参拾肆
葬儀のための香が薫かれる広間に、静かな時が流れる。
死者を悼む白檀の香りが、煌姫の悲しみを少しでも癒すといいと朱夏は思った。
黒檀の棺の前で、小さな手で精一杯装束を整え、煌姫は顔を上げて踏み出した。棺の中、瞳を閉じた青白い顔の春日は微笑んでいるように見える。
春日が愛でたのは冬の花々だったため、この季節には用意できなかった。その代わりに、棺には愛用の文具や絹が収められていた。胸の上で組まれた指に、柊と揃いだった装身具が嵌められている。
「父上さま、おねむりになっているみたい」
小さな呟きを朱夏の耳が拾った。そっと、従妹の肩に手を添える。
「さあ、煌。手巾を棺へ」
「はい」
春日の顔の近くまで歩み寄り、煌姫が震える手で手巾を顔の横に置いた。
「父上さま、わたくしがししゅうしたの。天のくにで、母上さまにお見せしてね」
涙の滲む声で必死に告げる煌姫の背を、朱夏はそっと撫でた。棺に目を向ける。
「叔父上。煌との婚儀が間に合わず、お見せできずに申し訳ありません。ですが、煌は私の正室として、愛し守り抜きます」
「従兄さま、もう、父上さまにはおあいできないの?」
「そうだな。今日が別れの日となる。だが、父上さまは、母上さまとともに天の国から其方を見守ってくださるだろう」
唇を噛みしめた煌姫を促して祭壇から下りた朱夏は、入ってきた女性に目を留めた。
薄茶色の髪を結い上げ、装飾品は何もつけていなかった。扇で隠した顔から、薄桃色の瞳だけがこちらを見ている。櫻花楼から迎え入れた側室だと、朱夏は瞬時に悟った。
朱夏と視線が絡むと、彼女はそっと目を逸らした。その前を塞ぐように、夏勢が立った。
「別れは済んだか」
「はい。父上は……」
「先ほど済ませた。これより、葬儀に入る」
正式な式典には、これまで父は母を伴っていたのに。仲の良かった弟である春日の葬儀に、この新たな側室を参列させるのか。
柊や煌姫と同じ色を持つ女性を同伴するのは、さすがに叔父に対して不誠実なのではないだろうか。朱夏の胸の内に、何とも言えない怒りが湧く。
口を開こうとした朱夏を制するように、夏勢が手を上げた。
「小言は聞かぬ。弟を失った朕にも、慰めは必要なのだ」
「……」
「それに、其方の母は参列を断った」
「えっ?」
帝の弟の葬儀への参列を、断った?名家の出である帝の正室に、そんな我儘は許されることではない。
不審が顔に出ていたのだろう。夏勢が眉を下げた。
「春日や煌の前で、其方と言い争う気はない。式を済ませてから、ゆっくり話そう」
それだけ言って棺に近づこうとする夏勢の袖を、控えめに細い手が引いた。
「何だ?」
見下ろす夏勢の耳元に唇を寄せ、側室が何事か囁いた。扇で隠され、口の動きは朱夏には読めなかった。だが、不愉快そうに夏勢が眉を寄せる。
「不要だ」
「――」
「……好きにせよ」
さらに囁かれた夏勢が、大股で祭壇に近づいた。喪主の席に座る。
側室が、ちらりと煌姫に視線を投げた。迷うようにしばらく躊躇い、口を開く。
「この度は、ご愁傷さまでございました」
細く、頼りない声だった。だが、朱夏の耳にははっきりと聞き取れた。薄桃色が、真っ直ぐに朱夏を見ている。
「かような時にご挨拶となってしまい、申し訳なく思います。第六室となりました、迦陵と申します。朱夏親王さま、お見知りおきを」
「迦陵……?」
「わたくしのような者が、大切なお式に参列することを、快くは思われないでしょうね。ですが、今上さまをお支えする身として、お許しいただけると嬉しく思いますわ」
きちんと弁えて、適切な距離を取る女性だと思った。遊郭の出だというから、朱夏は無意識に、享楽的な女を想像していた。たとえ、幼い頃にともに過ごした相手であっても。
「こちらこそ、挨拶が遅れてすまない。第六室どのは、健やかにお過ごしだろうか」
「はい。今上さまにも奥宮の方々にも、よくしていただいております」
「そうか。それならよい」
目を伏せて、朱夏は煌姫の背に手を添えて祭壇へ向かおうとした。後ろから、囁くような声が掛けられる。
「……お変わりなく、安心致しました。朱夏さま」
「っ!」
「わたくしのことなど、覚えてはおられないでしょうけど。わたくしにとっては、大切な思い出。お会いできて嬉しい」
振り切るように朱夏は足を踏み出した。
目を閉じそうになるのを、奥歯を噛んで必死に堪える。
「……私は、煌を裏切らない。琉兎」
相手に聞こえなくとも構わない。喘ぐように絞り出した声に、煌姫が不思議そうにこちらを見上げていた。
薄桃色の瞳に、責められているような錯覚を覚える。すでに、この身は一度煌を裏切ったのではなかったのか。軋む心を慰めてもらうために、目の前の春香に縋った己の浅ましさに、朱夏は眩暈がしそうだった。




