弐佰捌拾伍
本宮の藤棚から藤を一枝貰った春明が、大切そうに花を抱えて歩いている。
先頭を朱夏が歩き、数歩離れたところを和沙につき添われて進む春明の姿に、すれ違う文官たちが微笑ましげな瞳を向けた。
表宮の客間に訪問するところであった。先日約束したように、春明とシャファング三世との交流の時間である。
客間には先に築岳を向かわせており、朱夏はシャファング三世に贈ると言ってきかなかった藤の花を春明に持たせてゆっくりと歩いていた。
帝の一の親王が奥宮から出てくるとあって、護衛の数は常の倍近く配置されていた。現在の奥宮に派閥争いの心配などなくなったが、それでも警戒しすぎて悪いことはない。春明や春藍、春蒼がいなくなれば、帝の嫡子の地位は空くのだから。
客間の扉を控えていた武官に開けさせ、朱夏は室内に足を踏み入れた。腰に薄布を巻きつけただけの格好で、シャファング三世が長椅子に寝そべって寛いでいた。
「シャファング三世どの、約束通り春明を連れて訪ったぞ」
『おぉ、シュカどの。シュンメーどのも一緒か』
長椅子から身を起こしたシャファング三世が、春明に配慮したのか上布を肩から引っ掛けた。
「しゃふぁ!しゅんめぇ、きちゃのよ!」
『おお。よく来た、シュンメーどの。さあ、ともに茶を飲もうな』
立ち上がったシャファング三世が両腕を広げているところへ、春明が駆け寄りかけて足を止めた。
『うん?どうした?』
「あ、わたち!んー……しゃふぁ、ごちげん、いか、いかがでしゅか」
幼くとも帝の親王が、他国の王へのご機嫌伺いをするのである。客間を訪れる前に、春明は奥宮で朱夏からみっちりと挨拶の言葉を教え込まれていた。
『おお。これは丁寧な挨拶、ありがたい。こうしてシュンメーどのが訪ねてくれて、よい気分だとも』
「しゃふぁ、げんち?こりぇ、おはにゃ!」
『俺にか?綺麗な花だな』
小さな両手でしっかり握っていた藤の花を受け取り、シャファング三世は従者から渡された手巾に丁寧に包んだ。
『シュカどの。この花はどのくらい保つ?こう垂れ下がっていると、生けてもらうのは難しいか?』
手巾を卓に置いたシャファング三世が、軽々と春明を抱き上げた。高くなった視界に春明がはしゃいだ声を上げる。
「そうだな。生花はそれほど日持ちせぬが。貴殿がもし、春明からの花を保管したいと仰せなら、侍女に頼んで押し花にしてもらうとよい」
『押し花?』
春明を抱えたまま長椅子に座り、シャファング三世は膝の上に小さな体を乗せた。
「花弁を乾燥させて、布地や紙に貼りつけたままで保管する技術だ。我が国では、女人が部屋を飾る垂れ布や、書物に挟む栞などに使われることが多い」
『そんな技術があるのか。そうすると、萎れない花になるか?』
「貴殿と春明の出会いの記念に、持って帰ってやってほしい。どうだろうか」
向かいに座った朱夏の問いかけに、シャファング三世は大きく頷いた。
『無論だ。新たな小さき友人からの、大切な贈り物だ。国元に持ち帰りたい』
「では、後ほどその手巾ごとお預かりしよう」
「しゃふぁ、おはにゃ、いやいや?」
己の手渡した藤の花が、手巾に包まれて見えなくなったことで春明が不安になったらしい。首を傾げて、シャファング三世の海色の双眸を見上げている。
『いいや。父君がな、ずっと持っていられるように、押し花にしてくれるらしい』
「おし、おしぱにゃ……」
『貴殿からいただいた大切な花だからな。アイーヤ国に戻る時にも、持って帰りたい』
「あいにゃ?」
小姓が西領の薬草茶を淹れた茶器を、盆に乗せて運んできた。卓の上に、シャファング三世、朱夏、春明の順に茶器が置かれていく。
『おお。よい香りだな』
「これは、四季の国の特産品で、銘を祥福という。朕の治世に福を招いてくれるようにと名づけられた」
『縁起のよい銘だな』
春明を膝に乗せたまま、シャファング三世が茶器に手を伸ばした。香りを楽しみ、ゆっくりと口をつける。
『ふむ。アイーヤ国の薬草茶よりも、香りは強くないが、心が落ち着くな。それに、酸味もない』
「唱洪渡りの薬草茶も爽やかでよいが、やはり自国で開発されたものというのは、口に合いやすいからな」
「しゃふぁ!しゅんめぇも!」
シャファング三世の膝からにじり下り、春明が長椅子の上できちんと姿勢を正した。
『うむ。ともに茶を飲む約束であったからな。シュンメーどのも、父上の功績の証をいただくとよい』
「春明の茶には、糖蜜を垂らしてやれ」
給仕のために控える小姓に声を掛け、朱夏も薬草茶を味わった。




