弐佰伍拾伍
春の花々が咲き誇るよく晴れた吉日。
本宮の奥にある大広間で、朱夏帝の正室煌姫の成人の儀が厳かに執り行われた。
一段高くなった壇上に帝の御座と正室のための席が用意され、紫紺の衣と濃紺の袴を纏った朱夏が帝の冠をつけて座している。
隣の正室の椅子に煌姫がゆったりと座り、濃紺の扇で顔を隠していた。薄桃色の衣は最高級の絹で仕立てられており、濃紺の裳は裾が床に届くほど長い。濃い青色の帯には真珠の帯留めがあしらわれ、薄茶色の髪は複雑な形に結い上げられていた。
正室としての冠を頭に飾り、祝詞を唱える神官長の姿を扇の陰からじっと見つめている。
ようやく姿を拝めた重臣たちはにこやかに式典を見守り、一段低い位置に立てられた几帳の陰では式典用の装束を纏った舎利が控えていた。煌姫に配慮したのか、普段の濃紺のものとは違って顔を隠す扇の色は薄青である。
「世を遍く照らす今上帝さまに、並び立たれるご正室さまのご成人を寿ぎ、その御世が末永く繁栄するようにお祈り申し上げます」
神官長が祈りの言葉で結び、深く拝礼した。重臣たちが一斉に拍手を送る。
一つ頷き、朱夏は御座から立ち上がってその場の者を見渡した。
「この場に集った者たちと、こうして朕の正室の成人を祝えることを喜ばしく思う。これまで以上に国と朕、そして我が正室に忠義を尽くすように」
重臣たちが再び頭を下げたのを確かめ、朱夏は御座に座り直す。一歩前に進み出た輝山の大臣が、重臣たちに向かって口を開く。
「この後は、大内殿での祝宴となります。今上帝さまとご正室さまもご参加なさいますので、無礼講の美酒を味わわれますよう」
わっ、と沸いた重臣たちが、顔を綻ばせて順に大広間を出ていく。どの表情にも、慶事を喜ぶ色が乗っていた。
ほうっ、と朱夏の隣で煌姫が息を吐き出した。式典の間は扇で顔を隠していたが、やはり重臣たちの集まる公の場ということで緊張していたようだ。表情の固い煌姫を気遣うように、朱夏は声を掛けた。
「疲れたであろう?祝宴は欠席するか?」
その言葉に目を見開き、煌姫は朱夏に向かって首を振った。
「わたくしの、初めての公の場なのです。きちんと、最後までおりますわ」
煌姫が公の場に姿を現したのは、今日が初めてというわけではない。父春日の葬儀や、朱夏との成婚の儀の折に、重臣たちの前に出たことはあるのだ。だが、その頃とは煌姫の心構えが違う。朱夏の正室として、きちんと自覚して隣に立つのは初めてのことであった。
几帳の陰から静かに舎利が出てきた。床上げしたばかりの舎利を気遣って浪嶺が支えるようにつき従い、ゆっくりと御座に向かって歩いてくる。
朱夏の隣で、煌姫が身を固くしたのがわかった。濃紺の扇を持つ指先が、微かに震えている。
壇上に上がらず、御座から少し離れた手前で舎利が足を止めた。浪嶺に支えられながら、ゆっくりとした動きで拝礼しようとするのを、朱夏が立ち上がって制した。
「無理を致すな。浪嶺、座らせてやれ」
「かしこまりました」
奥宮からともにやって来ていた侍女が、舎利のために椅子を運んできた。逡巡したように眉を下げた舎利だが、朱夏の強い瞳に見つめられて諦めたように腰を下ろした。
ふう、と息を吐いて、舎利が壇上の煌姫を見つめる。
「このような姿で、ご無礼致します。今上帝さまの第二室を務めます、沢利と申します。ご正室さまにおかれましては、ご成人まことにおめでとう存じます」
「……ありがとう」
「ご挨拶が遅れましたこと、お詫び申し上げます。明日より先は奥宮にてどうぞ、よろしくお見知りおきくださいますよう、お願い申し上げます」
薄青の扇で顔を隠したまま、椅子に座して頭を下げた舎利に、煌姫は鷹揚に頷いた。だが、その表情は固い。
「ご体調が、よろしくないの?」
祝宴の時が迫ってはいたが、こうして煌姫と舎利が正面から顔を合わせるのは初めてのことであった。以前に奥宮ですれ違ったのは、事故のようなものだと朱夏は思っている。少しの間、挨拶をする時を取ってやりたかった。
「お気遣い、ありがとう存じます。ご正室さまにご心配いただくほどのことはございませんわ」
艶やかに微笑んだ舎利の表情には、三人もの子を産んだ自信が満ち溢れている。だが、煌姫に挑戦的な瞳を向けることは決してなかった。
「大内殿での宴には、わたくしは欠席させていただきます。そのお詫びを申し上げたくて、足をお止めいたしました。申し訳ございません」
「……わたくしも、貴方とお話してみたかったから、構わなくてよ」
煌姫の返事に舎利は微笑み、朱夏にも視線を向けた。
「嬉しいお言葉、ありがたく存じます。今上帝さまにおかれましても、ご正室さまのご成人、まことにおめでとう存じます」
「ああ。しかし、其方に無茶をさせた。朕と正室はそろそろ宴に移るゆえ、侍女たちとともに奥宮へ戻り体を休めるがよい」
「お心遣い、ありがとう存じます」
舎利の返事に頷き、朱夏は煌姫を促して立ち上がった。
「さあ、煌。次は祝宴だ。重臣たちが酒を注ぎに来るぞ」
「わたくし、酔ってしまわないかしら」
首を傾げ、差し出された朱夏の手に手を重ねて立ち上がった煌姫が、不安そうに呟いた。
「酔ったならば、朕が抱え上げて夏の宮へ戻ってやろう。あちらの宮で過ごす最後の夜だ。早めに戻りたいであろう?」
「まあ……」
頬を染めた煌姫に微笑みかけて、朱夏は一度舎利に視線を送った後で大広間を後にした。




