弐佰肆拾捌
執務室からほど近い、表宮の一室。
烏が開けた扉から内に入った朱夏は、待機していた輝山の嫡男と顔を合わせた。
「待たせたな、紘通」
輝山の大臣の三男で、嫡男の紘通が深々と頭を下げた。
縦にも横にも大きい紘通は、しっとりとした黒髪を頭頂で一つに纏め、淡い水色の瞳でじっと朱夏を見つめている。目尻を下げる様子が輝山の大臣とよく似ていた。
「世を遍く照らす今上帝さまに、輝山の紘通がご挨拶申し上げます」
「うむ。こうして言葉を交わすのは、春明の二歳の祝い以来か」
長椅子に腰掛けながらそう尋ねる朱夏に、紘通は何度も首を縦に振る。
「左様でございます。新年の宴では、重臣の方々だけがご挨拶なさいましたから」
「まあ、掛けよ。今、茶を淹れさせる」
壁際の烏に目配せした朱夏は、紘通に向かいの長椅子を指し示した。
「恐れ多いことでございます」
「よいから。其方が立ったままでは、朕が話しにくい」
「それでは、失礼致しまして」
ようやく腰を下ろした紘通に、朱夏は苦笑とともに言葉を掛ける。
「性急で悪いが、朝議の場で話し合われた結果を伝える」
「はい」
「湊刃の大臣を朕の左に据え、其方には右の大臣を務めてもらいたい」
烏が淹れた薬草茶の茶器が、卓に静かに置かれた。
「烏。朕には糖蜜も頼む」
「かしこまりました」
朝議で頭を使った後の朱夏は、甘みを欲していた。薬草茶の茶器に糖蜜を一滴垂らしてもらい、一口含んで満足げに息を吐く。
同じように薬草茶を口にした紘通が、探るような目で朱夏を見た。
「重臣の方々は、納得なさいましたか」
「本心から納得したとは言えぬであろうな。其方が経験を積むまで、己が家から繋ぎの大臣を出そうと目論んでいたであろうから」
「それでも、押し切られたのですね?」
「繋ぎが繋ぎでなくなったら困る」
茶器を卓に戻し、朱夏は叔父の瞳を正面から見つめた。
「無論、其方が大臣としてやっていけぬと言うのならば、他家から選出することも考える」
この場に両大臣は来ていなかった。父親である輝山の大臣や、汐之がいる前では腹を割って話せないかもしれないと考えたためだ。両大臣は執務室に戻っている。
「意地の悪い仰せですな。私が自信がないと、そう申し上げたなら繋ぎの大臣を選ばれますか」
「ふん。そのようなこと、其方は言うまい。重臣たちはまだ知らぬであろう?」
鼻で笑った朱夏に、紘通の口元に苦笑が浮かんだ。
「優しげなその風貌と穏やかな物言いに、重臣たちは其方を舐めてかかっているであろうからな」
輝山の大臣譲りの穏やかさで、宮中の文官たちとも上手く交流している紘通を、重臣たちは容易に御せると考えていることであろう。
「これはまた。随分と私への評価が酷いようで」
「其方の腹の中が真っ黒なのは、よくわかっている」
「はっきり仰せですな」
茶器を置いた紘通が、眉を下げてみせた。
「だが、その腹黒さは己の野心のためではなかろう。輝山家を守り、朕を盛り立て、国をよりよくしていくためのものだ」
「これは、面映ゆい」
「そのために必要ならば、不穏な考えを持つ者を炙り出そうと、その口元に柔和な笑みを浮かべて相手の懐に入る。朕はそれを、評価している」
宮廷に仕える文官や武官との交流は、朱夏に不満を持つ者や国に弓引こうなどと大それた考えを持つ者がいないかを探るためでもあった。
「それで、右の大臣を引き受けてもらえるのであろうか」
「帝となられてから、性格が悪くなられましたかな?」
からかうような紘通の声音に、朱夏はくすりと笑いを漏らした。
「弱いままでは、国も家族も守れぬ」
「左様ですな」
「朕の性格が悪かろうと、国を守り民を導き、四季の国を豊かにしていけるのならば構うまい?」
それに、と朱夏は声を潜めた。
「そのような姿、正室や第二室には見せぬ」
その言葉に、初めて紘通の表情が崩れた。飄々としていたのが、面白そうに目を見開く。
「愛が深くてよろしいことです」
「いずれ、其方にも会わせる時が来るだろう」
「楽しみなことですな」
ふふっと微笑み、紘通は居住まいを正した。
「右の大臣、謹んでお受け致します」
「うむ。これからよろしく頼む、叔父上」
信頼の滲む朱夏の声に、紘通は心から破顔したのである。
四季の国の、新たな右の大臣が決定した瞬間であった。




