弐拾玖
昼と夕暮れの間の、爽やかな風が吹き抜ける庭に、卓と椅子が並べられた。
卓の上には、最近煌姫の気に入りの百合の甘茶と、色とりどりの菓子が置かれている。
従妹の小さな手を引いて、朱夏はゆっくりと庭に出た。後ろを、烏が何も言わずについて来た。
「今日の菓子は何だろうな」
二人での茶会のために、濃紺の衣と淡い青色の袴へ着替えた朱夏は、従妹を見下ろす。襟や腰を留める帯紐に薄桃色をあしらい、冷たい印象になりがちな朱夏の装いに煌姫の愛らしさを取り入れたような姿だ。
跳ねるように歩く煌姫は、薄桃色の衣と薄茶の裳に身を包み、髪を青色の紐で緩く編んでいた。
「わたくし、桃まんじゅうが好き」
「桃饅頭か。甘すぎず、茶にも合う菓子だな」
従妹に答えながら、朱夏の脳内では烏との会話が思い出されていた。
『親王さまがお望みならば、今宵煌姫さまが眠られた後で、本宮へお連れ致します』
一体、烏は何を知っているのだろうか。父帝が新たに迎えるのがどこの誰であるのか、烏にはわかっているのか。
近頃父が忍んで行くという場所を、烏は把握していたのだろうか。では何故、己に報告がなかったのか。
考えが纏まらないまま、庭に設置された卓へとたどり着く。
煌姫が座るのを手伝い、隣の椅子に腰を下ろした。格式張った席ではないため、向かい合って座る必要はない。
煌姫の小さな手が、作法に従って茶器の横の手巾に伸びた。膝にふわりと手巾を掛け、朱夏が茶に手をつけるのをじっと待っている。
茶器の蓋を開け、朱夏は甘茶の香りを楽しんでから口をつけた。
「よい香りだ」
一言漏らせば、控えていた侍女が息を吐く気配がした。煌姫も、彼女用に誂えられた小さな茶器に手を伸ばす。
「従兄さまは、ゆりのお花はお好き?」
「そうだな。よい香りで、凛とした花が麗しいと思う」
「わたくし、お花はなんでも好きなのだけど。やっぱり、従兄さまがおくってくださるお花が好きよ」
近頃あまり花を贈っていない朱夏へのおねだりであろうか。くすくす笑う従妹に目を細め、朱夏は菓子の皿を手に取った。
「桃饅頭ではないようだ」
薄く緑に色づけられた葛餅が、皿の上でぷるりと揺れる。
「くずもちも、好き」
「それはよかった。夕餉に差し支えぬよう、一つだけにしておこうか」
朱夏の言葉に素直に頷き、煌姫は美しい所作で菓子を口に運んだ。
穏やかで、愛おしい時。いつまでも、こうして浸っていられればと思う一方、朱夏の縛りつけられた運命は進んでいく。
煌姫を正室として愛し、いずれはともに国を背負っていかねばならない。夏勢帝は精力的な帝ではあるが、弟である春日がもし逝去したなら、気弱になるかもしれない。煌姫の夫として、朱夏がしっかり守っていかなければ。
帝一族として生を受けたからには、好きに伴侶を選ぶことなど初めから考えてもいなかった。年下の従妹を悲しませるくらいならば、側室も不要と思っている。だが、側室を迎えることを告げた父帝は、心なしか嬉しそうな表情に見えた。
羨ましい。そんな感情が浮かんだ己に朱夏自身が驚いた。
楽しそうに今日あった出来事を話す従妹を微笑んで見つめながら、朱夏は己が何を思い悩んでいるのかを考え続けた。
夕餉を済ませ、煌姫を私室へと送り届けた朱夏は、烏から真っ黒な装束を手渡された。
「これは?」
「今宵、親王さまは本宮に呼ばれているわけではありませんから。できるだけ、御身を隠して行かれた方がよいと思いまして」
「そもそも、私はまだ、行くとは……」
「気にされているでしょう?その目で確かめた方が、お気持ちが楽になられるのでは?」
隠密として動く時に烏が身に纏う黒装束。幼い頃にお忍びで町に下りた際のような、不思議な高揚感が朱夏の内に湧いた。
「そして、真実をご覧になった後、煌姫さまをより一層大切になされるでしょう」
「烏?」
「吾の口からは、これ以上申せません。親王さまが、ご自身でご覧になってください」
手早く朱夏に装束を着つけながら、烏が意味深な言葉を告げる。
首を傾げる朱夏だったが、時があまりない。闇に溶け込むような装束を身に纏って、烏の後について夏の宮から身を滑り出させた。
通い慣れた本宮への道が、見知らぬ場所へと続く迷路のようで胸が騒いだ。




