伍拾肆
夏の宮の私室にて。
明日のための衣装が本宮から届けられた。人型に掛けられた装束を、朱夏は一人で眺めていた。
紫紺の衣と濃紺の袴。腰を止める帯紐は薄青で、すべてが日嗣宮としての朱夏の色調だった。儀礼用の衣装は、最高級の絹地で仕立てられている。
そっと、袖に触れてみた。これを身に着ければ、煌姫と正式な夫婦となる。本来ならば、成人と同時にそうなるはずだった。一年遅れの成婚の儀は、朱夏の気持ちを新たにさせる。
「……煌、私は其方を愛し、守ることを己に誓おう」
まだ幼い従妹。両親とも亡くし、朱夏の愛だけを支えにこれからを生きる姫君を、不安にさせることは決してすまい。
扉が叩かれ、烏が声を掛けてきた。
「親王さま、失礼致します。煌姫さまが、お衣装合わせを終えられたそうです」
静かに室内に入ってきた烏が、装束に触れる朱夏に気づいて足を止めた。
「どうなさいました?」
「ああ、いや。明日には煌の夫となるのだと思うと、身の引き締まる思いがしてな」
「感傷的になっておいでですか?」
からかう口調ではなかった。朱夏の心の奥底まで見抜こうとしているような、烏の漆黒の瞳から逃れるように朱夏は息を吐いた。
「そうかもしれぬな。さて、煌のご機嫌伺いに行くか」
もう一度衣装を眺めて、朱夏はそっと手を離した。
「従兄さまっ」
煌姫の私室へと向かうと、頬を紅潮させた煌姫に出迎えられた。抱きついてきた従妹を難なく受け止め、微笑んで声を掛ける。
「従妹どの、ご機嫌はよろしいようだな」
「従兄さま、明日のおいしょうを、はるかと見ていました」
そう告げられ、部屋の中央に置かれた人型に目を向けた。春香が、煌姫の花嫁衣装に薄布を掛けて覆っているところだった。ちらりと振り返った春香が、小さく頷く。
「明日の婚儀で、其方の着飾った姿を見せてもらえるのを楽しみにしているよ」
煌姫に手を引かれ、朱夏は長椅子まで歩いて腰を下ろした。隣に、煌姫が座る。
「緊張は……していなさそうだな」
「きんちょう?」
首を傾げた従妹の頭を優しく撫でた。
「あのね、従兄さま」
「どうした?」
「明日からは、従兄さまといっしょに、一つのしんだいで眠るのですって」
「っ!」
無邪気に話す従妹から目を逸らし、朱夏は室内に視線を走らせた。
壁際に控える侍女の中、一人が朱夏から目を逸らした。
「……莉羅」
名を呼ばれ、びくりと肩を震わせた莉羅は恐る恐る朱夏に視線を戻す。
朱夏が手招くと、躊躇いがちに側まで寄ってきた。
「従妹どのに、余計な話を聞かせたのか?」
「いえ、あの……」
「従兄さま、りらの言ったことは、うそなの?」
不安げな声に朱夏は我に返った。慌てて、笑顔を作る。
「嘘というわけではない。だが、其方にはまだ早いだろう」
「早い……」
「其方がもっと大人になったなら。そうしたら、莉羅の言うように私とともに眠ろう」
朱夏の宥める言葉に、煌姫は珍しく首を縦に振らなかった。常ならば、従兄の言葉に素直に従うというのに。
唇を噛んで俯き、何かに耐えるようにじっと膝の上で手を握りしめている。その手に、朱夏はそっと手を重ねた。
「従妹どの?どうした?」
「……わたくしが、おとなではないから。だから……従兄さまは、ほかの方と眠るの……?」
「!!」
震え始めた従妹のまだ小さな体を、そっと抱き上げ己の膝の上に乗せた。頬に触れ、朱夏の方を向かせる。
「あにさま……」
「私は、其方を悲しませたのだな。済まぬ。其方が望むのなら、明日の夜からはともに眠ろう」
「……」
何故、幼い煌姫が朱夏の夜の秘事を耳にしたのかはわからない。だが、世に認められた夫婦となるのだ。悲しませるのは朱夏の本意ではなかった。
「私は、其方のものだ、煌」
「……従兄さま?」
背後で春香が息を呑む気配を感じたが、朱夏は振り返らなかった。
「明日の婚儀で誓うはずであったが。今ここで、其方に誓おう。私は、其方を愛し、其方を守る。急いで大人になる必要などない」
よく手入れされた薄茶の髪を撫で、朱夏は従妹の瞳を覗き込んだ。
「不安に思うことがあるのなら、私に言っておくれ。私のすることで、嫌だと思ったことはきちんと話してほしいのだ」
「……わたくししか、おそばにおかないで」
「ああ」
薄桃色の瞳を揺らして、煌姫が囁く。
「こんなにわがままでは、従兄さまにきらわれてしまうわ……」
「私が其方を嫌うことなどない」
消え入りそうな声など、この従妹には似合わない。いつでも、太陽の下で明るく笑っていてくれなくては。
小さな背中をあやすように叩きながら、朱夏は強くそう、思った。




