弐佰陸拾伍
大内殿の上座に朱夏が座り、その隣にシャファング三世のための席が用意されていた。
朱夏の隣に築岳が控え、シャファング三世には親雪が側についた。
輝山の大臣が盃を掲げ開会を告げる。
「遥か遠き異国の地より、新たに我が国の友人となってくださった王をお迎えした喜ばしい夜を、皆で盛大に寿ぎましょう」
おおっと歓声が応え、そこかしこで盃を合わせる音が響いた。
朱夏もシャファング三世に向けて盃を掲げ、隣の築岳が囁く通りに亜伊夜の国の言葉を口にした。
「『喜ばしい夜に、乾杯』」
『おお、シーキ国の酒か。楽しみだな』
上機嫌に盃から酒を飲むシャファング三世の隣には、親雪の他にもう一人、褐色の肌の従者が控えていた。さすがに一国の王が、たった一人で外国へ渡るのは許されなかったらしい。
四季の国を囲む海で穫れた魚を主とした料理が膳に並べられ、シャファング三世が不思議そうに手を伸ばそうとした。そこへ、親雪がそっと声を掛ける。
『陛下。我が国では、手で食物を掴む習慣はございません。こちらは箸という四季の国で食事の際に使うものです。陛下には、匙をご用意致しました』
『ふむ。俺は手で食べる方が好きだが、仕方がないな』
親雪に指された匙を手にし、シャファング三世が身をほぐされた魚を掬う。
「しゃふぁんぐ三世どのは、魚は初めてか?」
『我が国は熱砂の地域で、海は遥か遠くだ。ショコー国まで行けば海の幸もあろうが、俺は食べたことはない』
「亜伊夜の国では普段、どのようなものを食すのだ?」
『肉だな。羊や鶏の肉を焼き、パンとともに食べる。あとは、果物だな』
互いに通訳を交えての会話は、なかなか意思の疎通ができないかと思われたが、親雪も築岳もその優秀さを遺憾無く発揮した。朱夏とシャファング三世の会話は途切れることなく、互いの国の民や風習について語り合う。
『この食べ物は何だ?匙で掬えないぞ』
シャファング三世の匙の先にあるのは、祝いの席で食される寿餅である。
「寿餅だな。祝いの席で食べられる。……小刀で切り分けて差し上げよ」
後ろに控える小姓に告げ、朱夏はシャファング三世によく見えるように、餅を口にしてみせた。
「こう、よく伸びる食べ物であるから、喉に詰まらせやすい。気をつけられよ」
『うぅむ。面白いな』
好奇心に瞳を輝かせて、シャファング三世が苦戦しながら餅を口に入れた。
朱夏とシャファング三世の友好的な雰囲気に、見守る重臣たちも安堵したようである。それぞれ、思い思いに酒を飲み始めた。
食事の膳があらかた減り始めた頃、シャファング三世がぽつりと呟いた。
『ツィカユーキの言う通りだなぁ』
『陛下?』
『こうして見渡しても、侍女の姿が見えん。給仕に来る者も、見目よいが男ばかりでつまらん』
『……陛下』
頭を抱えたのは親雪と、朱夏側に控える築岳である。何を言われたのかわからず、通訳を待つ朱夏はきょとんとしている。
「親雪?築岳?しゃふぁんぐ三世どのは何と言われた?」
「あ、えぇっと……」
言葉に詰まった親雪の代わりに、築岳が朱夏に耳打ちした。
「やはり、女人の姿が見えないことがご不満のようです」
「あぁ……」
『陛下、ここは四季の国です。宮中で侍女どのの姿を見かけても、お手をつけたりなさらないでくださいませ』
親雪の言葉に、シャファング三世は心外だと言わんばかりに鼻を鳴らした。
『お前、俺を何だと思っているのだ。いくら俺でも、他国で不義理はせんぞ。ただ、美女は目に楽しいから、見るくらいはよかろう』
築岳に通訳された朱夏は、苦笑を浮かべながら盃を卓に置いた。
「しゃふぁんぐ三世どのは、国に大きな奥宮をお持ちだと聞いた。さぞ、美女を侍らせておいでなのであろうな」
『おぉ、そうなのだ。俺の唯一にして絶対の仕事は、王族の血を絶やさないことだからな。宰相も重臣どもも、俺が後宮から出てくるのにいい顔はせん』
あっけらかんと告げられた内容に朱夏は目を剥いた。それでは、亜伊夜の国の政は重臣たちだけで回しているのだろうか。
疑問が顔に出ていたのか、シャファング三世が腕組みして頷いた。
『無論、すべての決定権は俺にある。重臣どもが話し合った内容を、宰相が後宮の俺の元まで知らせに来る。そこで、決か不決かを決めるのが俺の役目だな』
「我が国とは、政のあり様が随分違うのだな」
『貴殿も後宮をお持ちか?美女を数多集めておるのか?』
ここまでの会話の中で、最も瞳を期待に輝かせたシャファング三世の様子に、朱夏は再び苦笑した。
「朕の妻は二人だ。正室と、第二室。他は要らぬ」
『二人だけか?それでは、子はそう多くできぬのではないか?』
「すでに三人親王がおる。朕の血を引く子があまり多いのも、覇権争いの種となる」
『そうか。俺の国では、俺の長子が跡を継ぎ、他の子らがその補佐のための重臣になるからな。子は多い方がいい』
興味深くいつまでも話を聞いていたかったが、そろそろ夜も更けてきた。シャファング三世を表宮の客間へと戻さなければならない。
「今宵は、表宮でゆるりと旅の疲れを癒されよ。明日は、我が国を見て回られるか?」
『そうだな……いや、疲れはそれほどではない。せっかくの外遊だ。もう少し貴殿と飲みたいが』
ちらりと重臣たちに目を向けたシャファング三世に、朱夏は不思議に思いながらも頷いた。
「では、この後は貴殿に用意した客間で、差し向かいで酒を酌み交わすと致そう」
朱夏の目配せを受け、輝山の大臣が頷いた。重臣の一人と乾杯していた汐之を呼び寄せる。
「今上さま、お呼びですかな」
「これより、しゃふぁんぐ三世どのと客間にて酒を飲む。其方には、扉外の警護と見張りの手配を頼みたい」
「御意。今上さまの護衛はお連れくださいませよ」
大内殿の入口近くに控える烏に目をやった汐之に、朱夏は大きく頷いた。




