弐拾参
居室を辞し、差し出された小さな手をそっと握って歩き始める。
桜の離宮の入口までの廊下を、庭に咲く花々を眺めながら朱夏はゆっくりと従妹と進んだ。
後ろを、侍女長の秋穂と烏、そして煌姫の侍女である春香が音を立てずについて来る。
夏勢帝と春日は、居室に残った。別れが辛くなると言って見送りを断った叔父に、父はしばらく寄り添ってから本宮へ戻ると言う。
いつでも夏の宮に訪ねてきてくれるように声を掛け、朱夏は従妹と並んで歩く。まだ、伴侶となるには幼い煌姫だが、今日からは夏の宮でともに暮らすのだ。
「従兄さまは、いつもお花をくださったわ」
「うん?」
唐突に呟いた煌姫に、朱夏は問い返した。すぐそこに、入口の扉が見えてきていた。
「わたくしも、従兄さまに何かさしあげたいの」
「その気持ちだけで十分だよ」
朱夏が優しく答えると、煌姫は大きく頭を振った。
「父上さまが、言っていたもの。従兄さまは、おいそがしいから、おじゃまをしてはいけないって」
「其方が邪魔になることなど、何もないよ」
先回りした烏が開いた扉から、離宮の外へと出た。
「ごいっしょできない時も、わたくしのことを思ってもらえるように、何かおくりものをしたほうがよいって、はるかが」
ちらりと後ろに目を向けると、春香が困ったように微笑んでいた。
幼い従妹の気持ちを無下にはできず、朱夏は笑みを浮かべて答える。
「其方は、私に何を贈ってくれるのだ?」
「従兄さまに、よろこんでいただきたいの」
悩むように一瞬俯き、煌姫が視線を朱夏に向けた。
「何か、わたくしのいろのものを、従兄さまにおくりたいわ」
「其方の色、か……」
「いつでも持っていただけるようなものがいいわ」
夏の宮への道を歩きながら、従妹の姿を視界に映す。
薄茶の髪に薄桃色の瞳。春のすべてを詰め込んだような、淡い色合いの従妹姫。母である柊に生き写しとまで言われている、可愛らしい従妹。
生まれた時から朱夏の許婚と決められ、宮中を出たこともない帝一族の掌中の珠だ。
「では、私からも其方に、私の色のものを何か贈ろう」
「従兄さまの、お色?」
「ああ。今其方が身に着けている帯のように、私の色の物を纏ってくれるか?」
前方に夏の宮の建物が見えてきた。幼子と歩む道は、やはり時がかかってしまった。
しばらく考え込んでいた煌姫が、ぱっと顔を上げた。
「わたくし、つぎの手習いからは、ししゅうをおそわるの。じょうずにできるようになったら、従兄さまに、わたくしの色のものを、さしあげるわ」
「それは楽しみだ」
夏の宮の入口を守る衛士が、朱夏一行に頭を下げて扉を開いた。
「ここが、其方の部屋だ」
沓を履き替えて宮の内を進み、朱夏の私室とは廊下を挟んで向かい側の部屋の扉を開けた。朱夏が使っている物と同じ黒檀で造られた調度品と、薄桃を基調とした絹で飾った室内に、煌姫は瞳を輝かせた。
「わたくしのおへや!」
駆け出そうとして、朱夏と手を繋いだままだったことに気づいたのか、煌姫の動きが止まる。
くすっと笑い、朱夏はそっと手を離した。
「ゆっくり見て回るとよい。気に入らぬところがあったなら、すぐに言っておくれ」
「はい!」
満面の笑みを浮かべて煌姫が駆け出した。慌てたように、秋穂がついて行く。
部屋の入口からそれを見つめていた朱夏の隣に、春香が並んで立った。
「親王さま、素敵なお部屋をありがとう存じます」
「其方も、今日からここに詰めるのか?」
「はい。夜は、その……親王さまのお側に参りますわ」
告げられた内容に驚き、朱夏は思わず春香を見た。少し頬を染め、煌姫から視線を外さずに春香が続ける。
「今上帝さまからも春日親王さまからも、そのように申しつかっております」
「必要ない」
己で思うよりも低い声が出て朱夏は驚いた。だが、春香は煌姫の侍女だ。そのようなことはさせられない。
「私の寝所に侍る必要など、ない」
声が震えそうだった。幼い従妹に聞こえないように、知らず密やかな声となる。
「ですが……」
「父上や叔父上から何を言われたのか知らないが。私は煌を伴侶として迎えるのだ。戯れに、他の女に手をつけるつもりはない」
きっぱりと言い切ると、春香は困ったような表情で引き下がった。きっと、父帝や叔父に報告がされるだろう。春香は命に従っただけだとわかっている。だが、朱夏の胸の内には苦いものが広がっていた。
瞳を輝かせて室内を見て回る従妹姫から、そっと視線を逸らした。




