参拾
本宮までの回廊が、煌びやかな燭台に照らされて光り輝いている。
常よりも多く焚かれた火で夜でも明るいが、その分壁際には影も多くできていた。その影を縫うように、朱夏は烏の先導で進む。
顔の下半分を黒い薄布で隠した朱夏と烏は、忙しなく動き回る文官たちの目をすり抜け本宮の最奥を目指した。
生まれてこの方、朱夏は奥宮に足を踏み入れたことはなかった。父帝の妻たちが暮らす、歴代の帝のための後宮だ。男は、時の帝しか立ち入ることはできない。
奥宮に近づくにつれて、行き交う人の数が増えてきた。見咎められないように、慎重な足取りへと変わる。
本宮を抜けた先に、黒門に遮られた奥宮の建物が見えてきた。胸の鼓動が聞こえてきそうで、朱夏は深く呼吸を繰り返す。
ふと、烏が足を止めた。
「……輿が参ります」
囁くような声に、朱夏も歩みを止めて示された方向に目をやった。
花嫁が乗るような豪奢な輿が、朱夏たちが立つのとは反対側の門からしずしずと進んでくる。先導しているのは、昼間に出会った凛慈である。
「あれに、父上の側室どのが……」
「もう少し近づきますか」
烏に答えようとしたところで、すぐ側で密やかな声が聞こえてきた。
「今上さまも、まだまだお若いことですなぁ」
「左様。まさか、ご嫡子と同じ年の頃の室をお迎えになるとは」
「此度お迎えの方は、第六室さまということになりますかな」
朱夏も見知った、宮廷に仕える廷臣たちの声だった。知らず、壁にぴたりと身を寄せて朱夏は聞き耳を立てる。
「しかし、遊郭の女を側室に召し上げるなど。前例がないことではありますな」
「櫻花楼の店主が、上手いことやったのでしょう。やり手と聞きますからな」
「まあ、下賤な者を侍らせていただいた方が、我らとしても今上さまを御しやすくなるというものです」
忍び笑いを漏らす廷臣たちに、思わず怒声を上げそうになった朱夏は、慌てて口を押さえる。
「さてさて。第六室さまのご尊顔を拝すことができますかな」
「どうでしょうなあ。こうして控えておりますが、ご執心の娘の姿を我らにお見せくださるとは思えませぬが」
「これも務めです。参りましょうか」
そう言いながら、廷臣たちの気配が遠のいていった。
深く息を吐き出し、朱夏は傍らに控える烏に目を向けた。
「父上は、あ奴らの傀儡なのか?」
朱夏の問いに目を剥き、烏は大きく首を振った。
「いいえ。あれは、あの者たちの願望ですよ」
「願望?」
「今上帝さまは何事もご自分で推し進める御方です。それが、古くから権勢を誇る方々には苦々しいのでしょう」
そんなことよりも、と烏が奥宮の門を指す。
側室を乗せたと思われる輿が、門の前で止まったところだった。
「降りてこられますよ。門から先は、輿を降りて歩かれるはずですから」
烏の言う通り、止まった輿の扉に凛慈が近づき手を掛けた。ゆっくりと、輿が開かれる。
すっ、と細い手が輿の中から差し出された。ここからでも見て取れるほど、白い手首だった。
凛慈に手を取られ、ゆっくりと華奢な肢体が降りてきた。
極彩色の花嫁衣装に身を包み、顔を絹の薄衣で隠している。結い上げられた髪に、玉や宝石を使った飾りがふんだんに着けられていた。動く度にしゃらしゃらと音を立てる髪飾りが、慶事であることを示している。
だが、その出で立ちではなく彼女の髪の色に、朱夏の目は釘づけになった。
明かりを受けて輝くその髪は、薄茶色をしていた。煌姫と同じ、艷やかな薄茶の髪。
いや、薄茶色の髪など、ありふれている。何がこれほど、胸を騒がせるのか。
一歩、足を踏み出しかけたところで、強い力で烏に腕を引かれた。
「親王さま。近寄ってはなりません」
「だが……確かめねば……」
うわ言のように呟く朱夏に、烏が痛ましげな視線を向けたことにも気づかなかった。
彼女の瞳を見たい。顔が見たかった。
酷く喉の渇きを感じて、朱夏の肩が震える。
「あれは……彼女は……」
「世を遍く照らす夏勢帝さまに、櫻花楼の主より花の献上に参りました。ご開門願います」
震える朱夏の呟きを掻き消すように、凛慈の声が響き渡った。
応えるように、黒門が内から開かれていく。このまま行かせたくない。朱夏の胸の内を、焦がすような熱が襲う。
凛慈に手を取られたままの女性が、ふわりとこちらを向いた。
「っ!」
すぐに顔を戻した彼女は、迎えに出てきた奥宮の侍女に手を差し出し、凛慈に頭を下げて歩き始めた。
黒門が閉じられる。並んでいた廷臣たちが場を離れ始める。だが、朱夏は動けなかった。
風で揺れたように一瞬、彼女の顔を隠す薄布がめくれたような気がした。垣間見えた、薄桃色の瞳。
そんなはずは――。
物も言えずに立ち尽くす朱夏に、凛慈がのんびりと歩み寄ってきた。横で、烏が身構える。
「これはこれは、朱夏親王さま。またお会いできましたね」
朗らかに笑う凛慈に、朱夏は呆然と視線を向けた。




