伍拾玖
夏の宮には、来客を休ませるための客間がいくつかある。
その内の一部屋、宮の主人の私室から最も遠く離れた客間に、冬廉親王が通された。侍女たちが、洗練された手つきで茶を淹れ、美しく彩られた菓子とともに冬廉の前に並べていく。
菓子に目を輝かせた冬廉が、手づかみで菓子を取って口に運んだ。扉側に控えた烏は、そんな二の親王の様子を注意深く観察する。
夏勢帝から受け継いだ濃紺の髪を編んで背に垂らし、蓮黄譲りの榛色の瞳をあちこち興味深げに彷徨わせている。煌姫と同じく今年六歳を迎えるはずだが、どうにも幼い印象であった。
湯浴みを済ませた朱夏がやって来た。宮の主人が来たというのに、席も立たずにぼんやりと見つめる冬廉に朱夏の眉が寄る。
「冬廉、突然の訪い、どういうことかな」
無作法ではあっても、血の繋がった弟だ。手酷く追い返すなどという真似はできなかった。
声を掛けられてはっとしたのか、冬廉がぴょんと椅子から飛び降りた。
「あにうえ!てるにあいにきました!」
「……」
弟の言葉に答えず、朱夏はすぐ側まで歩み寄った。長居を許すつもりはなかったから、腰を下ろさずに幼い弟を見下ろす。
「煌は今宵、客を迎えている余裕などない。先触れも出さずに訪れたことは咎めぬから、冬の宮に戻るとよい」
「あにうえは、てるをひとりじめになさるのですか!」
「まず、大声を出すな。それほど声を張らずとも、ちゃんと聞こえる」
「……」
朱夏の言葉に、冬廉は不満そうに頬を膨らませた。行動の一つ一つが、非常に幼い。五つの頃から、朱夏も学んだ師について親王としての教育は始まっているはずなのに。
顔を顰めるのを堪え、朱夏は辛抱強く続けた。
「独り占めと其方は言うが。煌は私の伴侶であって、其方はただの従弟だ。私との時間を優先されるのは当然のこと」
「ですがっ……ちちうえは、ははうえとのじかんを、すごされませんっ」
大声を出さないように注意されたのを思い出したのか、叫びかけた冬廉が僅かに声を潜めた。
「そうだな。だが、それと其方が私と煌の時間を邪魔するのとは、別の話だ。父上は父上、私は私だ」
「よく、わかりません……」
「煌に会いたくば、きちんと手順を踏んで先触れを出し、私の許可を得るのが道理という話だ」
「……」
立ったまま己を見下ろす朱夏を、冬廉はじっと見上げた。幼い頭の内で、母の言葉と兄に言われた言葉がぐるぐると回っているようだ。
「ははうえは、わたしにうそをおしえたのですか」
「嘘、とは?」
「てるをめとるのは、わたしだと。ですが、あにうえのつまとなったのでしょう?」
小さく息を吐いて、朱夏は弟に目線を合わせるためにその場でしゃがんだ。じっと、榛色の瞳を覗き込む。
「其方が母上から何をどう聞いたのかは知らぬが。すでに私と婚姻した煌に、其方が手を出そうとするのは、姦淫という罪になる」
「つみ……」
「罰を受ける」
淡々とした朱夏の説明に、冬廉は小さな肩を跳ねさせた。
「ばつ……おかしをたべては、いけないとかですか」
さすがに吹き出しそうになった朱夏は、唇を引き結んだ。笑い事ではないのだ。
「もっときつい罰を受けることになるだろうな。もしかしたら、其方の大好きな母上に、二度と会えなくなるかもしれぬ」
「そんなっ」
ばっと顔を上げた冬廉に、朱夏は諭すように声を掛けた。
「そんなことにならぬように、師についてしっかり学び、正しいことを成さねばならない」
「てならいは、すきではありません。ははうえも、いやならば、しなくてよいと」
「そうか。それならば、其方は何も知らぬまま、何もできぬままで大人になるか?」
これまで、そんなことを言われたことは誰からもなかったのだろう。目を丸くして、朱夏の言葉を必死に飲み込もうとしている。
甘やかされ、願いはすべて叶うと教わりながら、奥宮の蓮黄の側で育てられてしまった冬廉。だが、まだたったの六つ。道を修正するのは、間に合うだろう。
「今宵ここに来たことは、秘密にしておいてやろう。連れて来た護衛たちと、冬の宮に戻れ」
「……またきても、よろしいですか」
「勿論だ。だが、先も言ったように、きちんと先触れを出し、私に訪問の許可を取ること」
立ち上がり、朱夏は客間の扉へ弟を促した。手は差し出さない。何の危害も加えなかったことを、護衛の武官たちに見せつけておかなければならなかった。
とぼとぼとした足取りで、扉を目指す冬廉が、それでも諦めきれないというように朱夏を見上げた。
「わたしは、きちんとまなび、よきおのこになります」
「そうか」
「そうして、よきはんりょをむかえます」
冬廉の言う良き伴侶が、煌姫のことを指していなければいいと願いながら、朱夏は頷いた。
「其方の成長を、兄として楽しみにしている」
綺麗事だと、朱夏は己の言葉を皮肉げに笑った。




