漆拾壱
宝物殿の目録が、冬の宮に――。
国中から献上された品を収めてある宝物殿は、その名が示す通り帝の権威を示す宝物で埋められている。管理することが許されるのは、帝その人と後継者、そして許しを得た文官が一人だけである。
現在許可を得ている文官は輝山出身の妙葵であり、第二室の派閥とは関わりがない。冬の宮に赴くことなど、あるはずがなかった。
父帝の顔をまじまじと見上げ、朱夏は口を開いた。
「それは、まことですか」
「恐らくな。蓮黄は足繁く冬の宮に通っておるが、時折差し入れと称してここにも立ち寄る」
「……」
書棚を睨みながら、夏勢は続ける。
「先月の終わりにも、櫻花楼から献上された珍しい菓子だと、この部屋に押しかけてきた」
「その際に、持ち出したということですか?」
顎髭を撫で、夏勢帝は首を横に振った。
「確証はない。だが、この部屋に立ち入れる者は限られる。扉外に武官も控えておるしな」
帝の室ならば、それも大きな権威を振るう第二室ならば、執務室に入り込むことは容易なことだった。
「意外です」
「うん?」
「第二室どのは、ここにはあまり近寄らないかと思っておりました」
朱夏の言葉に、夏勢帝は気まずげに視線を逸らした。
「……近頃は、訪れることが増えてきたぞ」
「それは……」
言いかけて、朱夏は言葉を飲み込んだ。蓮黄がここを敬遠していたのは、帝の寵愛する迦陵と顔を合わせたくなかったからだろう。だがこのところ、夏勢帝は迦陵を籠宮から外へ出さない。
頭を振って、朱夏は考えを切り替えた。父帝の私的なことまで、口を出すべきではない。
「先ほど、仙螺の大臣にも伝えました。冬の宮に使いを出し、冬廉を訪ねてみようと思います」
「目録を探すか」
「まずは、ただ弟に会いに行くだけという体裁を整えます。さすがに冬の宮を、我が物顔で探るわけにはいきません」
一度訪ねて弟と交流し、その後深夜にでも、朱夏に仕える隠密たちを動かせばよい。
目録探しだけに時間を割いているわけにもいかなかった。式典の準備や、地方から上がってきている嘆願も確認しなくてはならない。
「そう言えば、慶事があったようだな」
話題を変えるように明るい声を出した夏勢帝が、室内の椅子に腰を下ろした。卓に置かれた茶器を手に取る。
ゆっくりと口をつける父に、朱夏は頷いた。
「ご存知でしたか。昨日、煌に月の障りが来ました」
書棚を離れて、朱夏は己に与えられている席へと戻った。清書した議事録の墨が乾いたことを確かめ、束にして綴る。
「無事に成長しているようで何よりだな」
安堵したような父の声に朱夏も首肯した。従妹である妻の成長が、朱夏にも待ち遠しい。健やかに心安らかに過ごしてもらえるよう、心を砕く朱夏に夏勢帝も満足げであった。
「今日は早めに御前を失礼して、妻に土産でも買って戻ろうと思います」
「土産か。ああ、朕からも祝い物をやろう」
「はい?」
ゆったりと立ち上がった夏勢帝が、自身の執務机に近寄り抽斗を開いた。書棚に議事録を収めていた朱夏は、そのまま父へと歩み寄る。
ずいっと差し出された手に、朱夏は思わず両手を出した。ころん、と朱夏の手の平に落とされたのは、朱色の巾着であった。
「これは?」
「先日櫻花楼より届いた物だが。女が使う紅だ」
「紅……」
口をきっちりと閉じられた巾着を、開けるべきか朱夏は逡巡した。父の瞳を見返す。
「思ったより色が淡かったのでな。開けずに返そうかと思っていたのだが、煌には似合うだろう」
「……」
それは、他の誰かのために購入したものを、煌姫へと下げ渡そうということだろうか。
眉間に皺を寄せた息子に苦笑し、夏勢帝は朱夏の手から巾着を取り上げた。流れるような所作で袋の口を開ける。
中から、桜色の容器が出てきた。蓋に桜の絵が描かれており、朱夏の手の平にすっぽりと収まる大きさだ。
「開封はしておらぬが、容器と同じ色合いの紅だそうだ。煌の顔には似合うだろう」
「……ありがたく、頂戴致します」
「下げ渡しではない。端から煌のために買った物でもないがな」
首を回し、肩を押さえて夏勢帝は立ち上がった。
「籠宮に戻る。昼餉はあちらで取る」
「厨番に伝えるよう、文官に指示しておきましょう」
「凝りを解したら戻る。急ぎの仕事がなくば、其方も宮に帰るがよい」
それだけ言い置いて、夏勢帝は執務室を出ていった。扉の外に控えていた護衛たちが、その後をついて行く。
小さく息を漏らして、朱夏は己の席に戻った。急ぎではなくとも、やるべきことは山積みだ。冬の宮へも文を認めねばならない。櫻花楼にも、使いを出すべきか。烏の言うように、今は控えておくべきか。
考えるべきことが多く、忙殺されそうな日嗣宮の立場である。できるだけ早く済ませて、夏の宮に帰りたかった。




