漆拾肆
夕餉と湯浴みを済ませ、夜着を纏った朱夏は私室で烏と向かい合っていた。
「こちらが、先ほど冬の宮より届いた書状でございます」
朱夏が留守の間に、冬の宮からの使いが冬廉の書状を持って来たようだった。
きちんと封をされた書状を開き、朱夏は文面に目を落とす。しばらく会っていない弟の性質を表すように、大振りな字が並んでいた。
筆につけた墨が乾くのももどかしく書きつけたようで、ところどころ文字が滲んでいた。朱夏の眉が寄る。親王として教育を受けているはずなのに、煌姫が書いた櫻花楼への見事な返礼とつい、比べてしまう。
「冬廉親王さまは、何と?」
烏の問いに我に返る。書状を読み終えた朱夏は、軽く息を吐いて天井を仰いだ。
「親王さま?」
「兄上にはお会いしたいが、母上のお許しがない、と」
「それは……」
主君と同じように、烏の眉根も寄った。
「だから、己が夏の宮を訪ねたい、と」
しかし、冬の宮で宝物殿の目録を探したい朱夏としては、それでは意味がなかった。
「どうなさいますか」
「……」
書状を元通りに畳み、卓に放った朱夏は溜息を漏らす。
「仕方がない。まずは冬廉をこちらへ招こう。その代わりに、次はそちらへ伺いたいと直接請おう」
「……お方さまに、会わせるのですか」
気遣わしげな声に、朱夏は頭を振った。
「近頃の冬廉が、煌に対してどんな気持ちを抱いているかわからない。ちょうど月の障りも来たところだし、体調が思わしくないと言い抜けよう」
「いつおいでになります?」
冬廉が夏の宮を訪れるとなれば、常とは違う警護の体制を敷かなくてはならない。
「明後日ではどうだ」
その日ならば、朱夏は休みを与えられており、本宮に行く必要がなかった。朝から夏の宮で待ち構えることができる。
烏は頷き、懐から出した藁紙に何かを書きつけた。
「では、それまでに非番の武官たちを呼び寄せます。お方さまの警護は万全に整えます」
「そちらは任せる」
打ち合わせを終え、朱夏は煌姫の私室に向かうために立ち上がった。月の障りが来ている間の共寝に秋穂が渋い顔をしていたが、不安げな煌姫を一人寝させるのは忍びなかった。
薫風が漂う室内に足を踏み入れる。
すでに寝台に身を横たえ、煌姫が燭台の火に照らされた顔をこちらへ向けていた。
「朱夏さま」
「遅くなって済まぬ。さあ、そろそろ休もう」
枕元の火を絞り、朱夏は煌姫の背後から寝台に身を乗せた。そっと、小さな体を抱き込む。
身動ぐ煌姫の髪に口づけを落とすと、肩がぴくりと跳ねた。
「腹が重いと言っていたが、少しは落ち着いたか?」
「はい……秋穂が薬草茶をいれてくれました」
「糖蜜入りか?」
昨夜も飲んだという、薬草の苦みを糖蜜で打ち消した甘い茶だ。体を温める効果があるという。
「おなかが温まりました」
「そうか。痛みは?」
掛布に二人で包まり、朱夏はそっと煌姫の腹を撫でてみた。
「しゅ、朱夏さまっ」
「どうした?」
後ろを向いている煌姫の耳の先が、真っ赤に染まっている。首を傾げた朱夏は、くるりと煌姫の体を己の方へ向けた。
「熱でもあるのか?」
煌姫の額に己の額を当ててみるが、特に熱を出してはいないようだ。だが、煌姫の顔は朱に染まったままだ。
「煌?」
「お、おしとねの中で、ふれてはいけませんっ」
「うん?」
何を言われたかわからず、朱夏はじっと妻の言葉の続きを待った。
「り、莉羅が教えてくれました。おしとねの中で朱夏さまとふれ合うのは、わたくしが成人してからって」
「……」
「お、およつぎをお作りする時に、って」
朱夏は頭を抱えたくなった。あの侍女は、いつも煌姫に余計な話を聞かせている。
溜息を堪え、朱夏は煌姫の頬を両手で挟んで自分へ向けた。
「莉羅の言うことも、間違いではない。だが、すべてでもない」
「……?どういうこと?」
首を傾げた煌姫の額に、朱夏は口づけを贈る。
「っ、朱夏さま?」
「莉羅の言う通りだとしたら。こうして口づけし合うことも、抱きしめて眠ることもできないぞ?」
朱夏の言葉に、これまで真っ赤になっていたことなど忘れたように、煌姫がぽかんと口を開けた。その唇にさらに口づけをして、朱夏は微笑んだ。
「其方と世継ぎを作るのは、確かに其方が成人してからだ。だが、まったく触れ合わないことなど、寂しいことだと思わないか?」
「……さびしい?」
驚いたように目を丸くして、煌姫が朱夏の顔を見つめる。
「こうして一番近くにいるのに、触れられないのは辛いことだ」
優しくそれだけ言って、朱夏は妻の小さな体をぎゅっと抱きしめた。
「莉羅の言うことも間違いではないのだから。こうして触れ合っていることは、二人だけの秘密にしておこう」
「わたくしと、朱夏さまのひみつ?」
「そうだ。私は、其方とこうして眠りたい」
おずおずと、朱夏の背に小さな手が回された。
「……わたくしも、朱夏さまとねむりたい」
縋るように、煌姫の手が朱夏の夜着を握りしめた。




