伍拾陸
盛大な宴が行われる大内殿にて、日嗣宮朱夏と帝姪煌姫の成婚を祝う宴が行われている。
昼餉前の刻限から始まった宴では、上座に朱夏と煌姫が並んで座り、重臣から次々に酒を持って挨拶にやって来る。
目の前に並んだ食事を口に入れる暇もなく、煌姫の表情には微かに疲れが滲み始めた。
「煌、少し席を外してもよいぞ。春香に何か食べさせてもらうとよい」
「……はい」
侍女たちが控える場所へ視線を向けた朱夏は、春香に目配せを送った。小さく頷いてこちらへ歩きかけた春香の足が止まる。
朱夏と煌姫の座る席の前へ、第二室蓮黄が冬廉を伴ってやって来たからだ。
濃紺の衣を纏い、薄青の裳裾を引きずりながら緋扇で顔を隠している蓮黄が、朱夏の前で丁寧に頭を下げた。無礼講の宴の席とはいえ、花婿である朱夏と近い色合いの衣装を選んだ蓮黄に、僅かに嫌悪感が湧く。
「日嗣宮さま、この度はご成婚、おめでとう存じます」
「おめでとうぞんじます!」
「ありがとう」
短く答えた朱夏は、蓮黄と冬廉が次に何を言い出すか注意深く待った。周囲の空気が緊張に包まれる。
「先日は、わたくしどもの家から献上したお酒が、お口に合われたようで何よりですわ」
緋扇の向こうで目を細め、蓮黄が歌うような口調で囁いた。
ぎり、と朱夏は奥歯を噛む。動揺を見せるわけにはいかない。帝の後継者として相応しく、鷹揚な笑みを顔に貼りつけた。
「大層な物をいただいた。仙螺の美酒とは、素晴らしいものであった」
「まぁ。日嗣宮さまのお体の、お慰めになったのならよろしゅうございました」
くすくすと嫌な笑いを漏らし、蓮黄が隣に立つ冬廉に目を向けた。
「さあ、冬廉。煌姫さまにも、きちんとご挨拶なさいな」
「はい、ははうえ!」
大内殿に響き渡る大声で、冬廉が答えた。じっと、朱夏の隣に座る煌姫に目を向ける。
「このたびは、ごこんぎおめでとうぞんじます、てる!」
公の場で、煌姫の名を呼び捨てた冬廉の言葉に、どよめきが起こった。朱夏を包む空気が冷える。
それを察したのか、煌姫が困ったように眉を下げて冬廉を見つめ返した。冬廉の頬がみるみる朱に染まる。
「とうれんさま、ありがとう存じます。でも、わたくしのことは、『従姉どの』か、ごせいしつとお呼びくださいな」
「なぜですか!ははうえがいつも、おおせです。てるは、わたしがめとるのだと!」
成人の儀の宴の際にも朱夏に訂正されたはずなのだが、冬廉にその言葉が届いた様子はない。
溜息を堪え、朱夏は再び諭そうと口を開く。
「冬廉。前にも言ったはずだな。煌は私が娶ったのだ。其方は、其方だけの室を探さねば」
「いいえ!わたしは、てるをつまとするのです!」
朱夏の頭が痛みだした。普段ともに過ごしている煌姫と同い年とは思えない幼さと、話の通じなさにどうしたものかと思い惑う。
ぱちり、と緋扇を閉じた蓮黄が、目元を和らげて息子を見やる。
「まぁ、冬廉。愛する女を己がものに、という気概は立派ですよ。ですが、まずは煌姫さまにその気持ちを伝えなくてはなりません」
「……第二室どの」
「ふふふ。日嗣宮さまには、そのご寵愛を受けたいという者が大勢おりましょう。幼い弟の、可愛い恋心を見守ってやる優しさはないのですか」
蛇のようだと、朱夏は思った。顔に笑顔を浮かべてはいるが、目の奥が笑っていない蓮黄の視線が、全身にねっとりと絡みつくようだった。一体、何が狙いなのか。
「このような宴の場では、煌姫さまもご退屈でしょう。帝一族の幼い者同士、冬廉と庭など散策させてはいかが?」
「私は、私の側から妻を離すつもりはない」
「まぁ。今からそんなに縛りつけて。お心が狭い男は嫌われましてよ」
気の抜けない会話の終わりが見つからず、朱夏は蓮黄の背後に視線を向けた。父親である仙螺の大臣は、どこで何をしているのか。
「そうですわ。せっかくのご婚儀の席ですもの。お気に入られたようですし、我が家からの果実酒を献上致しますわ。父上さまが、今頃用意させている頃ですわ」
「……っ」
再び緋扇で口元を隠し、蓮黄が朱夏に顔を近づけて囁いた。
「まさか、幼い煌姫さまを襲うなどという、無様な真似はなさいませんわね?わたくしどもが、最高の女をお酒とともにお送り致しましょうか」
「っ!」
朱夏の頬がかっと熱くなった。仙螺の媚薬で、熱に浮かされた記憶が蘇る。
体中が熱を持ったようだったあの夜。誰かに触れたくてたまらない気持ちを、煎じた薬草で何とか抑えたのだ。あの酒を盛られれば、煌姫に無体を働く可能性は否定できなかった。
蓮黄を睨み返した。
「まぁ、怖いお顔」
わざとらしく目を丸くさせて、蓮黄の顔が離れていく。
「それでは、わたくしどもはこれで失礼致しますわ。我が家からの祝い酒と美女を、楽しみにしていらして」
「……女は不要だ、第二室どの」
「そう仰せにならず、受け取ってくださいな」
耳障りな笑い声を響かせながら、蓮黄は冬廉の手を引きその場を去った。
物言いたげな視線で、冬廉が煌姫を振り返りながら歩いていく。それを、不審そうに首を傾げながら煌姫が見つめていた。




