陸拾玖
一夜明けた夏の宮の朝餉は、常よりも豪勢に用意された。
小豆を使って炊いた赤米の椀が、膳の真ん中に置かれている。目にした瞬間、煌姫の顔が真っ赤に染まった。他にも、朝獲れの魚を一尾丸ごと焼いた皿や、蓮根や海老の炊き物、蛤の吸い物といった、祝いの席でしか用意されない料理が並んでいる。
煌姫と並んで座った朱夏は、朝から用意された大量の食事に目を細めた。
「これは……さすがに、量が多いのではないか?」
「朱夏さま、これは何ですの?」
小さな指が示しているのは、膳の端に並べられている桜色の餅であった。
「それは、四季の国で古より食されている、慶事用の餅だな」
「けいじ?」
「めでたい時や、喜ばしいことだな」
首を傾げた煌姫に教えてやりながら、朱夏は食前の祈りを捧げて箸を手に取った。給仕に立ち動く侍女たちが、微笑ましげに煌姫を見つめていた。
「わたくしが、大人になったのは、おめでたいこと?」
「そうだ。私の正室として、いずれは努めも果たせるようになるだろう」
「つとめ……」
「さあ。しっかり食べて力をつけねば」
朱夏の言葉に素直に頷き、煌姫は朝餉を口に運び始めた。
本宮の宝物殿に向かいながら、朱夏は後ろをついて来た烏に言葉を掛けた。
「例の書状は?」
「昨夜の内に、灰と致しました」
小さく頷いて、朱夏はこれからの予定を考える。朝議の席で、宝物殿の目録が違っていたことを追求するべきか。だが、責めを負うのはどうせ、下位の文官だろう。仙螺の大臣を責められないのなら、己の手で差し替えを済ませてしまうべきか。
難しい顔で歩く主君に、烏が気遣わしげな声を掛ける。
「お悩み事ですか」
「……仙螺の嫌がらせに、飽きてきたところだ」
「左様ですか」
朱夏の一言で何となく現状を察した烏は押し黙った。第二室蓮黄は、数年前から変わらず、朱夏に失態を演じさせようと様々な手を打ってくる。これまでは上手く躱してきたが、今後もそうとは限らなかった。
「やはり、一度第二室どのと会って話すべきだろうか」
「それは、賛同致しかねます」
本宮の建物が見えてきたところで、朱夏の足が止まった。
「危険か?」
「はい」
「だが、あちらの思惑が今ひとつわからぬ。送りつけてきた女に私が手を出したとして、第二室派閥が喜ぶような失態というわけでもない」
朝議まではまだ時がある。朱夏は考えを纏めようとその場に留まった。
「吾の推測でよろしければ」
「聞こう」
朱夏の許しに、烏が静かに考えを口にする。
「夏の宮に女を送りつけてくるのは、お方さまがおいでの宮内での失態を期待しておいでなのではないでしょうか」
「とは言え、同じ屋敷で正室と側室を抱えている者とて、多くいるだろう?」
朱夏にそのつもりがないだけで、帝一族のように広大な宮や離宮を持たない貴族ならば、同じ屋敷内で数人の妻を持つことは珍しくなかった。
「親王さまのご正室は、高貴な煌姫さまですから。そこらの貴族と同じに考えてはなりません」
「それで、私のお手つきになった女を使って、あちらが私をいいように動かそうというわけか?」
首をひねる朱夏に、烏は深く息を吸って言葉を続けた。
「親王さまの弱味を握り、それを元に脅し、煌姫さまを冬廉親王さまの妻に寄越せ、とでも言われるつもりでは?」
烏の語った内容に、朱夏は目を見開いた。あまりに幼稚な言い分に、思いつきもしなかったことだ。
「馬鹿な……それほど愚かか?」
「追い詰められ、なりふり構わぬ相手というものは、どんな思考をしているかわかったものではありません」
頭を振って、朱夏は息を吐き出した。
「どちらにしろ、推測に過ぎない。これまで以上に、第二室どのの動きに気を配っておいてくれ」
「御意。ですので、親王さま……」
「何だ?」
足を踏み出しかけた朱夏の背に、烏の声が掛かる。
「櫻花楼に赴かれるのは、しばらく先になさってはいかがでしょう」
一瞬足を止めた朱夏は、構わずそのまま歩き始めた。
「遊女を買ったなど、あちらが喜ぶような弱味になるか?」
「例えば、『日嗣宮さまは市井で女を買って抱いている。貴方さまというご正室がありながら』などと、お方さまに密かに話されたら、どうなさいます」
「……っ」
本宮の手前で、烏は足を止めた。ここから先の供は、朱夏から断られている。
「そこまで、悪辣か?」
「想定は、最悪の事態を考えておかねばなりません」
「……わかった。其方はひとまず宮に戻り、引き続き煌の警護に当たれ」
頭を下げた烏をその場に残し、朱夏は本宮に足を踏み入れた。




