弐佰参拾漆
表宮の執務室に戻った朱夏は、秋穂の処遇を汐之に尋ねた。
「明らかな罪を犯したとは言えませぬからな。親王さまに手が届く前に、私が押さえつけてしまいましたので、ひとまず逃げ出せぬように見張りを立てて一室に押し込めてあります」
「奥宮の様子は?」
「ご正室さまがおいでだったことは、仕える者たちに広まってはおりませぬ。お姿を見た者も少なく、運がいいことにあの回廊にたどり着くまで他の者ともすれ違わなかったようです」
汐之の報告に安堵の息を漏らし、朱夏は秋穂をどうすべきかに頭を悩ませた。
「侍女長どのは、一度ご生家に戻されてはいかがですかな」
輝山の大臣が告げた提案に、朱夏は目を見開いた。思わず、左の席に視線を向ける。
「輝山の大臣?」
「侍女長どののご生家は、確か東領であったと記憶しております。お子さまが家を継がれ、無難な領地経営をしていると報告もございます」
「東領か」
秋穂の子ならば、朱夏が幼い頃にともに過ごしたことのある乳母子ということになる。家を継ぐために、朱夏が十になる前には領地に戻ったはずであった。
「春明親王さまを害そうとしたなどと公にしては、ご正室さまにもよくない噂が立つやもしれませぬ。あの方は、夏の宮でご正室さま付きの筆頭というお立場ですからな」
顎に手を当て、朱夏は考えてみる。このまま煌姫の側に秋穂が仕え続ければ、今日のようなことはいずれ再び起きるだろう。煌姫が心穏やかに過ごせるためにも、身重の舎利の安全のためにも、秋穂を遠ざけた方がよさそうではあった。
「だが、名目は何とする?」
「女人にこのような言い方は失礼でしょうが。お年を召され、思うようにご正室さまに仕えることが叶わなくなったため、ご生家へ戻ったとされればいかがでしょうか」
「現在夏の宮に仕える者の数は、ご正室さまのお心を慮って少なく抑えてあります。侍女長どのについて、噂が広がることはないでしょう」
煌姫と直接顔を合わせるほど近くに仕える者は、それほど多くない。箝口令を敷く必要はないということだ。
「では、秋穂についてはその対応で其方らに任せる。後は、夏の宮の新たな侍女長を定めねばならぬが」
心から煌姫に尽くしている莉羅が残ることになるが、侍女長という責任ある立場を任せるにはどうにも不安の残る侍女である。
「侍女長の立場は、一旦保留になさってはいかがですか」
「保留?」
汐之の言葉に朱夏は眉を寄せた。
「正室の住まう宮に侍女長がおらぬのは、また重臣たちが騒ぐぞ」
「ご正室さまはいずれ奥宮に移られる。その折に、名家から侍女長を迎えるとでも伝えておけばよろしい」
乱暴な意見に吹き出したのは輝山の大臣である。くすくす笑いながら、汐之の話を手元の紙に書きつけていく。
「……それと、今宵夏の宮へ渡る」
耳の先が熱くなるのを感じながら、朱夏は努めて事務的に両大臣へと告げた。
「今上さま、それは……」
「夏の宮で朝を迎えることになるだろう」
「おめでとう存じます、と申し上げてよろしいのですかな」
首を傾げた汐之に、朱夏は狼狽えながら頭を縦に振った。
「煌の成人まで待つつもりでいたのだが。やはり第二室や春明の姿を見て、不安になったのだろう。捨て置くわけにはいかぬ」
煌姫が朱夏の子を欲したことは、敢えて口にしなかった。悲痛な胸の内を明かした煌姫の想いを、裏切るようなものだ。
「では、本日の執務は早めに切り上げた方がよろしいですな」
「それと、一度奥宮へ行ってくる」
朱夏が戻るまで、舎利の私室の扉の鍵を開けるなと、浪嶺に命じてあった。もう大丈夫だと書状など送っても、きっと浪嶺は扉を閉ざしたままにするだろう。直接、朱夏が顔を見せる必要があった。
「お忙しいことですな」
「からかうな」
「いえ。ご正室さまにも第二室さまにも、きちんと気を配られるのは必要なことですよ」
その言葉に輝山の大臣も頷いた。
「左様。どちらかだけを尊重するような態度を見せては、蔑ろにされたと感じさせてしまいます。諍いの芽など、作らぬ方がよろしい」
側室を多く抱えてしまっては、それだけ気を遣う相手が増えるということだ。父や祖父は、よくあれほど多くの側室を迎えたものだと朱夏は感心する。
「本日は急ぎの決裁はございませんし、奥宮へ行かれた後、籠宮で湯を使って夏の宮へ渡られませ」
てきぱきと予定を立て、壁際に控える小姓へ指示を出し始めた汐之を朱夏は気恥ずかしく見守った。




