弐佰漆拾壱
文官たちが慌ただしく立ち回る本宮へ、献上品の数々を乗せた荷車とともに櫻花楼から凛慈が訪れた。
目通りの許可を求められた朱夏はすぐさま許し、表宮の居室で凛慈と向かい合って座る。
ゆったりと深緑の袍を身に纏った凛慈は、懐から紙を取り出し卓に広げた。
「亜伊夜の国の国王陛下が、気に入られそうな品をいくつか見繕って参りました。こちらは、その目録でございます」
「しゃふぁんぐ三世どのに目通りしたことがあるのか?」
目録を手に取りながら尋ねる朱夏に、凛慈は首を振って答えた。
「ございません。ですが、先年造船をお許しいただいた船による交易で、亜伊夜の国の御方とも多少のやり取りがございます」
「うむ」
「あちらの官僚の方々から、王のお好みについてもいくらか聞いたことがございますので。本日は我が国の名産で、かの王がお気に召しそうなものをお持ちしたのです」
凛慈の説明に首肯しながら、朱夏は目録に目を通した。
「菓子に絹地に、質のよい化粧品……香も、か。やはり女人の好みそうなものが多いな」
「それと、案外気に入られそうなのは、紙ですね」
「紙?」
首を傾げた朱夏に凛慈が続ける。
「かの王は、後宮の女人たちにせっせと文をお書きになるそうで。我が国の上質な紙は、他国でも滅多にお目にかかることのない、繊細なものなのです」
「そうであったのか」
普段何気なく使っている紙に、そのような価値があるなどこれまで朱夏は考えてみたこともなかった。やはり、商人というものは目のつけどころが違うのであろう。
「目録にある品々は、櫻花楼の名で献上致します。今上帝さまのご判断で、国王陛下に友好の証として贈られるかどうかはお決めください」
「心遣いに感謝を。それと、凛慈には他にも頼みがある」
「何なりと」
居住まいを正した凛慈に、朱夏はシャファング三世の町中での案内を頼む。
「内側が見えないように薄絹を垂らした輿で、行幸として都を案内したい。だが、朕もそれほど町に詳しいわけではないからな。其方に案内を頼みたい」
「成る程。行幸の先導を仰せつかるとは、商人としてこれ以上ない誉れですな。謹んでお受け致します」
凛慈の答えに、朱夏は安堵の息を漏らした。これで、残る懸念は奥宮の案内である。
「ああ、今上帝さま」
「何だ?」
薬草茶で喉を潤していた朱夏に、凛慈が口元を緩めて言葉を掛けた。
「少し、発音のお手ほどきを」
「うん?」
「亜伊夜の国の陛下は、シャファング三世さまと仰せでしたね?」
「ああ、しゃふぁんぐ三世どのだな」
頷く朱夏に、凛慈が口を開いてゆっくりと舌の動きを見せる。
「シャ、ファン、グ、です」
「しゃ……しゃふぁ?」
「シャファング、三世」
「シャ、ファンク、三世……?」
「シャファング三世」
根気よく教える凛慈の舌の動きを、朱夏は懸命に真似た。
「シャファング、三世?」
「そうです。お上手です、今上帝さま」
「シャファング三世どの、か」
王の名を上手く発音できた朱夏に、凛慈が微笑んだ。
「やはり、御名は正しくお呼びになられた方が、印象もよろしいでしょう」
「そうだな。其方に来てもらってよかった」
朱夏の後ろに控えていた汐之が、同じように口の中で真似ていたことには、凛慈は見ないふりをする。微笑んだまま、話題を変えた。
「行幸のご予定が立ちましたなら、またお呼びください」
「そうだな。昨日到着されたばかりであるから、まだ本宮の中も案内できていない。町へ下りる日が決まったなら、すぐに知らせる」
居室を辞そうと立ち上がった凛慈に合わせて、朱夏も長椅子から腰を上げた。
「では、これにて御前失礼致します」
「ああ。またよろしく頼む」
すっと足を踏み出した凛慈が、朱夏とすれ違う瞬間、足を止めた。小さく囁く。
「……第二室さまは、お健やかにお過ごしですか」
「ああ。三人の親王の世話も、積極的にしているらしいな」
「ようございました」
密やかな会話はそこで途切れ、凛慈は今度こそ居室を出ていった。
ふう、と息を吐き、朱夏も汐之とともに執務室へ戻るために扉をくぐる。
「奥宮への知らせは出されましたか」
「うむ。第二室からは了承の返事が来たが、正室からはまだだな」
「奥宮の女人たちが、シャファング三世陛下のお目に留まらないように、気をつけねばなりませんな」
「新たな友人として来られたからな。軽率な真似はされないと思うが」
執務室に戻る廊下を歩きながら、朱夏は午後からの予定を頭の中で組み立てていた。




