弐佰捌拾漆
大内殿での祝宴は夜通し続く。
春明の年齢を考えて、祝いの式典は昼前に行われ、宴の席では親王のための昼餉が用意されていた。
上座に朱夏と煌姫が並んで座り、間に春明のための小さな椅子が置かれている。煌姫とは反対側にシャファング三世の席が用意され、通訳として傍らに親雪が立った。煌姫の姿がシャファング三世から見えないように、朱夏の席との間には几帳が立てられている。
顔を合わせることを煌姫が望まなかったわけではない。亜伊夜の国で、王の妃は後宮を出てこないものなのだ。公の場に朱夏の妻が姿を見せることに、シャファング三世が難色を示したのである。重臣たちの目に、妻の姿を晒すのか、と。
だが、春明の晴れの舞台をともに祝いたい煌姫の気持ちも、朱夏は無下にできなかった。そこで折衷案として、几帳で煌姫の姿を隠すということに落ち着いたのである。
輝山の大臣が、最後の大仕事とばかりに祝宴の開催を告げる。
「皆々さま、春明親王さまがご無事に三歳を迎えられたことを、盛大に祝いましょうぞ」
おおっと大音声が返され、あちらこちらで盃を合わせる音が響いた。驚きに目を瞠った春明だが、声を上げる前に大卓へと昼餉の祝い膳が運ばれてくる。
「さあ、春明。其方の祝いのための膳だ。しっかり食べて、まだまだ大きくならねばな」
「うぅー……」
小さく唸った春明の様子に、朱夏は首を傾げた。大広間では凛と立っていたが、随分機嫌が下降したようである。
「どうした?」
「ははうえぇ、どこぉ……」
舎利は祝宴には参加していなかった。朱夏の隣に煌姫が並ぶため、心配しながらも春明の帰りを奥宮で待つこととなったのだ。体力が戻っていないこともある。長時間公の場に立つことを、朱夏が許さなかったのであった。
「母上は、奥宮で其方の帰りをお待ちだ。きちんと食べて、皆の挨拶を受けたら、煌とともに奥宮へ戻るとよい」
「ははうえぇ……」
瞳に涙を溜め始めた春明の様子に、煌姫がおろおろと几帳越しに声を掛けた。
「春明親王さま。昼餉が終わったなら、わたくしとともにお母上のところへ帰りましょうね」
「……うぅー……」
『はっはっは。どうした、シュンメーどの。あれほど立派に式典に出ていたというのに、急に甘えん坊か?』
祝い膳に匙を伸ばしていたシャファング三世に名を呼ばれ、春明が唇をへの字に曲げて朱夏の肩越しに視線を向けた。
「しゃふぁぁ……」
『何だ、何だ。寂しいならば俺の膝に座るか?』
卓に匙を置き、両手を広げたシャファング三世に朱夏が首を振る。
「甘やかしてくれるな、シャファング三世どの」
『しかし、母上と離れて寂しいのだろう?今日は祝いの席だ。甘やかしてよかろうに』
「春明は、朕の一の親王なのだ。重臣たちの手前もある。毅然と座っていなくてはならぬ」
朱夏の言葉に煌姫が息を呑んだ。これほど幼い内から、親王として相応しい態度を求められる春明を、不憫に思ったのだ。だが、そう思うこと自体、春明にとって無礼な話であるかもしれないと思い直す。
『うむ。貴殿が父として厳しく接するなら、尚のことだ。俺は友人を甘やかす』
「……シャファング三世どの」
『それにな。自分で言うのも何だが、俺はシーキ国の賓客だろう?仲睦まじい姿を重臣たちに見せるのは、悪いことではないと思うが。舐められるよりよかろう』
築岳からシャファング三世の言葉を密やかに告げられ、朱夏は瞳を見開いた。
「それは、そうだが……」
『俺でなくともよい。貴殿の正妃どのと睦まじいところを見せてやるのも、効果的だ。とにかく、シュンメーどのを下に見られないことが肝要だ』
顔の横で指を立てて熱弁を振るうシャファング三世に、根負けしたように朱夏は笑った。
「まったく……貴殿と話していると、深刻なこともそうでなくなるな」
『貴殿は生真面目すぎるのだ。大抵のことは、考えすぎない方が上手くゆく』
何とも乱暴な持論に、とうとう朱夏は声を上げて笑った。涙の溜まった瞳のままで、きょとんと成り行きを見守っていた春明の体を抱き上げる。
「ちちうえぇ?」
「そら、春明。今日は特別だぞ。シャファング三世どのが、膝に乗ることをお許しくださった」
その言葉に、酒瓶を持って挨拶に来るのを待っている重臣たちがどよめいた。
シャファング三世の膝に座らせてもらい、春明の膳が目の前へと移動させられる。
『どうだ、シュンメーどの。俺の膝ならば寂しくあるまい?』
「しゃふぁ……ははうえ、いにゃいのぉ……」
『うむ。だからな、ここで何を見て何を聞いたのか、母上に話して差し上げればよい』
「……おはにゃし?」
卓の上の膳を見せ、宴に騒ぐ廷臣たちの姿を見せて、シャファング三世が頷く。
『母上に、貴殿が見たことを教えて差し上げるのだ。きっと、喜ばれるぞ』
「ははうえ、うれち?」
『そうとも。シュンメーどのが戻り、母上の知らないことを話してやれば、嬉しいだろう』
「……しゅんめぇ、おしえりゅ」
ぐいっと袖で目元を拭い、春明はじっと重臣たちに目を向けた。群青色の瞳が、この場の景色を逃さず記憶しようと、明かりを受けて煌めいていた。




