と朱夏は壁際に並んだ護衛に目を向けた。苦い顔をしている冬廉の護衛たちは、朱夏の視線に気づいて表情を取り繕う。
「兄上としんこうをふかめるのは、母上がおゆるしにならないのです」
しょんぼりと肩を落とした弟の様子に、朱夏の口元が緩む。だが、次の言葉を聞くまでのことだった。
「いずれ、煌姫さまがわたしのつまとなられるのだから、兄上となかよくすべきではない、と」
がたん、と音を立てて、朱夏はその場で立ち上がった。




