参
「おん、な……?」
驚きに目を見開く朱夏に、蹲る琉兎は何も答えなかった。ただ、黙って震えるばかりの様子に朱夏は戸惑う。
がしがしと頭を掻き、助けを求めるように烏に視線を投げた。
「親王さま、お行儀の悪い」
「誰もおらぬ。それより、琉兎が女子とは真か?」
「吾にも確とはわかりませんが。この怯えようは、ただ物乞いとして生きていたからと言うよりは、その……搾取されたことがあるのやもしれません」
「搾取……?」
烏の懸念を口の中で繰り返し、朱夏は琉兎の震える体を見下ろした。
見たところ、体に傷などはないように見える。だが、心の傷というものは、見た目ではわからない。
溜息を飲み込み、朱夏は琉兎の側に膝をついた。
「琉兎、私を見ろ」
こんなに幼い子どもが、大人にいいように搾取されているなど、栄えある四季の国で許されることではない。ぎり、と奥歯を噛みしめ朱夏は優しい声を出す。
「ここには、其方を傷つける者はいない。顔を上げよ」
琉兎の体に触れないように、ゆっくり声を掛け続けた。
どれだけの時が経ったのか、ようやく琉兎が身動ぎした。のろのろと、朱夏に顔を向ける。
震えは治まったようだが、こちらが見えているのかはっきりとはわかりかねた。
「怖がらせたな。すまぬ」
琉兎が落ち着くのを待つ間に、朱夏は部屋に衝立と水桶を運ばせていた。それと、下働きの女が着るような単も持って来させた。
「私は其方に触れぬから、着替えを一人でできるか?」
運ばせた衝立を指差し、琉兎に尋ねる。
「水桶と清潔な布もある。体を拭き、着替えるがよい」
どれだけ年端のいかぬ子どもであろうと、女子は女子だ。朱夏がこれ以上、その肌に触れるわけにはいかなかった。
しばらく衝立を眺めた後で、琉兎がゆっくりと立ち上がった。手渡された単を抱え、緩慢な足取りで衝立の陰に姿を消した。
深く息を吐いて、朱夏は長椅子に座り直した。まだ、胸の内は動揺している。
烏がそっと近づいてきた。
「それで、親王さま。あの琉兎という子ども、これからどうなさるおつもりですか」
主である朱夏の意向に逆らわずここまで従ってきたが、本当なら下賤な者を近づけたくはなかった。
そんな烏の内心を知ってか知らずか、朱夏が苦笑を浮かべた。
「うん。男子だと思っていたからな。私の役に立つか見極めようと思っていたんだが」
困ったような口調に、烏の眉が上がる。
「親王さまのお役に?」
「年の頃はわからないが、私とそれほど離れているようには見えなかった。だが随分と小柄だったから、間諜として使えるかと」
「……」
ただの優しさや甘さであの子どもを連れ帰ったのではないとわかり、烏は密かに安堵の息を吐いた。朱夏が帝の嫡子とはいえ、その地位を狙う派閥の人間は大勢いるのだ。甘いだけでは、つけ入られる。
「だが、どうするか」
ぽつりと零された朱夏の呟きに、烏も頭を悩ませた。都の裏路地で、物乞いとして生きていた少女。このまま、夏の宮に置いておくわけにはいかない。
「食事だけ与えて、元の場所へ帰されては?」
「うん……」
朱夏が何を思い悩んでいるのかわからず、烏は首を傾げた。
「親王さま?」
「ひとまず、食べさせてからだな。このままあの場所に帰して、琉兎はこれからどうなると思う?」
「……元の暮らしに戻るだけではありませんか」
烏の返事に朱夏は小さく頷いた。
そう、これまで通り物乞いとして生きていくことになるだろう。この夏の宮で豪勢な食事を振る舞われ、身綺麗にして過ごすことを覚えさせた後で。それは、酷く残酷なことのように朱夏には感じられた。
「それに、烏も言っていただろう?搾取されているのではないか、と」
「親王さまのお耳に入れるようなことではありませんでした。申し訳ございません」
「構わない。私は、耳触りのよいことだけを聞いていたいわけではないからな」
主の言葉に、烏の眉が下がった。まだ十歳にしかならないこの主君が、その生まれと立場ゆえに早熟であることを時折、とても悲しく思う。
かたん、と小さな音が響いた。
はっとして朱夏が視線を向けると、白い麻の単を身に着けた琉兎が衝立の陰からこちらを探るように見ていた。その姿に朱夏は息を呑む。
手巾で汚れを落とした肌は抜けるように白く、小さな顔の中で大きな薄桃色の瞳がくるりと動いていた。
薄茶色の髪は枝毛だらけで絡まっていたが、濡れた手巾で撫でつけたのか前髪を上げて顔を晒している。湯を使って丁寧に洗えば、きっと艶めいた髪になることだろう。
そして何よりも、物乞いとはとても思えない凛とした立ち姿だった。
「……驚いたな」
思わず感嘆の声を上げた朱夏に、烏も驚きに目を見開いたまま頷く。
「まるで、我が従妹姫のようではないか」
誕生したばかりの従妹と同じ色彩を持つ、不思議な少女だった。




