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四季帝(しきのみかど)、愛のゆくえ  作者: 紫月 京
三の章 立太、そして政争の始まり

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陸拾肆


私室の扉が閉ざされる。

母との心の距離が開いてしまったような、心細い気持ちが朱夏の内に湧いた。

はっとして頭を振る。何を幼子のようなことを――。

扉をじっと見上げる煌姫に声を掛けた。

「煌、夏の宮へ戻ろう」

「……」

「どうした?」

動かない煌姫にさらに尋ねようとした時、扉が再び開かれた。

「っ!」

思わず煌姫を抱き上げて一歩後ろに飛び退いた朱夏の目に、美紘の侍女芙月(ふづき)の姿が映った。

「日嗣宮さま、申し訳ございません」

ふくよかな体を揺らして歩み寄ろうとする芙月の前に、春香が遮るように立った。

「……お退きなさい」

「申し訳ございません。主君をお守りするのがわたくしのお役目ですので」

「……親王さまのお手つき風情が生意気だこと」

小さな呟きは、はっきりと朱夏の耳に届いた。嘲るような声に憤るよりも先に、煌姫の耳を押さえていた。

「朱夏さま?」

「其方は聞かずともよい」

首を傾げる煌姫の前髪に、誤魔化すようにそっと口づけた。目を丸くして頬を染めた煌姫をしっかりと片腕で抱え、空いた手で煌姫の耳を押さえる。反対側の耳には朱夏の頬を当てて外の声が聞こえないようにして、芙月に目を向けた。

「何用か」

「ご忠告に参りましたの。美紘さまの御前では、憚られましたので」

「……何だ」

警戒するように立ったままの春香の横から、美紘の侍女を睨みつけた。

「これより奥宮を出られると思いますが。第二室さまのお部屋の側は、通られないようにお願い致しますわ」

「第二室どのの部屋?」

「あそこは、わたくしどもも滅多に近寄らないのですが……。煌姫さまのように無垢なお方は、そもそも奥宮においでになるべきではなかったのです」

「……」

芙月に言われずとも、蓮黄に近づくつもりは朱夏にはなかった。細めた瞳の奥が笑っていない第二室になど、できるだけ煌姫を会わせたくはない。

「どこにも立ち寄らず、奥宮を出る」

きっぱりと告げると芙月は大袈裟な身振りで頷いた。

「それがよろしゅうございます。大切な御身、どうぞご大切に」

「……母上のお加減は、実際どうなのだ」

美紘の前では訊けなかったことを、朱夏は意を決して尋ねた。常に美紘の側近く侍るこの侍女ならば、美紘の体調に最も詳しいだろう。

考えるように頬に手を当て、芙月が答える。

「はっきりと申し上げますと、それほどよろしくはありません」

「っ」

「防げなかったわたくしどもにも責はありますが……。毒見役の侍女は長く患った後に絶命致しました」

何でもないことのように語る芙月が、朱夏には急に恐ろしく感じた。

「奥宮とは、そういう場所なのです。ですから、煌姫さまをあまり、お近づけになりませんように」

「……わかった」

毒を盛られること、仕える者が命を落とすことが日常だと。そんな世界を、煌姫に見せたくはない。

朱夏の返事に満足そうに頷き、芙月は部屋へと戻っていった。


重く息を吐き出した朱夏の襟を、腕の中の煌姫が引いた。我に返り、耳を塞いでいた手と頬を離してやる。

「朱夏さま、ないしょのお話でしたの?」

拗ねたような口調につい、朱夏の口元に笑みが浮かんだ。だが、ここはまだ奥宮の最奥なのだ。気を引きしめ、宥めるように煌姫の背を撫でながら足を踏み出した。

「難しい政治の話だ。其方が聞いても、退屈であろう」

歩きながらそう誤魔化すと、煌姫は少し考えた後で朱夏の瞳を見上げてきた。

「わたくしが、もっと大人になったら、おきかせくださいますか?」

「そうだな。私は其方に隠し事はしない。もう少し大人になったなら、政の話も聞かせてやれるかもしれないな」

「はい」

腕の中でしっかりと頷き、煌姫は不思議そうな表情を浮かべた。

「わたくし、歩けますわ?」

「うん。だが、私は一刻も早く帰りたい。夏の宮に戻って、其方と楽しい時を過ごしたいんだ」

「……わたくしの足が、おそいから?」

大股に歩く朱夏の後ろを、春香も早足でついて来ていた。ちらりとそちらへ目を向け、煌姫がさらに続ける。

「はるかのように、早く歩けるようになったら、ごいっしょできる?」

「そのために、其方はこれからしっかり学び、よく食べよく眠って。そうして大きくならねばな」

朱夏の言葉に、煌姫は真剣な顔で頷いた。

再びこの奥宮へ来ることは、朱夏が帝の位に就くまでないだろう。しかし、煌姫は美紘の見舞いに来たがるかもしれない。どう納得させるか、朱夏は思い悩んだ。

日嗣宮朱夏、十六歳の秋のことであった――。



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