弐佰肆拾
朝日とともに囀る小鳥の鳴き声に、朱夏はうっすらと瞼を上げた。
窓から差し込む日の光が、室内を照らしているのが薄布越しに見える。
身を起こそうと動きかけた時、じっとこちらを見つめる薄桃色と視線がぶつかった。朱夏と視線を絡ませ、白い頬が朱に染まる。
「……煌」
そっと頬に手を伸ばし、柔らかな肌を撫でた。
「朱夏さま……」
「気分はどうだ?」
「よく、眠れました」
煌姫の額に唇を押し当て、朱夏はゆっくりと身を起こした。寝台脇の小卓に置かれた呼び鈴を鳴らす。
静かに扉が開かれ、頬を上気させた莉羅が手水の盥を手に入ってきた。
「おはようございます。今上帝さま、お方さま」
「ああ。煌の支度を手伝ってやれ」
寝台を降りようとした朱夏に、煌姫の手が伸ばされた。掛布がめくれ、何も身に着けていないことに気づいた煌姫が慌てる。
「あ……」
恥ずかしそうに目を逸らした煌姫の頭を撫で、朱夏は微笑んで立ち上がった。
「まずは、身支度を済ませよ。体がきついようならば、今日は横になっていてもよいぞ」
「……はい」
煌姫の答えに頷き、朱夏は自身も着替えるために衝立の陰へと移動した。
莉羅とともに室内に入ってきていた烏が、朱夏に手水の盥を差し出す。顔を拭き口をゆすいで、朱夏は手早く紫紺の衣と濃紺の袴を身に着けた。
近頃は群青色の装束を纏うことも多くなっていたが、煌姫のいる夏の宮でそれは憚られる。
「今上さま、お方さまとの夜を過ごされ、お慶び申し上げます」
密やかな烏の言葉に、朱夏は苦笑した。舎利の入内に向けて朱夏の背中を烏が押したことは、煌姫には黙っていようと心に決めた瞬間である。
「今宵と明日の夜、夏の宮に渡らねばならぬ」
「はい。……奥宮には、そのように?」
「黙っていても、いずれは伝わるだろうからな。あちらは敏く、しっかり弁えている。文で知らせておこう」
「直接お顔を合わせてお伝えにならず、よろしいのですか」
烏の問いに答えず、朱夏は衝立の陰から出た。あまり長い時間をかけていては、煌姫に不審に思われる。
濃紺の衣に薄桃色の裳を合わせた煌姫が、莉羅に支えられて寝台に座っていた。唇に薄く紅を引き、薄茶色の髪は綺麗に結い上げられている。人の妻となった女性の髪型であった。
「煌。体は辛くないか?」
無理をさせないように気をつけた朱夏ではあったが、初めての夫婦の夜を過ごしたばかりである。体の成長の途中である煌姫が、苦痛を感じていないか案じられた。
莉羅に手渡された水を飲んでいたところだった煌姫は、頬を染めて頷いた。
「お気遣い、ありがとう存じます。少し腰が重いような気が致しますが、平気ですわ」
「そうか」
煌姫の隣に腰を下ろし、朱夏はその肩を抱き寄せた。
「朝餉は夏の宮で食べる。その後、私は朝議と執務があるが、今宵また渡って参る」
「はい」
「昼の間は来られぬが、心細くはないか?」
煌姫が、朱夏の肩にそっと頭を乗せた。
「……煌?」
「わたくし、幸せですわ。こうして、朱夏さまと朝を迎えることができました」
「……」
煌姫の頭に頬を乗せ、朱夏は言葉の続きを待つ。
「眠れない夜も多くありました。こうして夏の宮で過ごしていても、まるで夢の中にいるようで」
「夢の中?」
「帰ってこられたのだと。朱夏さまの腕の中でようやく実感できました」
堪らなくなって、朱夏は煌姫の体を腕に抱き込んだ。
「……もっと早く、こうして其方の元へ来ればよかったな」
朱夏の腕の中、煌姫が緩く首を振った。
「朱夏さまには、お立場がございますもの。本当なら、わたくしも奥宮に入らねばならないのだと、秋穂がそう言っておりました」
「……」
「でも、怖くて……。朱夏さまが他の誰かに微笑まれるのを見るのも。知らない侍女たちに、わたくしのことを奇異の目で見られるかもしれないことも」
囁くように語る煌姫の声は、震えてはいなかった。朱夏の腕の中から、じっと薄桃色の瞳が見上げてくる。
「こうして朱夏さまの腕の中にいると、とても安心致します。わたくしこそ、もっと早く、勇気を出してこちらへ来ていただけばよかった」
悔やむ言葉を告げる煌姫の頬に手を当て、朱夏はじっとその瞳を覗き込んだ。
「これからは、胸の内を隠さずにいてほしい。私たちは、世にも天にも認められた夫婦なのだ。辛いことは辛いと、嫌だと、私に話してくれ」
「……はい」
泣き笑いのような表情を浮かべて、煌姫が朱夏の胸に額を押し当てた。




