伍拾漆
蓮黄が去った宴席に、夏勢帝が迦陵を引き連れて戻ってきた。朱夏は居住まいを正す。
紫紺の装束を纏った帝に合わせるように、迦陵は涼やかな薄青の衣を身に着けていた。白い裳が、彼女の動きに合わせて軽やかに揺れるのを、遠い気持ちで朱夏は眺める。
「大方、挨拶は終えたか」
「はい。そろそろ、一度煌を休ませようかと思っておりましたが」
「第二室が、何か仕出かしたようだな」
離れた席にいても、この場での騒ぎは耳に入っていたらしい。
「そうですね。仙螺の酒を献上すると言われました」
「ふん。あの家は、あの酒で成り上がったようなものだからな」
鼻を鳴らし、夏勢帝は隣で静かに控える迦陵の腰を抱き寄せた。
「っ。今上さま、このような席で……」
濃紺の扇を開き、顔を隠した迦陵の頬が染まったのが、朱夏の位置からでも見てとれた。
「祝いの無礼講だ。夫婦仲が良いとはどういうことか、煌にも見せてやらねば」
「……っ」
目を伏せた迦陵は、声が震えないように気をつけながら祝いの言葉を述べた。
「日嗣宮さま、煌姫さま。ご成婚おめでとう存じます」
「……ありがとう」
「ありがとう存じます」
迦陵の腰を撫でる父帝の手つきから視線を逸らし、朱夏は隣に座る煌姫を見つめた。
「あに……朱夏さま。何か食べても、よろしいですか?」
まだ時折「従兄さま」と呼びかけそうになる煌姫に微笑み、朱夏は頷いた。
「そうだな。重臣たちの挨拶も一通り終わった。この後は、皆私たちの方など見もせずに酒を飲み明かすだろう。少し腹に入れるとよい」
「わたくし、このことほぎのおもちが食べたかったのです」
小さな指で示したのは、祝いの席でよく食べられる寿餅だった。焼いた餡を中に包んだ餅が、色とりどりに装飾されて並んでいる。
「ああ。祝いの場でしか食べられないからな。どれ、私が皿に取ってやろう」
「ありがとう存じます」
瞳を輝かせた煌姫を、夏勢帝も微笑ましげに眺めている。顔を隠した迦陵の表情は見えない。
小さな皿に取り分けられた寿餅を丁寧に口に運ぶ煌姫を見つめながら、朱夏が口を開いた。
「父上。煌が食べ終わったなら、私たちは夏の宮へ下がってもよろしいでしょうか」
「そうだな。儀式も終わり、宴席での挨拶も済ませた。そろそろ戻っても構うまい」
「それと……」
隣の煌姫に聞こえないように、朱夏は声を潜めた。夏勢帝も、息子に顔を近づける。
「何だ」
「第二室どのが、酒と美女を送る、などと申しておりました」
「……」
帝の目つきが険しくなった。周囲に視線を走らせ、第二室派閥の者に聞こえていないか確かめる。
「今宵は、煌との初夜ということになるのですが。狙いが今一つ、掴みきれず」
眉を下げた朱夏に、夏勢帝は難しい顔を作った。
「初夜の夜に、媚薬で浮かされて他の女に手をつけるなど、其方の評判を落とす。日嗣宮に失態を犯させたいのだろう」
「そんな幼稚な真似を、第二室どのがなさいますか」
密やかな会話は、辺りに聞かれないように注意深く続く。
「これまでにも、色々と暗躍していたようだが。それほど上手く運ばず、其方らの婚儀は行われた。焦っているのだろう」
「知っていて、放っておかれたのですか?」
「朕とこの国に害をなさない程度ならば、奥宮での不自由な暮らしの鬱憤晴らしと、許容してはいた」
だが、近ごろの第二室派閥には、目に余る横暴も見られる。帝の正室に、証拠がないとはいえ、毒を盛ったのだ。そして、成人の儀で日嗣宮に媚薬を盛った。
さらに、無礼講の宴の席で、まだ幼い親王とはいえ日嗣宮の正室を奪うような発言までさせた。
「帝の権威が、落ちるような振る舞いでは?」
「第二室の動き程度で、朕の権威が落ちると申すか?」
父帝に睨まれようとも、朱夏は怯まなかった。これから先、煌姫を誰よりも大切にし、守ると誓ったのだ。
その煌姫が、そっと朱夏の袖を引いた。はっと我に返る。
「煌?」
「……朱夏さま。おなかがいっぱいになりました。なつの宮へ戻りましょう」
見れば、すでに寿餅の皿は空になり、居心地悪そうに煌姫が朱夏を見上げていた。
「済まぬ。めでたき祝いの席で、暗い話を聞かせたな」
謝る朱夏に首を振って答え、煌姫が小さな手を差し出した。
「わたくし、朱夏さまのせいしつとなったのですもの。これからは、わたくしがおそばにおりますわ」
煌姫の言葉に一瞬目を瞠り、朱夏は微笑んだ。蓮黄に向けていた冷ややかな作り笑いとは違う、心からの微笑だった。
その優しい表情に、迦陵の肩が跳ねた。腰を抱く夏勢帝にもその動きは感じられただろう。ぐっ、と強く手に力が込められた。
立ち上がった朱夏は、煌姫の手を取って父帝に頭を下げた。
「それでは父上、第六室どの。お先に失礼致します」
「ああ。宮に戻ってゆるりと休め」
「……ご機嫌よう、日嗣宮さま。煌姫さま」
挨拶を交わし、朱夏は煌姫と並んで大内殿を後にした。




