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四季帝(しきのみかど)、愛のゆくえ  作者: 紫月 京
八の章 嵐のような客人

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弐佰陸拾漆

 

 酒を飲みすぎた朱夏は、シャファング三世の客間を辞した後、烏を伴って籠宮へと戻ってきた。

 胸の鼓動が早く、心臓の音が己の耳にまで聞こえてきそうであった。

 懐に手を当て、内にしまった書状の存在を確かめる。

 居室の扉を烏に開けさせ、朱夏は取り出した二通の書状を卓の上にそっと置いた。椅子に腰掛け、じっと封書を睨む。

 こうして眺めていても、シャファング三世の側室が――春香が何を思い何を書いてきたのかはわからない。だが、酒精の回った頭で冷静に読み進められるか、朱夏には自信がなかった。

 扉を閉じる音に我に返り、朱夏は視線を移した。烏が、朱夏の夜着を持って歩いてくるところであった。

「今上さま。今宵は大分お酒を過ごされておいでですから、湯浴みはなされない方がよろしいでしょう。今、手水の盥を運ばせますから」

「……うん」

「水を飲まれますか?」

 烏の問いに頷き、朱夏は小さく吐息を漏らした。

 杯に注がれた水を受け取り、喉を鳴らして一気に飲む。少し気持ちが落ち着いたような気がして、朱夏は烏に杯を手渡した。

「読まれないのですか」

 烏の視線の先には、二通の書状がある。煌姫宛てのものは、明日の朝奥宮に行って手渡すつもりだった。

 丁寧に『朱夏さまへ』と書かれた封書に目を向ける。

「読んだ方が、よいのだろうな」

「亜伊夜の国の王は、ご正室さまの返事をお待ちになると仰せでした。今上さまからのお返事は、求めておられないでしょう。お読みにならずとも、咎められることはありません」

 朱夏宛ての文を手渡すだけでも、不機嫌そうに表情を歪めていたシャファング三世を思い出し、朱夏は小さく笑った。あれほど、己の感情を正直に表に出せる王というものが、もの珍しく羨ましかった。

「豪放な王であったな」

「従者一人を連れただけで、遠く四季の国までおいでになられたのですから、当然かと」

「私には、できぬな」

 零された呟きに烏は眉を下げた。たとえ朱夏が外遊を望んでも、輝山の大臣や汐之が許すとは思えなかった。海を渡るというのは、想像以上に危険な旅なのだ。

「……春明が成長したなら、私が外国に渡る機会も得られるであろうか」

「外国へ渡って、何をなさいます」

「いや……具体的な何かがあるわけではないのだが」

「今上さま」

 ぼんやりと答えた朱夏の前に回り込み、烏が膝をついた。

「烏?」

「貴方さまが、真実外国へ渡ることをお望みになるのなら、吾はどこまでもお供致します。ですが……」

「うん」

「ままならない現実から、逃げたいとお考えならば、吾はお諌め致します」

 烏の厳しい言葉に、朱夏は答えられなかった。


 顔を洗い体を清め、夜着を纏った朱夏は烏を下がらせて椅子の背凭れに体を預けた。

 しばらく天井を睨み、眉を寄せて目を閉じる。頭の中に、様々な光景が浮かんでは消えた。

 奥宮で過ごす煌姫と舎利のこと。春明や、春藍、春蒼のこと。

 重臣たちのこと。上手くいっているようで、何一つ前に進んでいないような心地になってくる。

 目を開け、朱夏は背凭れから体を離して姿勢を正した。唇を引き結び、卓に置いた書状に手を伸ばす。

 ゆっくり、封を開ける。ふわり、と沈香が香ってきた。懐かしい香りに鼻の奥がつんと痛んだ。

 指先が震えないように気をつけながら、朱夏はそっと紙をめくった。

 亜伊夜の国の筆や墨は四季の国のものとは違うのか、見慣れない薄青の墨で流麗な文字が書き綴られていた。

 筆ではなく、羽ペンと呼ばれる文具を用いて綴られた文らしい。

 まだ慣れない文具で、見苦しい文字が申し訳ないと季節の挨拶に続いて書かれている。

 慎重に読み進める朱夏の脳裏に、夏の宮でともに過ごした春香の笑顔が浮かんできた。

 最後に会ったのは、妙葵に下賜する直前であった。再興した生家に戻り、輿入れの支度に取り掛かると、嬉しそうに報告してくれた。

 煌姫が春香の花嫁衣装に刺繍していた姿も思い出す。

 少しずつ、視界が滲んでくるような気がした。

 文面には、朱夏と煌姫を気遣う言葉が並んでいた。望んでやって来た亜伊夜の国ではないが、それでもこれが己の運命だと、受け入れて幸せに生きていく覚悟も綴られている。

 春香からの文は上質の紙で、幾枚も書き連ねられていた。

 朱夏と煌姫が、四季の国で並び立ち、穏やかに過ごしていけることを願う言葉で文は結ばれていた。


 長い時間をかけて読み終えた朱夏は、文を膝の上に乗せたまま天を仰いだ。

 目を閉じて、遠い異国に思いを馳せる。二度と会うことのない昔馴染みの侍女。

 四季の国までやって来たシャファング三世は、春香を心から慈しんでいるように見えた。

 あの豪快な王に愛されて、今度こそ幸せに暮らしてくれるように、朱夏は心から願ったのだった――。



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