弐佰捌拾捌
輝山の大臣から始まった重臣たちの挨拶を受け終え、朱夏はシャファング三世の膝で上機嫌に笑う春明に目を向けた。祝い膳はあらかた春明の腹に収まり、後は無礼講の宴である。几帳越しに煌姫へと声を掛けた。
「煌。そろそろ、春明を奥宮へ戻そうと思うのだが」
祝い膳を食べ終え、食後用にと果実酒を薄めたものを飲んでいた煌姫は、杯を卓に置いて頷いた。
「わたくしが、ともに戻りますわ」
「うむ。それでな」
「はい?」
朱夏は重臣たちの意識がこちらに向いていないことを確かめ、先ほどシャファング三世に言われた言葉をそっと囁いた。
「其方が、春明を厭っていないところを、重臣たちに見せたい」
「……どうすればよろしいの?」
「手を繋ぐのでも、抱き上げるのでもよい。春明と睦まじく、ともに奥宮へ帰る姿を見せるだけでよい」
朱夏の言葉に煌姫は微笑んで頷く。
「そんなことでよろしいのなら。わたくしも、親王さまと過ごせるのが嬉しいもの」
快諾した煌姫に感謝しつつ、朱夏はシャファング三世の膝に座ったままの春明に声を掛けた。
「春明。そろそろ奥宮へ戻らねばな」
「いやっ。しゃふぁと、いっちょ!」
「そうか。では、母上に土産話をして差し上げないのだな?」
朱夏の言葉に目を見開き、春明は口を開けたまま朱夏を見上げた。
「はは……ははうえっ!」
「そうとも。この宴で見たことを、教えて差し上げるのではないのか?」
「しゅん……わたち、ははうえに、おしえりゅのよっ」
慌てて大きな膝から下りようとした春明の体を、シャファング三世がそっと支えて床に下ろしてやる。
『突然動いては危ないぞ』
「済まぬな、シャファング三世どの」
『構わんが。シュンメーどのは、後宮へ戻るのか?』
きょろきょろと辺りを見回している春明の手を引き、朱夏は几帳の向こうへ目を向けた。
「朕の正室が、ともに奥宮へ戻る」
『そうか。では、一つ言伝を頼んでもよいか?』
シャファング三世の言葉に、朱夏は視線を戻した。
「言伝?」
『リリーナは……俺の妃は息災だと、後宮に戻った後でよい。伝えてやってほしい』
「……文を、貰ったが」
春明の手を握る指先に、知らず力が込もった。驚いたように見上げてくる春明の視線に、はっと我に返る。
『うむ。だが、そこに書かれていることを俺は知らん。俺から見て、リリーナは元気にやっていると、正妃どのに伝えてほしい』
「……わかった。
春明、シャファング三世どのに挨拶を」
「しゃふぁ、わたち、かえりゅの。まちゃね!」
大きく手を振る春明に、シャファング三世も笑みを返した。
『ああ、またな、シュンメーどの』
シャファング三世が手を振り返してきたことに満足げに頭を振り、春明が朱夏に連れられて几帳の陰へと入る。
「待たせたな、煌」
「いいえ。春明親王さま、わたくしと帰りましょうね」
椅子から立ち上がり、差し出された煌姫の手と素直に手を繋ぎ、春明が一歩足を踏み出した。
ざわざわと騒がしい宴の席を、侍女たちが几帳で煌姫の姿を隠しながら退席のために進む。だが、時折揺れる帳の隙間から、煌姫と春明の姿が垣間見えた。
睦まじく手を繋ぎ、春明が何事か話すのを微笑んで見守る煌姫の姿に、重臣たちは驚きを隠せずにいた。
国賓であるシャファング三世とも、正室である煌姫とも親密そうに交流する春明親王の姿に、朱夏の次の世も安泰であると思われた。
嫡出の子を待つ者は多い。派閥は存在しなくとも、正統な血を引く御子が帝の御位に就くべきだと、声高に主張する者も大勢いた。だが将来、もしも煌姫に御子ができずとも、舎利の産んだ春明親王との仲が良好なのであれば、いずれ日嗣宮として立つ日が来るかもしれない。
今の内から春明に取り入っておくべきかどうか、重臣たちは酒に酔った頭で悩ましげに考えたのである。
煌姫と春明が無事に大内殿から出たのを見送って、朱夏は息を吐いて盃に口をつけた。隣から、シャファング三世が面白そうに見つめている。
「何だ?」
『いやぁ。貴殿は生真面目で、柔軟で。俺が友人として楽しく過ごすのに相応しい男だと思っていたが』
「……いたが?」
くつくつと笑いながら、シャファング三世も用意させた大盃の酒を飲み干した。
『正妃どのや側妃どの、皇子の前ではまだまだ胸の内が顔に出るのだな』
「男としても父としても、未熟だからな」
自嘲ぎみに笑った朱夏である。ようやく穏やかな笑顔を見せるようになった煌姫だが、その心を救えたのは朱夏ではない。
『未熟というのは悪いことではない』
「えっ?」
『これから成熟する余地があるということだ。己の未熟さを知らずに、何でも知った気になっている方が、よほど未熟だ』
豪快なシャファング三世らしい言葉であった。亜伊夜の国でも、きっとこのように振る舞うのだろうと思うと面白くもあった。
「貴殿に仕える重臣たちは、大変そうだな。それとも、廷臣たちも同じような考え方なのであろうか」
『どうであろうな。前にも言ったが、重臣たちは基本的に俺の兄弟や叔父たちだからな。縁戚でないのは宰相くらいだ』
「我が国でも、大臣職には帝一族の縁戚の者が就くのが慣例ではあるが」
この宴が終わり月が明ければ、輝山の大臣は引退する。
汐之が左の大臣になり、紘通が右の大臣として、朱夏の政の体制は変わるのだ。変化は恐ろしくも、楽しみでもある。
四季の国がよりよい方向へ向かう舵取りを、朱夏が先導して行わなければならない。
この国に暮らす民が満ち足りて生きていけるかどうかは、朱夏の肩にかかっているのであった。




