弐佰参拾弐
夏煌丸の航海は、半年毎に大陸へ渡るという周期が安定し始めた。
四季の国を旅立つ際に特産品を乗せていき、戻ってくる折には唱洪の国や亜伊夜の国からの交易品を乗せて帰還するという形が出来上がっていた。元からあった二隻の大船とも連携し、密な交易ができるようになったのである。
時折外国の王族や貴族に向けて、帝の親書とともに大粒の真珠を積んでいくこともあった。
国内の気候も安定し、朱夏の治世に重臣たちも納得し始めた秋の入口。本日は、櫻花楼から奥宮への献上品を届けに、荷車が本宮へと立ち入っていた。女性の店員を引き連れ、凛慈が引率してきたはずである。
執務室で机に向かう朱夏の元へ、奥宮の黒門前に待機しているはずの凛慈から、文が届いた――。
「……何だと?」
執務机で凛慈からの書状に目を通していた朱夏の眉間に、深く皺が刻まれた。
左右の大臣から、気遣わしげな視線が寄越される。
「今上さま。どうなされました」
「……煌が」
「はい」
「奥宮に現れた、と」
「はっ?」
煌姫が夏の宮で過ごすようになって、三月が経っている。この間、朱夏は煌姫と顔を合わせていなかった。煌姫の心が落ち着くまで、来訪を控えてほしいとの秋穂からの申し出によるものだ。
書状を机に放り出し、朱夏は勢いよく立ち上がった。
「奥宮へ行く」
何故煌姫が、奥宮に姿を現したのか。側で仕えるはずの秋穂や莉羅はどうしたのか。まさか一人歩きを許したとも思えないが、そうだとすれば彼女たちが煌姫を奥宮まで連れて行ったことになる。
身重の舎利と幼い春明が案じられ、朱夏は顔色を悪くした。
「今上さま。私もお供してよろしいですかな」
汐之の静かな声に我に返り、朱夏は己を見つめる深緑の瞳に頷いた。
「許す。輝山の大臣、こちらは任せる」
「御意」
朱夏の許可を得て、汐之も立ち上がった。執務室を飛び出す二人の後を、烏が音を立てずについて行く。
早鐘を打つ心臓を押さえ、朱夏は足早に本宮の廊下を歩く。駆け出したいが、異常が起きているとすれ違う文官たちに悟られたくはなかった。
奥宮までの道のりが、これほど遠く感じたことはない。唇を引き結んだ朱夏に、汐之も烏も言葉を掛けずに従った。
黒門の前に櫻花楼の荷車が見えてきた。傍らに、朱色の袍を纏った凛慈の姿もある。こちらに気づき、目を見開いた後で凛慈が頭を下げた。
「知らせを貰って来た。……其方が見つけたのか?」
まだ人通りのあるこの場所で、煌姫の名を出すことが躊躇われた朱夏の問いは曖昧なものとなった。
だが、凛慈は朱夏の真意を汲み取り、眉を下げて頷いた。
「私も、直にお目にかかったことはございませんでしたから、はきとは申せませんが。こうしてお運びした品を検めながら、店の者に渡しておりました」
荷車を指し、凛慈が状況を説明する。
「最後のお品を取り出そうとした時です。ふと、視線を感じまして。あちらの角に、質の良さそうなお衣装を纏った女人を見つけました」
凛慈の指差した方角にちらりと視線を向け、朱夏は黒門へと顔を戻した。夏の宮から本宮へと入ってこられる小門のある方向だった。
「さすがに、この宮中であのお色の髪と瞳を持つ御方は、お一人しかおられないと思いまして。手を止めて拝礼致しました」
「それで?」
「……おっとりと微笑まれ、こちらへ歩いてこられました。お供は、年嵩の侍女どのがお一人」
朱夏の脳裏に、甲斐甲斐しく煌姫に尽くす秋穂の姿が浮かんだ。
「この荷車のすぐ側までお寄りになり、『素晴らしい品々を、わたくしの手でお届けしたい』と仰せになりました」
「……今日其方らが来ることを、知っていたということか?」
「わかりかねます。ただ、控えておいでの侍女どのが『お方さまが手ずからお渡しになられれば、誉れ高きことと平伏すでしょう』などと囁いておいででしたな」
ぎり、と奥歯を噛み、朱夏は黒門へと足を進めた。
詳細はわからないが、これ以上ここで話を聞くよりも踏み込んだ方が早い。
「凛慈。済まぬが、ここで見たことは外に漏らさずにいてほしい」
「……承知致しました」
大股に近寄ってくる朱夏の姿に目を見開き、警護の武官が頭を下げた。それに手を振り、朱夏は門を開けるように告げた。
「湊刃の大臣の立ち入りを、朕の名において許可する。ともに内に入る」
「かしこまりました」
「それと、朕たちが再び出てくるまで、何人たりともこの黒門を通すな。内からも、外からもだ」
朱夏の命令に驚いたような表情を浮かべた武官であったが、何も言わずに拝礼で応えた。




