陸拾伍
季節は移ろい、朱夏が立太してから四年の月日が流れた。
夏勢帝在位二十年の式典が、間もなく行われる。
慌ただしい本宮の廊下を足早に歩く朱夏は、反対側から歩いてきた人物の姿を認めて足を止めた。
浅黒い肌に緑の袍を纏い、長い白髪を一本に束ねた引き締まった体躯の青年が、ゆったりと歩いてくる。隣に小姓らしき者を伴い、大きな木箱を持たせていた。
「……櫻花楼の、凛慈か」
思わず呟いた朱夏の声に反応し、櫻花楼の楼主の視線がこちらへ向けられた。
「これはこれは、日嗣宮さま。ご機嫌麗しゅう」
足を止めて恭しく頭を下げた凛慈に頷き、朱夏は尋ねた。
「式典の献上品か」
「左様にございます。やはり大きな式典でございますから。櫻花楼にも様々な注文が届いておりますよ」
近頃の朱夏は、宮廷へ届く各地の貴族たちからの献上品を検める役目を担っていた。その縁で、凛慈とも数度顔を合わせた。
「先日は、夏の宮にも大層な贈り物を届けてもらったな」
「日嗣宮さまの二十歳のお祝いと、ご正室さまへの新たなお衣装ですね」
「煌からの礼状が届いたと思うが」
朱夏の言葉に含み笑いを漏らして凛慈は頷く。
「はい。それは丁寧な、愛らしいお手紙を賜りました」
「奥宮にも度々、出向いていると聞くが」
探るように凛慈を見る朱夏に、笑顔を崩さないままで凛慈が答える。
「私どもの店では、女人の化粧品や装飾品も扱っておりますから。ご贔屓にしていただいております」
「……第二室どのの元へ、足繁く通っていると聞く」
男子禁制の奥宮で、立ち入ることを許されるのは商人といえども女性だけだ。櫻花楼の楼主は黒門の前に控え、店で働く女性を奥宮に入らせていると朱夏の耳にも届いていた。
「数年前の一揆で、仙螺の領地は荒れましたから。なかなか思うようにご生家からの品が届かないようでして。私どもで都合させていただいております」
「……」
「日嗣宮さまも、ご入用の物がございましたら、お声がけくださいませ」
如才なく告げた凛慈に曖昧な頷きを返し、朱夏は再び本宮を歩き始めた。これから宝物殿へ行き、目録と中身の検分をしなければならない刻限である。
「足を止めさせたな。私はもう行く」
「……日嗣宮さま。もし『花』がご入用でしたなら、いつでも我が楼へお越しくださいませ。歓迎致しますよ」
「不要だ」
言葉の意味を尋ねるまでもなく、朱夏は短く拒絶して足を早めた。
櫻花楼が持つ遊郭になど、近づくつもりもなかった。
四季の国中から集められた宝物が収められた宝物殿。
現在は朱夏の管轄である。補佐に輝山家から出仕する青年文官が就けられていた。
「妙葵、この目録は二代前の物ではないか?」
収められた宝物の数と、目録の数が合わないことに朱夏は首をひねった。慌てたように、妙葵と呼ばれた青年が己の持つ目録の写しを確認する。
「この、仙螺からの首飾りだが。献上されたのは第二室どのが奥宮に入られてからではなかったか。この目録に載っていない」
血走った目で目録を眺め回す妙葵の顔色が、徐々に青くなってきた。
「もっ、申し訳ございませぬ、日嗣宮さまっ。すぐに確認を……!」
青ざめたままの妙葵に、朱夏は溜息を吐いた。びくっ、と妙葵の肩が揺れる。
「仙螺の大臣の嫌がらせだろう。あの方は、第二室どのの言いなりだからな」
「嫌がらせ、でございますか」
「あちらの派閥は、何とかして私に失態を演じさせ、日嗣宮の座から引きずり下ろしたいのだ。そのように、いちいち青くなることはない」
手にしていた目録を閉じ、朱夏は妙葵を促して宝物殿を出た。目録が役に立たないのなら、このままここにいても仕方がない。正しい目録を手に入れなくてはならなかった。
扉を閉じて歩き出しながら、朱夏は後ろをついて来る妙葵に視線を向けた。
まだ青い顔をしているが、その風貌は整っていた。艷やかな黒髪は短く切り揃え、灰色の瞳は光の加減によっては理知的な色を湛えている。文官であるため体を鍛えてはおらず、朱夏から見ればひょろひょろとしているように感じるが、背は朱夏よりも高かった。
「……春香は息災か」
額に浮かんだ汗を拭きながらついて来る妙葵に、聞くつもりのなかった言葉が口をついて出た。しまったと思った時にはもう遅い。
妙葵の顔色がますます悪くなった。
「は、その……あの。お健やかにお過ごしです」
「それほど謙ることはない。其方の細君であろう」
「は……恐れ入ります」
昨年の冬、長く朱夏と煌姫の侍女を務めた春香は、生家の再興を機に妙葵の元へと嫁いだ。国への忠誠心が高いと言われる輝山の中でも、気性が優しく穏やかな妙葵が下賜先として夏勢帝によって選ばれたのだ。
春香の花嫁衣装を用意するのは主の務めだと、煌姫が張り切って刺繍していた姿を思い出す。
ふっ、と息を吐き出し朱夏は足を早めた。
「彼女には、穏やかで優しい時を過ごしてもらいたい」
「は、日嗣宮さまのご期待に沿えますよう、力を尽くします」
「……」
揺るぎない忠義にひとまず己を納得させ、朱夏は脳裏に浮かぶ春香の面影を振り払った。




