参拾捌
一夜明けた本宮は、文官たちが葬儀の後始末に奔走していた。
夏勢帝と春日親王は、帝一族に生まれた者としては仲のよい兄弟だった。母を同じくし、年も近いことから周囲は継承権について様々に議論していたが、穏やかな性質の弟親王が兄を立て順当に帝の位に就けさせた。
執務室までの廊下を烏を供に歩き、朱夏は唇を引き結んだ。夏の宮を出る際に、見送りに現れた煌姫の不安げな表情が気にかかった。手早く父との話を済ませたい。
執務室の扉にも、喪の黒布が垂らされていた。その脇を守る、護衛の武官が二人。
烏が一歩前に出る。
「朱夏親王さま、今上帝さまのお召しに応じ、お越しでございます」
頷いた武官が室内に声を掛け、扉を開く。
ふわり、と伽羅の香りが漂ってきた。これまで父帝が好んで薫いていたものとは、違う香りに朱夏は首を傾げる。誰の趣味であろうか。
「失礼致します、父上」
一言掛けて、朱夏は執務室に足を踏み入れた。
執務机から立ち上がり、夏勢帝は朱夏を応接用に置かれた椅子に座らせた。
茶器を卓に置いた小姓を下がらせ、夏勢が口を開いた。
「煌の様子はどうだ?」
「昨夜は夢見が悪かったようで、今朝は少し顔色がよくありませんでした。ですが、気丈に振る舞っております」
「そうか」
茶を含み、夏勢は小さく頷く。
「ですから、早く戻ってやりたいと思います」
言外に、さっさと用件を言えと伝える。一瞬目を瞠った帝が、苦く笑った。
「では、其方の母美紘が何故、春日の葬儀に参列しなかったか話そう」
「はい」
朱夏は居住まいを正した。帝の正室が、帝の弟君の葬儀に参列しない。それは、尋常ならざることだった。
「先月の末のことだ。美紘は、何者かに毒を盛られた」
「っ!」
がたん、と音を立てて、朱夏は立ち上がった。じっと見上げてくる夏勢の瞳に我に返り、座り直す。
「毒自体は、それほど強いものではなかった。だが、夏の暑さも加わって、しばらく床を離れられなかった」
「何故、私に何も……」
「知らせたなら、訪ったか?」
鋭い視線で睨まれ、朱夏は口を噤んだ。
実母として尊敬している。だが、親子の情愛があるかと問われると、朱夏には答えられなかった。
夏勢帝の治世を万全なものとするために、大臣を多く輩出する名家から入内した美紘。正室の義務として朱夏を生んだ後は、役目を終えたと言わんばかりに離宮で自由に過ごしていると聞く。父の室たちが暮らす奥宮には、近寄りもしないという。
朱夏も、母に会ったのは式典などの公の場がほとんどだった。
「それでも、お知らせいただければ、見舞いにくらい行きましたものを」
「病ではないからな。其方が訪ねても構わぬが。だが、見た目に障りが出てな」
「えっ?」
眉間に皺を寄せた父の顔を見つめ返す。
「美紘は、己の容姿に昔から自信があったからな。毒で崩れた姿など、誰にも見せたくはないのだろう。朕の訪いも断ってきよった」
「母上が、そのような……」
「式典など以ての外だ。ちょうど第六室を迎えたのだから、伴えばよいと文が届いた」
迦陵の参列を、正室である母が認めていたとは思わなかった。そんな状態で、顔合わせは終えたのだろうか。
「それで、第六室どのを……」
「思ったよりも早く其方に会わせることになってしまって、朕も動揺したのだが」
「……」
茶器を卓に戻し、夏勢は息子を正面から見据えた。
「美紘に毒を盛ったのは、恐らく第二室の派閥であろう」
「っ!」
朱夏の弟、冬廉の生母の派閥だ。
「……処罰、は」
「恐らく、と申した。証がない」
「何故、第二室どのの派閥が……」
朱夏の呟きに、夏勢は重たい息を吐いた。
「其方、冬廉には最近会ったか?」
「え?いえ……しばらく会う機会はありませんが」
冬廉親王は、第二室が側を離さず、宮も与えられずに奥宮で育てられていると聞く。産後すぐに精神を病んだ時期がある第二室に、夏勢帝も強くは出られず奥宮で過ごさせたままにしているそうだ。
「どうも、奥宮で育てながら、余計な話を耳に入れているようでな」
「余計な話、ですか」
「煌を娶るのは其方だ、と言い聞かせているらしい」
「は!?」
再び腰を浮かしかけた朱夏を、夏勢が手で制す。
座り直した朱夏に、父帝は済まなそうな顔を見せた。
「奥宮のことなど放っておいた朕にも、責はある。よもや、冬廉にそのような話を聞かせているとは思わなんだ」
「それで、冬廉自身はどうなのです?その世迷言を信じて育っているのですか」
朱夏の詰問に、夏勢は考えるように顎に手を当てた。
「同い年の、愛らしい従妹。生誕を祝う宴や式典で、幾度か顔を合わせたこともあろう。その度に、『あれが其方の伴侶だ』などと聞かされてきたのなら、そういう想いを抱いていても不思議はない」
朱夏は深く溜息を吐いた。それほど会った回数は多くないが、母の違う弟のことを嫌ってはいなかった。だが、煌姫に邪な気持ちを抱いているのなら、その想いを潰してやらねばならない。
「冬廉と、会う機会を作ることをお許し願えますか」
「あまり、いじめてやるなよ。あれでも、其方にとってはたった一人の弟だ」
「……善処します」
絞り出すように告げて、朱夏は立ち上がった。




