弐佰漆拾
シャファング三世が滞在する表宮の一室へ、朱夏は汐之を伴ってやって来た。
扉の外に、近衛隊の武官が護衛のために立っている。
訪れを告げて扉を開けさせると、内から疲れた様子の親雪が現れた。
「今上さま、朝のご挨拶を申し上げます」
「うむ。しゃふぁんぐ三世どのはどうされている?」
「もの珍しそうに朝餉を召し上がられ、湯殿を使われ、今は寛がれておいでです」
親雪の答えに頷き、朱夏は汐之とともに室内へと入った。
長椅子に寝そべり、侍女に腰を揉ませているシャファング三世の姿が目に飛び込んできた。
「……何をしている?」
困惑した朱夏の問いに、親雪が眉を下げて答えた。
「お止めしたのですが……国元では、いつもやっているからと」
「いや、それはいいが……あの侍女は平気か?」
「ご夫君もお子さまもおられますし、ただの揉み解しですから平気だと仰せでした」
ひそひそと扉の側で会話する朱夏に気づいたのか、長椅子からのんびりとした声が掛けられた。
『おお、シュカどの。朝から政とは、熱心なことだな』
「おはよう、しゃふぁんぐ三世どの。昨夜はよく眠れたろうか」
寝そべるシャファング三世の向かいに腰を下ろし、朱夏は気遣う言葉を掛けた。侍女に腰を揉ませたまま、シャファング三世が鷹揚に頷く。
『ぐっすり寝たような気がするが……やはり、腕の中に女を抱き込んでいないのはつまらんな』
その答えに苦笑した朱夏は、ちらりと侍女に視線を向けた。本宮に仕える中でも、上から年を数えた方が早い、長く侍女として仕えている女だった。
「昨夜お預かりした文は、今朝の内に正室へと渡してある」
『そうか。ありがたい。急かすつもりはないが、返事はいつ頃貰えるであろうか』
「貴殿が帰国なさるまでには、必ず」
朱夏の答えに満足げに笑い、シャファング三世がようやく身を起こした。
腰を揉んでいた侍女が、頭を下げて室内から出ていく。
「……気に入られたのか?」
閉じられた扉を見つめながらの朱夏の問いに、シャファング三世が首を傾げた。
『侍女に体を揉み解してもらうのは、特別なことか?』
不思議そうに尋ねられ、朱夏は少し考えて答える。
「朕自身はあまり経験はないが。そう言えば、父上もよく侍女に肩やら腰やら揉ませていたような……」
『揉み解しはな、女の柔らかい手の方がよいぞ。気持ちも解れる』
「そういうものか。まあ、機会があれば」
言葉を濁した朱夏は、運ばれてきた薬草茶に口をつけた。後ろに控えた汐之を指す。
「しゃふぁんぐ三世どの。ここに控えるのは朕の右の大臣で、義父上にもあたる湊刃の大臣である」
「湊刃の汐之と申します。亜伊夜の国の王に、ご挨拶申し上げます」
親雪の通訳を聞き、シャファング三世が鷹揚に頷いた。
『義父上ということは、シュカどのの妻の父君か?』
「うむ。息子の祖父上でもあるな」
『そうか。貴殿の家族を紹介してもらえて嬉しいぞ。よろしくな、シオノ』
シャファング三世に微笑み、汐之は一歩後ろへ下がった。
「それで、しゃふぁんぐ三世どの。我が国においでの間、どう過ごされたい?」
『どういう意味だ?』
「ただこの客間で過ごすだけでは、退屈であろう?町を見たいならば案内するし、本宮の内を見て回るのでもよい。国元へ土産など買いたいならば、つき合おう」
朱夏の言葉に顎に手を当てて考え込み、シャファング三世が海色の双眸を輝かせた。
『貴殿がつき合ってくれるのか?』
「無論、そのつもりだ」
『ならば、貴殿がお持ちの後宮が見たい』
「……は?」
築岳の通訳は完璧のはずである。だと言うのに、何を言われたのか一瞬朱夏はわからなかった。
『ああ、いや。何も貴殿の妻を見せろというのではないのだ。建物を外から眺めるだけでよい。俺の後宮と、何か違うか見てみたいのだ』
「朕の奥宮を見て、どうされたい?」
『俺は、妃の暮らす後宮をよりよくしたいからな。参考にできる造りや仕組みなどがあれば、取り入れたい』
「なるほど……?」
今いち飲み込めない朱夏に、シャファング三世が顔の前で指を立ててみせた。
『シュカどのにも、俺の後宮について語って聞かせる。妻たちが今よりも快適に過ごせる後宮へと、造り変えることができるかもしれんぞ』
「う……む」
『あとは、先ほど言っていたように、町は見てみたい。船を降りてからここまで、外の見えん駕籠に乗せられてきたからな。俺の国と気候や建物の造りも違うだろう。それを見たい』
シャファング三世の希望を聞いて、朱夏は汐之に目配せした。頷いた汐之が、拝礼して部屋を出ていく。朝議の場で話し合われた、行幸のための輿の手配を廊下に控える小姓に指示するためだ。
「では、午後からは奥宮にご案内しよう」
『昼から?今すぐではないのか?』
「外国の高貴な御方がおいでになると、あちらに知らせを出してやらねばならぬ。貴殿が来ると知らずに普段通りに過ごしていては、不手際があるやもしれぬ」
用事を言いつけられた侍女が奥宮から出てきたところに、シャファング三世と行き合って見初められでもしたら一大事である。
朱夏の懸念がわかったのか、シャファング三世はくすりと笑いを漏らしただけで何も言わなかった。




