参拾陸
春生まれの春日を示す宝玉は、翡翠であった。帝一族の紋章を刻まれた翡翠の玉が、夏勢の手によって石室に収められた。
「これにて、ご葬儀を終了致します。これより七日の間、民も喪に服し一年の後に喪が明けます。春日親王さまの、天の国での安寧をお祈り申し上げます」
深く拝礼し、神官長が霊廟を出ていった。その背を見送り、朱夏は息を吐いて従妹に視線を戻した。春日の玉を収めた石室の扉を、じっと見つめている。
「従妹どの。夏とはいえここは冷える。宮へ戻ろう」
「……はい」
「叔父上には、また会いに来ればよい。其方が来たいのならば、いつでも連れて来よう」
そう言って抱き上げると、煌姫が慣れた手つきで朱夏の首に腕を回した。
「疲れたろう。夏の宮に戻り、少し休むとよい」
軽く小さな背を叩き、朱夏は父帝に向き直った。
「父上、第六室どの。御前失礼致します」
「ああ」
頷く夏勢の隣で、腰を抱かれたままの迦陵が黙って頭を下げた。父に寄り添う彼女の視線から逃げるように、朱夏は足早に霊廟を出た。
後ろから、父の声が追いかけてくる。
「明日にでも、我が執務室へ来い。其方の母が何故参列を断ったか聞かせよう」
「っ!」
足を止めずに、朱夏は山道を本宮へと歩き始めた。
誰も彼も喪の色を纏った本宮を通り抜け、夏の宮へと足を踏み入れた朱夏はようやく安堵の息を吐いた。体中に、迦陵の視線が纏わりついているような気がする。
迎えに出てきた秋穂に従妹を委ね、汗を流すために湯殿へと向かう。後ろを、静かに春香がついて来た。
装束を脱ぐのを手伝おうと差し出された春香の手を断り、髪を纏めていた紐を解く。ぱらりと背を覆う濃紺の髪に、春香の手が触れた。
「春香。私は、湯浴みくらい一人でできるぞ」
「わかっております。ですが、本日はお疲れでございましょう?髪をお洗い致しますわ」
「……」
言い返す気力もなく、湯浴み用の薄衣を身に着けた朱夏は湯殿へと踏み入った。
湯気で覆われる視界に安堵し、ゆったりと檜の湯船に身を沈める。頭を後ろへ傾けると、裳の裾をまくり上げた春香が柔らかな手つきで朱夏の髪に湯をかけ始めた。
「お熱くはございませんか?」
「ああ。ちょうどよい」
「洗い粉の香りは、どれになさいます?」
春香の手元には、三色の洗い粉を入れた皿が置かれていた。
「どれでも構わぬ。其方の好きな香りに……ああ、いや。煌の好きな香りにしようか」
「では、桜の香りに致しましょう。お髪に艶も出ますわ」
「任せる」
春香の優しい動きに、朱夏は目を閉じた。浮かんでくるのは、父帝に腰を抱き寄せられ、それでも薄桃の瞳をこちらに向けていた迦陵の姿だ。
何故、朱夏を見つめていたのか。父の第六室となったのならば、父だけを見ていればいいものを。
葬儀への参列を断った母も気になる。明日になれば、父から話を聞けるのだろうか。
いつの間にか少し微睡んでいたらしい。はっと、朱夏は目を開けた。
上から、春香が新緑の瞳で覗き込んでいた。
「……春香?」
「お疲れなのですね。もう、お部屋で休まれますか?じきに日も沈みます」
「そう、だな……」
すでに髪は洗い終わり、春香の手は朱夏の髪に櫛を通しているところだった。
檜の香りと洗い粉の桜が漂う湯殿の内に、静寂が流れる。一つ息を吐いて、朱夏は立ち上がった。
「親王さま?」
「部屋に戻る。煌はどうしている?」
「姫さまも汗を流され、お召し替えの後お休みになられていますわ」
湯船を出て脱衣室に戻る朱夏の後を、春香がついて来る。
「煌には秋穂がついているな?」
「はい。それと、莉羅さまも……」
大判の手巾で体を拭い、動きやすい部屋着に袖を通した朱夏は湯殿を出る。
「煌の顔を見に行く。それから部屋に戻る」
「かしこまりました。……あの、親王さま」
「どうした?」
湯殿を出ると、控えていた烏が後をついて来た。春香と並んで歩くかたちになる。
ちらりと視線を向けると、春香は目を伏せて頬を染めていた。
「春香?」
「今宵は、その……わたくしをお召しになりますか?」
囁くような声に朱夏は足を止めそうになった。頭を振って足を早める。
「不要だ。今宵は、煌の側で休む」
「……かしこまりました」
父を亡くし、悲しみの中にいる従妹につき添ってやりたかった。己の胸の内に湧く黒い劣情など、蓋をしてしまえばよい。




