弐佰漆拾参
ほおっ、とシャファング三世が感嘆の声を漏らした。
奥宮の黒門を前にして、じっくりと門から建物にかけてを眺めた後のことであった。朱夏はそれを黙って見つめる。彼の中で、奥宮をどのように観察し、どのように評を下すのか気になるところであった。
『あの門の先が、貴殿の後宮か』
「普段は、あの黒門を護る武官も女人なのだが。済まぬな、本日は近衛から人を借りている」
朱夏の説明に首をひねり、次の瞬間シャファング三世は大きな笑い声を上げた。
『それほど警戒せずとも、友好国となったシーキ国で悪さはせんぞ』
「わかっている。こちらの……と言うより、奥宮の女人たちの心構えの問題だ」
外国からの賓客に無礼がないように、文化や風習の違う相手に常と同じ態度で接して不敬を犯さないように。そういった配慮もあった。
『人の出入りはどう管理しているんだ?』
朱夏は黒門に立つ武官を指し、奥宮の出入りについて説明していく。
「まずは、朕の許しを得た者しか奥宮には立ち入れない。男も女も、な」
『男を入れることがあるのか?』
驚きに目を見開いたシャファング三世に、朱夏は頷いて汐之を振り返った。
「例えば、な。朕の第二室の義父上が、娘のご機嫌伺いに訪れたいと願い出たら、許すしかあるまい?」
『成る程。義父上か』
「それに、奥宮には女人の薬師しかおらぬ。もし、宮内で疫病など流行ったなら、本宮から薬師を手配してやらねばならぬ。危急の際には、男も女もなかろう?」
腕を組んで考え込むシャファング三世に、朱夏はさらに続けた。
「無論、基本的には男の立ち入りは禁じられている。貴殿の奥宮では違うのか?」
『俺の後宮には、典医の詰め所があってな。門をくぐって、後宮に入るまでの廊下にあるんだ』
「その、てんい、とやらは薬師のことか?女人なのか?」
烏が小姓とともに運んできた床几に腰掛けての会話である。奥宮から人が出てこないように通達されているため、誰も通りかかることはなかった。
『この国では薬師というのか。そうだ、薬師だ。後宮にいるのはすべて女の薬師だ』
「貴国では、それほど多くの女人が職に就いているのか」
驚きに目を瞠った朱夏である。
四季の国では、女性は婚姻するまで生家で暮らし、いずれかの家に縁づいた後は婚家で女主人として暮らす。無論、本宮の侍女や櫻花楼の店員のように、働く女性もいないではないが、男性に比べて圧倒的に数は少なかった。
『外に出て働かねば、よき男や家に見初めてもらうことはできんだろう?』
「見初めて……」
『よりよい嫁ぎ先を、貴族であろうと民であろうと、必死に探すためには働いている方が都合がいい』
「嫁ぎ先とは、親や生家が探すものではないのか?」
驚きの連続である。四季の国とは根本から、考え方が違うのだ。だが、朱夏に忌避感はなかった。純粋に、今まで知らなかった海の向こうの話を聞くのが、楽しくさえあった。
『高位の貴族は家同士の結びつきを重視することもあるが。アイーヤ国では恋愛による婚姻が主だからな』
「恋愛……?」
『年頃の男女が、互いに見初めて想い合い、愛し合って夫婦となるのだ』
「う、む……我が国でも、民の間ではそういう慣習もあると聞くが」
煌姫が誕生してすぐに許婚と定められた朱夏は、己で愛する相手を探すことなど考えたこともなかった。
奇妙な縁によって出会った舎利は、例外であったのだ。
『あの黒門の材質は何でできているんだ?』
シャファング三世の見つめる先に、朱夏も視線を向けた。緊張した面持ちの武官が、棒を構えてじっと立っている。
「北領の山で採れた石を使ってある。冬の寒さに耐えうる、頑丈な石を職人が研磨し、奥宮の守りとするのに相応しい装飾が施されている」
『石か。この宮殿の柱や壁も、石造りであったな?』
「我が国は、冬には空気が乾燥して火災が起きやすい。地震もある。木造の宮廷ではすぐに崩れてしまうからな」
『地震?』
朱夏は胸の前に両手を上げ、手の平を下に向けてゆらゆらと揺らしてみせた。
「こう、大地が揺れるのだ」
『大地が揺れる……?』
「酷い時には、立っていられないほど揺れる。木造の建物が天井から崩れるほどにな」
驚きに目を見開き、なおもシャファング三世が質問を続けようとした時、奥宮の方から幼い叫び声が響いてきた。
「親王さまっ。なりませんっ。今日はお外にお出になってはっ!」
「やぁーよーっ!おはにゃ、ちゅむのよぉーっ!」
額に手を当てた朱夏の肩から、がっくりと力が抜けた。




