陸拾弐
朝議を終え、重臣たちがそれぞれ担当する執務へと散っていく。
今朝の議論は随分白熱した。仙螺家が有する西領で民による一揆が起こり、宮廷から鎮圧のための軍を送るか否かで、正室派閥と第二室派閥の者たちが激突したのだ。
父帝から朝議も執務も欠席の許しを得ていたが、煌姫の支度に時がかかるため朱夏は朝議にだけ出席していた。
議論の行方を書きつけていた朱夏は、溜息を漏らして立ち上がった。これから、奥宮に母の見舞いに行く予定であるのに、気が重くなるような話題に疲労を感じる。
「これから、美紘の見舞いか」
まだ座したままであった夏勢帝が話しかけてきた。書きつけた紙束を小脇に抱え、朱夏は振り返る。
「はい。一度宮に煌を迎えに行き、母上の元へ参ります。奥宮への立ち入りのご許可、ありがとうございます」
「構わぬ。其方が、奥宮で失態を犯すとは思わぬ。煌もともにいることだしな」
四季の国の長い歴史の中では、男子禁制の奥宮で帝一族の男が不祥事を犯した記録も残ってはいる。
帝の許可を得ずに奥宮に入り込み、時の側室と通じていた、といったことは往々にしてあることだ。
朱夏にはその気持ちがさっぱり理解できなかった。心の内でどれほど想おうと、手を出すことは許されない。道理に反した軽率な行いで、その後の人生を台無しにするとは愚かなことである。
「煌に恥じぬ夫として、日嗣宮として軽率な真似は致しません」
「そうだな。奥宮は閉ざされた場ゆえ、常と違う視線が其方に向けられるやもしれぬが、まあ平気であろう」
「それでは、御前失礼致します」
書きつけた紙束を執務室にいる秋務に渡してから、夏の宮へ戻らなければならない。朱夏の書きつけを元に、秋務が朝議の内容を清書して議事録の棚に収めるのだ。
父帝の前を辞し、執務室に寄った朱夏は夏の宮へと戻った。廊下の奥から、薄桃色の衣を纏った煌姫が駆けてくる。
「朱夏さま、おかえりなさいませ」
両腕いっぱいに竜胆の花を抱えた妻の後を、春香が見舞いの菓子が入った籠を持ってついて来た。
「それは、母上への見舞いか?」
「はい!このきせつにさく、朱夏さまのお色にちかいお花です」
「そうか。古くから長寿を願って贈られる花でもあるから、お喜びになるだろう」
花を受け取ろうと手を差し出した朱夏に、煌姫は首を振った。
「煌?」
「わたくしが、お持ちしますわ」
「だが、奥宮までは遠い。母上の元へ着くまで其方が握りしめていては、萎れてしまうぞ?」
「……」
煌姫の小さな手では、しっかり抱えていなくては花を落としてしまうだろう。だが、力を入れ過ぎては花が傷んでしまう。
朱夏の言葉に目を丸くした煌姫は、助けを求めるように春香を振り仰いだ。
「姫さま。それでは花の束を親王さまにお持ちいただき、姫さまは一輪だけお手にされてはいかがですか?ご正室さまに直接お渡しする花だけ、お持ちになるのですわ」
許可を取るようにちらりと己を見てくる春香に頷き、朱夏は煌姫の前にしゃがみ込んだ。
「そうだな。落とさぬように、だが力を入れぬように持っていなくてはならない。煌、できるか?」
「はいっ!」
瞳を輝かせて頷いた煌姫に微笑み、朱夏は竜胆の花束を受け取った。両手の指先で、煌姫がそっと一輪残された花を握る。
「では、行こうか」
奥宮は、本宮を通り抜けた先の黒門をくぐって行かなくてはならない。まだ朝の早い時間であるため、煌姫の歩幅に合わせても昼前には到着できるだろう。
煌姫が両手で花を持っているため、手を繋ぐことは諦めて朱夏は妻と並んで歩き始めた。
供として、烏と春香がついて来る。その後ろを、煌姫のための護衛が十名続いた。婚儀の後に、帝直々に任命された煌姫のための護衛である。
夏の宮に暮らすようになって二年。煌姫が宮から外へ出たのは、春日の葬儀と昨日の成婚の儀の二度だけであった。どちらも儀式のため、緊張して辺りを見回す余裕のない時だ。
初めての外出に、煌姫は瞳を輝かせて跳ねるように歩いている。
「煌、あまり飛び跳ねていると転ぶぞ」
笑いを堪えて注意してやると、煌姫は恥ずかしげに頬を染めた。
「わ、わたくしっ。とびはねてなどいませんわ」
つんと顔を反らし、姫君らしいゆったりとした歩みに切り替えた煌姫の愛らしさに、周囲を警戒する護衛たちの厳つい顔も緩む。
「これより本宮に入る。皆、煌をしっかり護るように」
護衛たちに声を掛け、朱夏は煌姫と並んで本宮へと足を踏み入れた。




