弐佰陸拾陸
シャファング三世のために用意された、最高級の調度品に囲まれた表宮の客室。
朱夏は烏と築岳を伴い客室に入り、シャファング三世には親雪と国からついて来たらしい従者がつき添っている。
居室の中央に置かれた長椅子に向かい合って座り、壁際に護衛のために烏を立たせた。
輝山家から借り受けた年嵩の侍女たちが、酒器と軽くつまめる肴を運んでくる。
『おぉ、美女がいるではないか』
しずしずと卓に酒を並べていく侍女を眺め、シャファング三世の表情が崩れた。舐め回すようにその振る舞いを見ているが、親雪に話した通りさすがに手を出すつもりはないらしい。
じっと見られて居心地悪そうに酒と肴を並べた侍女たちが、静かに扉から出ていった。
名残惜しそうに扉を見つめているシャファング三世に苦笑して、朱夏は手ずから酒を注いでやった。
「貴殿は本当に、女人がお好きだな」
『当然だ。女は愛でるためにいるのだ。口説く機会を逃してはならんぞ』
かちり、と盃を合わせて朱夏は酒を一息に呷った。
ふう、と息を吐き、目の前に座る美丈夫に視線を向ける。
宴で出されたものとは違う肴の数々に、目を輝かせているさまは少年のようでもあった。
「しゃふぁんぐ三世どの」
居住まいを正した朱夏に、シャファング三世の視線が向けられる。
『どうした?改まって』
「先年は、我が正室を無事にお返しいただき、深く感謝申し上げる」
頭を下げた朱夏の姿に、控える親雪と築岳が息を呑んだ。慌てて、シャファング三世に朱夏の言葉を告げる。
「重罪人、妙葵の捕縛にもご助力いただき、ありがたく思っている」
『マドゥールはどうした?』
「すでに我が国での裁きを終え、罪人として処された」
『そうか……』
酒を一口飲み、シャファング三世が軽く息を吐いた。
『こちらも、知らぬこととはいえ、貴殿の妻を我が後宮に留めてしまった。無事に帰国させられて安堵している』
「しかし、貴国の風習からすれば、我が妻も貴殿の手がついてもおかしくなかったとは思うのだが。幼い女は好みではないというのは、まことか?」
朱夏の問いに片眉を上げ、シャファング三世がにやりと笑ってみせた。
『なぁ、シュカどの。せっかくこうして差し向かいで飲んでいるのだ。腹を割って話そう』
「腹を割って?」
『俺は、リリーナを愛していてな。マドゥールが連れてきたシーキ国の女なのだが』
「っ!」
目を瞠った朱夏に構わず、シャファング三世は上機嫌に続ける。
『俺の初めての子を身籠った、慎み深い女でな。今はアイーヤ国の後宮で、俺の妃として過ごしている』
「……そう、か」
『シュカどのは見知っているのだろう?貴殿の妻の側を、ずっと離れず守っていたぞ』
「そう、だな」
苦い笑みを浮かべる朱夏に、シャファング三世は酒を注ぎながら言葉を重ねた。
『実はな。今回外遊に出たのは、その妃から頼まれたからなのだ』
「え……っ?」
顔を上げた朱夏に、シャファング三世が人好きのする笑みを浮かべた。
「頼まれた?」
『そうとも。遠く離れ離れになったかつての主へ、文を届けてほしい、とな』
「文……それだけで、海を渡ってきたのか?」
扉の側に控えた従者に目をやったシャファング三世の手招きに、褐色の肌の従者が歩み寄ってきた。シャファング三世と同じように、腰に薄布を巻き上衣を引っ掛けただけの姿である。
『これは、その妃から貴殿の妻に宛てた文だ』
「煌に……」
『ん?テルというのか?名は聞いていなかったな』
従者から手渡された書状を、シャファング三世が卓の上にそっと置いた。
『愛しい女の頼みは、聞いてやらねば男がすたるだろう?宰相は苦い顔をしていたが、俺の決定に異を唱えることなど誰にもできん』
「それ、で……こんな、遠く離れた我が国まで?」
『首尾よく願いを叶えたなら、リリーナは俺をもっと愛してくれるかもしれんだろう?子を産んでもつれないあいつを、俺は振り向かせたくてな』
片目を瞑ったシャファング三世が、嘘を吐いているようには朱夏には見えなかった。
卓の上に置かれたのは、恐らく春香からの文である。煌姫に宛てて、一体何を書いて送ってきたのか。だが、勝手に読むわけにもいかなかった。
震える指を、書状に伸ばす。
「では、これは朕が預かる。必ず、我が正室の手元に届けよう」
『頼んだ。そしてな、その返事を貰えるまで、この国に留まりたい』
夏煌丸と大船は夏の初めに戻ってくる。そして翌月には再び大港を出航する。シャファング三世が四季の国の船に乗って帰国するつもりならば、三月ほどの猶予があるということだ。
『それと……』
それまで機嫌よく話していたシャファング三世が、面白くなさそうに眉を顰めた。
「しゃふぁんぐ三世どの?」
『こっちは……ちと渡すのは気に食わんが』
「……?」
従者からもう一通の封書を受け取ったシャファング三世が、卓の上に再び乗せる。
『俺の妃から、貴殿に宛てた文だ』
「っ!」
『悪いが、さすがに中身は先に検めさせてもらった。俺の妃になったのだからな。他の男への恋文など許せん』
シャファング三世の言葉が、朱夏の耳を素通りしていく。卓の上に乗せられた文の表には、懐かしい文字が書かれていた。
「……春香」
そっと封書をなぞる朱夏の震える指先を、シャファング三世がじっと見つめていた。




