弐佰漆拾弐
昼餉を終え、朱夏は再び汐之を伴ってシャファング三世のいる客間へと足を運んだ。
奥宮の侍女たちには夕刻まで宮から出ないように申しつけ、黒門を護る武官もこの時間だけは近衛隊から男性の武官を配置させてある。
長椅子で寛ぐシャファング三世に朱夏は声を掛けた。
「お待たせした、シャファング三世どの。奥宮へご案内しよう」
朱夏の声に、驚いたように目を瞠った王の表情に、朱夏は首を傾げる。
「どうなされた?」
『ああ、いや。今朝までと、俺を呼ぶ発音が違うな?綺麗なアイーヤ国の発音になった』
その言葉に頬を緩め、朱夏は満足げに胸を張った。
「特訓したからな」
『特訓?ツィキタケにでも教わったのか?』
「秘密だ」
唇の前で指を立てた朱夏に、シャファング三世が豪快に笑った。
『成る程。頼もしい側近でもいるのか。俺のシュカどのの発音はどうだ?おかしくないか』
「ああ、問題ない」
長椅子から立つように促し、朱夏はシャファング三世に並んで歩き始めた。
「この表宮から奥宮までは、回廊を渡って行く。それほど離れてはいないが、男子禁制の宮ゆえ少し歩く。よろしいか?」
『うむ。後宮が男の立ち入りを禁じているのは、俺の国でも同じことだ』
好奇心に瞳を輝かせ、シャファング三世が素直に先導の小姓の後に続く。
客間を出て、小姓が先頭を歩き、近衛隊の武官が二人並んだ。
その後ろに朱夏とシャファング三世が続き、後ろを汐之と亜伊夜の国から来た従者が歩く。さらにその後ろに近衛隊の武官が十名ほど、護衛のためにつき従っていた。朱夏とシャファング三世の半歩後ろには、それぞれ築岳と親雪もついている。
『仰々しくはないか?』
「貴殿は亜伊夜の国からおいでになった、我が国の賓客だ。これでも護衛は減らした方だぞ」
『それは世話をかけたな。アイーヤ国では後宮に籠っているし、宮殿を歩く時も護衛なぞ連れていないからな。新鮮だ』
興味深そうに柱や壁を見回しながら、シャファング三世が上機嫌に歩く。
『お、あれは何をしている?』
シャファング三世が指し示したのは、馬の鞍を手にした武官であった。回廊から見える内庭で、数人集まって何か話し合っている。
「宮護隊の者だな。身に着けている装束によって、身分が違う。絹の装束を纏っているのが、貴族出身の者たちだ」
『あの、真ん中にいるのは?』
「麻の衣を着ているから、厩番の者だろう。宮護隊の乗る馬の世話をする者だ。鞍の交換について話し合っているようだな」
帝の乗る馬の鞍には、紫紺の幕がかけられている。四季の国でこの鞍を使うことを許されるのは、帝ただ一人である。
宮護隊の者が見回りなどの際に乗る馬の鞍は、幾分実用的に作られてはいるが、貴族が大半の編成のためか宝石や絹糸の刺繍などで飾っている者も多かった。
『シーキ国では、皆馬に乗るのか?』
歩きながら会話を続ける朱夏たちを見つけ、すれ違う廷臣たちが壁際に下がって拝礼している。
「帝一族や貴族は馬に乗って移動する。民たちは、どこへ行くにも徒歩だ。遠くへ出かける際には、金子を払って駕籠に乗ると聞いたこともある」
『そうなのか。アイーヤ国では、馬よりも駱駝の方がよく乗る』
「駱駝?どのようなものだ?」
『背に瘤がある、熱砂の国の馬のような生き物だ。力が強く、旅人が砂漠を越えるのに荷を積んで進む。性質も大人しいものが多いから、扱いやすい』
シャファング三世の説明を聞きながら、朱夏は脳内で駱駝なる動物を想像してみた。だが、見たこともない生き物は、上手く思い浮かべることができなかった。
「面白いな。移動する手段一つでも、それほど違うのか」
『知らないことはこれから知っていける。そして、互いの国をよくするために、取り入れられるものは取り入れればよい』
「そうだな」
穏やかな会話が進む内に、回廊の最後の曲がり角が見えてきた。あの角を曲がれば、奥宮の黒門が見えてくる。
「そろそろ奥宮に着くぞ」
『おお!楽しみだ。どのような建物の造りをしているか。人の出入りをどのように管理しているか。色々な話を聞かせてくれ』
少年のように笑うシャファング三世に、朱夏も釣られて笑ってしまった。




